第二話

「実は宣下せんげする旨の起草文があると……」

 右衛門の佐が言いにくそうに口を開いた。


「宣下って親王宣下しんのうせんげですの!?」

「待って、宣下は陣定じんのさだめで決めることでしょう」


 左大臣が陣定でそんなものを認めるわけがない。


「起草させたのは本院だそうです」

「お父様という事?」

「はい」

「退位後に宣下など……」

「ご在位中の日付だそうです。当時、外記げきだった中の大納言は本当に宣下すべきか迷ってご自分の判断で止められたと……」

「外記の判断で止めるなんてありえますの?」


 しかも、自分の判断で止めておきながら今更持ち出すなんて……。


「ですから疑わしいのです」

「外記のところで止まっていた宣旨など……」

「問題はそういう宣旨を起草しようとなされたのは間違いなく本院が御子息だと認められたからだと……」

「そういうのは貴族達が徹底的に調べるはずですわ」


 そもそも親王宣下(女子の場合は内親王宣下ないしんのうせんげ)というものをするようになったのは帝の子供の数が多すぎて財政が逼迫ひっぱくしたから選ばれた子供だけに宣下をして、それ以外は臣籍降下させるためである。

 だから本来なら帝の子供だからと言って無条件で親王や内親王に慣れるわけではないのだ。


 ただ、今は帝の子供が少ないから全員宣下を受けているだけである。


 私が準三后のことを左大臣に催促しているのも貴族達を通す必要があるからなのである(特に準三后じゅんさんごうは宣旨ではなく、それより少し厳しい勅書ちょくしょだからですわ)。


「左大臣はその子のことを調べてないのでしょう」

「いえ……調べたそうです。右大臣も……」

「それでお父様の子供だと認めたということ?」

「そこはお二人とも否定されています。本当に本院の御子息だという確証が得られなかったと……」


 左大臣は何があっても否定するだろう。

 娘がお兄様に入内することが決まっていたのだ。

 女御が息子を産めば外祖父になれるかもしれないのにどこの誰の子供かも分からない――。


「母親は本院の御匣殿みくしげどのだそうです」

「なんですって!?」


『御匣殿』というのは元は女官の役職名でそれは今でも変わっていないのだが、帝の手が付くことが多い役職なので今は妃に近い扱いになっている(『尚侍ないしのかみ』も同じく妃に次ぐ扱いをされる女官ですわよ)。

 御匣殿や尚侍は正式な妃になることもある。


 お父様の御匣殿も妃のようなものだった。

 問題は――。


「その子はいくつなの?」


 御匣殿が産んだならお父様の子供でもおかしくない――年齢によっては。


「五歳だそうです」

「…………」


 かなり際どい年齢だ。


 実は御匣殿は五年前に実家さとに帰ってしまい、そのまま内裏に戻ってこなかったのだ。

 理由は私も知らない。

 当時、子供を産むために帰ったのではないのかという噂はあった。


 ただ、身籠みごもったことを内緒にして里に帰るということはまずない。

 それに出産したという話も聞かないまま何年も戻ってこなかったから妃の誰かからイジメられたのではないかという噂はあった。


 妃同士のいじめは珍しくないし、それで里に逃げ帰ることも良くある。


 御匣殿が内裏から出ていったのは五年前だから里へ帰るとき身籠もっていて出産したまま戻ってこないことも、戻ったあと他の殿方と通じてその男の子供を産んだという事も、どちらもありうる。


 お父様がご自分の子供だと思って認めるという宣旨を起草させたのかしら……?


 ただ、陣定を経ずに起草させた宣旨に意味があるのだろうか。

 貴族達が突っぱねればそれまでのはずである。

 しかも、左大臣と右大臣の両方が揃って否定している子供となれば――。


「お父様には伺ったの?」

「それが……」

「本院は否定も肯定もされていらっしゃらないと……」

 恒躬と右衛門の佐が言い辛そうに答える。


「宣旨を起草させたかどうかを言えないというのはどういう事ですの!?」


 お父様が一言否定すれば終わる話ですのに!


 今上むすこのことを思うなら、はっきり否定すべきですわ!


「あくまで推測ですが……本院は今上が退位することになったときは御匣殿の子供に譲位をと考えられているのではないかと……」

「少なくとも中の大納言はそう言う腹づもりでしょう」

「冗談ではありませんわ! 今上にはなんの瑕疵もありません! 君が代は千代に八千代に万代に! 永久にご在位していただきたいくらいですわ!」

 里子女王が恐ろしい剣幕で御簾の向こうに聞こえてしまいそうな声を出す。


 と言うか、恐らく聞こえているでしょうけど……。


「……千代や八千代はともかく、お兄様に息子がいるのに? 女御の子供がお兄様の息子なのは疑いようがありませんわよ!」


 里子女王の言う通り、今上にはなんの瑕疵もない。

 あるのは左大臣の政敵が立てた怨霊の噂だけだ。


「それはそうですが……」

「御匣殿の子供は親王宣下もされてないではありませんか!」

「それは新院の御子息も同じです」

「親王宣下どころか臣籍降下しんせきこうかされた方が即位された前例もありますから」

 恒躬と右衛門の佐が言った。


 そうなのだ。

 皇太子が決まらないまま帝が崩御されてしまい、色々揉めた末、臣籍降下(皇籍から抜けて貴族になることですわ)されていた方が皇族に復帰して践祚せんそ(即位するという意味ですわ)したのである。


 ただ、その方は親王宣下を受けていた。

 帝位を巡って揉め事が続いていたから臣籍降下しただけである。

 本当にお父様の子供かどうかも怪しい子供とは違う。

 しかも結局、起草だけさせて外記のところで止まっていたものだ。


 とはいえ、問題なのは子供の父親や宣旨の起草文ではない。

 そういう疑いだ。


 ただでさえ、今上には嫌な噂が絶えないのだ。

 そんなものが出てきたとなれば立場を変える貴族達もいるのではないだろうか。


 いくら左大臣が実権を握っているとは言え貴族達を無視したまつりごとは出来ないのだ。


 けど……。


「それは親王宣下の宣旨なのね?」

 私が確認するように訊ねると、

「そうですわ! 本院の御子息が親王とされたとしても、そして主上が退位されることになったとしても次の帝は新院の御子息ですわ!」

 里子女王が言った。


 今上が立太子されていたとは言え本来なら長子の長子であるお兄様の息子は正統な跡継ぎである。


 産まれる前ならともかく、今になって御匣殿の子供を持ち出してきても今上の次はお兄様の子供か今上の子供になるだろう。


 左大臣や右大臣にしても本当にお父様の子供か怪しい子供を認めるくらいなら帥宮そちのみや上総宮かずさのみやを今上の皇太子にする方を選ぶに違いない。

 少なくとも帥宮と上総宮は間違いなく皇家の血を引いている。


 親王宣下をしてしまったら親王だけではなく、親王の子供達も帝位を継ぐ可能性が出来てしまうのだ。


 皆それは避けたいだろう――自分が押した子供を帝位につけて実権を握りたい者以外は。

 ただ――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る