私のこと、離さないでね

京京

第1話 私のこと、離さないでね

「私、今幸せよ。私のこと、離さないでね」


 私はそう言って横にいる彼を抱きしめた。

 途端に彼がいつも付けている香水、カルバンクラインのデファイ・オードトワレの爽やかな匂いが広がる。

 馨しい匂いだ。


 初めて出会ったときのことを思い出す。

 その瞬間に運命だと思った。

 二人が結ばれることは決まっていたんだ。


 確信にも近い直感。

 それが今、現実のものに。


 私の目から涙が一筋流れる。

 やっと一緒になれた。

 大好きな彼と漸く暮らせる。


 そう思うと泣かずにはいられなかった。


「私は離さないわ。貴方のこと」


 私の言葉に彼は優しい微笑みで返してくれる。


 あぁ、幸せだ。


 この幸せがずっと続くんだ。


 私は神の祝福にも似た幸福感に包まれながら立ち上がった。


 彼はそのままの姿勢でテレビを見続けている。

 彼と初めてデートに行った時の映画、『風と共に去りぬ』だ。


 その時は新しい映像表現とかでリメイクされた作品を大々的に上映していた。彼は見終わったあと感動の余り泣いていた。

 私にはあまり刺さらなかったけど、彼の意外な一面が知れて嬉しかった。

 

 その顔が溜まらなく愛おしかった。

 それから私もこの映画が好きになった。

 彼の新しい一面を教えてくれた映画だから。


 彼と暮らすようになってから、いつも流している。

 もう殆ど台詞を覚えてしまったわ。


 今はいい時代よね。

 わざわざレンタルしなくても、パソコンさえあればどこにいても映画を見ることができるのだから。


 彼はそれに感動していたわね。

 

 私と彼は三十歳、年が離れている。

 だから思い出の映画もドラマも曲も全く違う。


 それが二人にとってはいい刺激になったわ。

 私が知らない物語を教えてくれる彼。

 逆に彼が知らない物語を教える私。


 とても楽しかった。

 そして、それはこれからも紡がれていく。


 私たちはやっと一緒になれたんだから。

 時間なんて無限にあるわ。


 これから、二人で楽しい思い出を沢山作っていけるんだから。


「ふふふ」

 

 自然と笑う私。

 幸せにまた包まれた気がした。


 私は彼が映画に夢中になっている間にご飯を作る。

 今日のメニューはお好み焼き。関西風の、ね。


 彼の地元の料理。

 勿論、味は敵わないと思うけれど、彼と付き合ってからいつも練習しているからそれなりに美味しいはずよ。


 ソースは彼好みの中濃ブルドックソース。ネットで取り寄せた関西の味。

 マヨネーズだって出口が細いタイプ。

 全部彼の好みに合わせて用意したわ。


 私はお茶碗にご飯を装って、お味噌汁と一緒に彼の前に置く。

 ソースの匂いが漂って、彼はニッコリと笑ってくれた。


 お気に召したかな。


 私はまた彼の横に座った。そのままそっと彼の肩に凭れかかる。

 彼は優しく受け止めてくれた。


 あぁ、やっぱり幸せだ。


 ずっとこの幸せが続くんだ。


 私は堪らなく幸せだった。


 ピンポーン


 不意に来訪を告げるチャイムが鳴る。


「誰かしら」


 私はインターホンのモニターを見た。

 そこにいたのは管理人さんだ。


 相変わらず辛気臭い顔をしている。

 鬱陶しい。


「あ……夜分にすみません……町内会の……会費の徴収に来ました」

「明日にしてください」


 幸せなひと時を邪魔しないでほしい。

 そもそも何時だと思っているんだろうか。

 すみませんって言えば済む問題じゃない。


 失礼すぎる。


「申し訳ございません、本日中に頂けませんか?」


 いつもなら引き下がるくせに今日はしつこい。

 なんなんだ。イライラさせるな。イライラしたくないんだよ、こっちは!


 私はチラッと彼の方を見る。


 温和な性格の彼は争うことを好まない。


 いつもみたいに怒鳴りつけてやろうかと思ったが、彼がいるので躊躇ってしまった。

 仕方ない。

 こんなバカ、さっさと追い返して早く二人だけの時間を取り戻そう。


 私は財布を持って玄関に向かった。


 本当にムカつく。

 一発殴ってやりたい。

 その顔面を血塗れにしても足りないくらいだ。


 彼がいて良かったね、管理人さん。

 彼がいなければ、その不細工な顔を怒りが収まるまで殴り続けたはずだ。


「いくらですか!?」


 私は怒り任せにドアを開く。


 その瞬間……


「入れ!!」


 青い服を着た見知らぬ男たちが一斉に部屋に入ってきた。

 雪崩のように凄まじい勢いで。


「何!? 何!? 痛い! 痛い!」


 私は一瞬で男二人に組み伏せられた。腕を後ろ手に捕まれ、床に倒される私。


 その横を縫って部屋に侵入する獣たち。


「何なの!? 痛い! 離して! 離してぇ!!」


 こいつ等の行先には私の幸せが……

 彼が……いる……


 やめろ!

 やめろ!

 ヤメロ!


 彼に近づくな!

 近づくな!

 チカヅクナ!!


 彼は大人しい人だ。

 こんな喧噪、彼が最も嫌う行為だ。

 

 だからやめろ。

 やめろ。

 やめろぉぉぉおお!


 私の幸せを壊すな!

 壊すな!

 コワスナ!


「やめろ! やめろぉぉぉおおお!!」


 私の怨嗟が部屋中に響く。喉から血を出さんばかりに叫んだ。

 

「被害者、発見! ダメです。既に死亡しています」


 先に部屋に入った男が何か言っている。

 だけど、もう私の耳には届かない。

 

 そんなことより大切なことがあるのだから。


 あぁ、彼に近づくな!

 有象無象共が!


 彼に!

 近づくな!

 チカヅクナァァァアアア!!


 私は暴れ続けた。

 こいつらから彼を守らないといけない。

 彼のために、平穏を取り戻さないといけないのだ。


「暴れるな!! 殺人の容疑で逮捕する!」


 ダマレ!

 ダマレ!

 ダマレェェェエエエ!!!


 彼の平穏が!!

 私の幸せが!!


 シアワセガァァァアアア!!

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私のこと、離さないでね 京京 @kyoyama-kyotaro

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