ヒカナギ

六散人

【01】

5憶年前の銀河の彼方からやって来た、生物兵器<ソミョル>による、所謂<ストリーム災害>が収まってから、半年が過ぎていた。


被災地の中心となった東京都江東区では、多くの人が<ストリーム>の犠牲になり、街にもライフラインにも大きな被害を被っていた。生存する被害者への救済や街の復興に追われて、政府と東京都はまさにてんやわんやの状況で、半年たった今でも世間はまだ騒然としていた。


一時期東京湾への船舶の出入りが厳しく制限されたため、東京湾に米軍の原子力潜水艦が沈没したとかいう都市伝説も生まれたようだが、いつの間にかそれも消えてしまった。


<ソミョル>の撃滅に、偶然ながらも一役買った、<武闘派幼稚園教諭>蘆田光(あしだひかる)と<空手家派遣社員>篠崎渚(しのざきなぎさ)は、その活躍が公になることもなく日常に戻っていた。


さすがに一般市民が、加賀武史(かがたけふみ)二等陸佐率いる陸上自衛隊員たちと共に、<ソミョル>攻撃の現場にいたなどということは、政府としては決して表に出さず、隠し通すしかなかったのだろう。


それ以前に、彼女たちが加賀の部隊に同行したこと自体を、<ストリーム>撃滅作戦を立案した大蝶斉天(おうちょうなりたか)内閣情報分析官が、隠ぺいした可能性が高いと、蘆田光は考えていた。


そして彼女は現在、少し困った状況に陥っていた。

<ストリーム災害>が終結した後、江東区内は全面立ち入り禁止区域となった。それは仕方がないことではあった。何しろ、江東区内ほぼ全域に張り巡らされた、<ストリーム>地下茎の撤去が復興のための第一関門であり、その作業に4か月余りを要していたのだ。


さらにライフラインの整備や、破壊された建物の撤去作業、おまけに<ストリーム>に撃墜された米軍機の撤去作業――こちらは在日米軍との間でひと悶着あったらしい――など、国と都がやらなければならないことが目白押しだったのだ。これらの作業はすべて、住民がいない方がスムーズに進められるということで、生き残った江東区民は全員避難生活を送ることになった。


光もその<ストリーム>避難民の一人だった。幸い彼女の実家は千葉にあったので、親友の篠崎渚ともに実家に転がり込むことが出来たのだが。


光と渚は短大時代からの腐れ縁で、<ストリーム>災害発生時には、江東区内のマンションで共同生活を送っていた。そのマンションには、半年前に決死の脱出行を行って以来、当然のことながら足を踏み入れていない。家財道具も衣類もすべて置いて出てきていたので結構気になってはいるが、この状況では仕方がないと諦めているのだ。そもそもマンション自体が無事に残っているかどうかも定かでない。


――まあ、あたしみたいな人は、山ほどいるんだろうな。

光はそう考えて自分を納得させているのだが、それよりも困ったことは、彼女が現在職を失っていることだった。


光は災害前には江東区のK幼稚園に勤めていた。当然のことながら、現在休園中である。園長先生とは連絡が取れていて、江東区の立ち入り禁止が解除され次第、園の復旧に取り掛かるということは聞いているのだが、いつ解除されるのかも定かでない状況だ。


園長先生は気を使って、他の幼稚園を受けてもいいと言ってくれたが、結構K幼稚園に思い入れがある彼女は、珍しく踏ん切りをつけられないままでいたのだ。


同居人の渚は派遣社員として働いていて、派遣先は被害を被っていなかったので、職自体は確保されていた。それはそれで良いのだが、人ん家に世話になっている分際で最近では、

「かあ。千葉くんだりから東京まで通勤するの、めんどくせえ」

などと、文句を言い始めている。


しかし光は、それが渚の本音ではなく、いつまでも彼女の実家に世話になることに気を使っているのだということを、ちゃんと見抜いていた。


光自身も実家に居て、毎日暇に過ごしているのが退屈になって来たので、

「ほんじゃあ、また東京のどこかでマンション探してみっか?」

と提案したのだ。渚は、「いいん?」と言いながらも、彼女の提案にすぐさま乗っかって来た。余程気を使っていたのだろう。


という訳で、二人の貯金を出し合って引っ越してきたのが、台東区にある2LDKの賃貸マンションだった。

しかし引っ越したからと言って、光が無職でなくなる訳でもなく、当面失業保険と貯金を食いつぶして生活することには変わりはない。


渚は、

「当分あたしが面倒見てやるよ」

と言ってくれるが、いつまでもそれに甘える訳にもいかない。


――取り敢えずバイトで食いつないで、K幼稚園の復活を待つことにするか。

そう考えてバイトを探し始めた時に、偶々入ったラーメン店が『萬福軒』だった。


その店のラーメンの味と、店主の人柄が気に入ったので、表に貼ってあった『アルバイト募集』の紙を引っぺがして、

「おっちゃん。あたしをここでバイトさせてくんない?」

と言ったら、店主は初め面食らったような顔をした。しかし光が事情を話すと快く雇ってくれることになった。


という訳で、彼女は今『萬福軒』でバイト中である。

仕事は月曜から金曜までの週5日で、朝の10時から夕方6時までの8時間が拘束時間だ。ほぼ一日中立ち仕事だったので、初めのうちは結構しんどかったが、元々体力のあり余っていた光は、すぐに慣れてしまった。


『萬福軒』でバイトすることにしたことを、同居人の渚に言うと、

「何でラーメン屋なん?」

という、至極当然の質問が返ってきた。


「おっちゃん、いい人だし。あそこのラーメン美味いからね」

光のその答えに渚は、

「ふうん。よお分からんけど、あんたらしいっちゃ、らしいわね」

と言って、後は興味を失ったらしく、缶ビールを飲みながらテレビのバラエティ番組に集中し始めた。光もそれに追随する。


そんなある日。

昼の混雑時間が過ぎて客足が引いた後、光は食器洗いを手伝っていた。

「光ちゃん、美人だし、明るいから、最近男の客が増えて来たよねえ」

光の隣で、彼女が洗った食器を拭きながら奥さんが言うと、

「まったくだ」

と、おっちゃんが相槌を打つ。


「そんなことないですよ」

そう言いながら、光が満更でもない気分でにやけていると、店の戸が開いて、そいつがやって来た。

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