同行人チコル〜かつて勇者と呼ばれた者を見届けるまで〜

さいとう文也

第1話 手紙

 私はチコル。城下町で小さな魔法具店を営んでいる、ただの魔道士だ。


 店の棚には、乾燥させた薬草の束が天井から吊り下がり、カウンターの隅では弱々しく光る魔法石が埃をかぶっている。奥の調合室からは、煮詰めたマンドラゴラの根の、甘くも土臭い匂いが漂ってくる。それが私の日常であり、世界の全てだった。


 それが、何故こんなことになってしまったのだろうか。


 今朝。まだ薄暗い早朝、店のドアを叩く無遠慮な音で叩き起こされた。眠い目をこすりながら対応すると、そこには王家の紋章をつけた堅苦しい鎧の兵士が二人。


 「チコル殿でお間違いないか。急ぎ、王宮までご足労願いたい」


 有無を言わさぬ口調だった。寝間着のまま呆然とする私に構わず、彼らは「支度を」と促す。何かの間違いでは、と訴えても、「王命である」の一点張り。


 慌てていつもの作業着に着替え、店に「急用」の札をかける。不安と疑問で胸をいっぱいにしながら、早朝の静かな城下町を兵士に挟まれて歩く。あの時の私は、これから自分の身に何が起ころうとしているのか、想像もできていなかった。


 そして現在、私は王の御前にいる。


 朝イチに突如として城へ呼び出され、大理石の床が冷たい謁見の間に通された。高い天井には魔王討伐の英雄譚を描いたステンドグラスが嵌め込まれ、そこから差し込む光が、私の足元に複雑な模様を描き出している。


 玉座に座る王の目下にて渡されたのは、王家の印章が押された一通の羊皮紙だった。震える手でそれを開くと、そこにはあり得ないことが書かれていた。


 「……私に、このような大役が務まるとは思えませんが」


 厳かな間に、か細い呟きが虚しく響き渡る。私の声は、このだだっ広い部屋の空気に吸い込まれて消えてしまいそうだった。左右に並ぶ重臣たちの視線が、値踏みするように私に突き刺さる。


 「何百といる魔道士の中から、勇者がお前を選んだのだ。チコルよ」


 立派な白髭を蓄えた王は、静かに、だが有無を言わさぬ威厳をもって告げる。


 勇者が、私を?


 その事実に、心臓が大きく跳ねた。しかし、それ以上に、手紙に書かれた内容の重大さに手の震えが止まらない。


 『魔導士チコル。勇者シモ・ハスラー、二度目の旅への同行を命ずる』


 「それでも、勇者の旅に同行せよなんて、あまりにもいきなり過ぎます! 私には店が……それに、なぜ私が選ばれたのか……」


 しどろもどろに抗議の言葉を口にする。だが、王は軽く手を振って私の言葉を遮った。


 「理由は勇者本人に聞くがよい。詳細はまた明日、使いをやる。今日は下がってよい」


 それだけだった。私がさらに何かを言い募ろうとする前に、衛兵に促され、私は謁見の間から半ば追い出されるようにして退出させられた。


* * *


 どうしよう。


 城から歩いて五分ほどの距離にあるはずの自分の店が、今日はやけに遠く感じる。足が鉛を引きずっているように重い。


 城下町はいつもの活気に満ちている。パン屋からは焼きたての香ばしい匂いが漂い、鍛冶屋からはリズミカルな鎚の音が響く。露店では、普段なら真っ先にチェックする「薬草半額」や「魔法石詰め放題」の看板が並んでいるが、今日はそれらもまるで目に映らない。


 聞きたいことは山ほどあった。


 二度目の旅とは何なのか。魔王はもういないはずだ。


 そして、なぜ私なのか。旅はどれくらいの期間になるのか。店はどうすればいいのか。


 しかし、何を訪ねても「詳細はまた明日」の一つ返事ばかりで、私は城から放り出されてしまった。


 あまりにも急な事態に、頭の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられている。


 困惑しているのは間違いない。なにせ、この店を構えてから……ううん、物心ついてから、私はこの王国の外へ一歩も出たことがないのだから。旅、それも勇者の旅なんて、想像もつかない世界だ。


 もし本当に行くとして、長期不在となる店はどうすれば良いのだろう。仕入れ先への支払いは?


 常連のお客さんたちは?


 薬草にカビが生えたり、貴重な魔法薬が盗まれたりしないだろうか。


 不安要素が、次から次へと湧き出してきて、まるで尽きない。


 しかし。その不安の渦の奥底で。勇者の旅に同行できることに喜びを覚えている自分も、確かにいた。


 何を隠そう、私は勇者シモの、ささやかな支援者だったのだから。


 もちろん、彼と直接の面識はない。だが、文通を交わしていたことはあるのだ。


 詳しく言えば、一方的に『魔法薬の生成を頼まれ、販売していた』という方が正しいのだけれど。


 数年前まで、世界は復活した魔王の脅威に晒されていた。各地の魔物が凶暴化し、人間や従わない他種族に対して悪行の限りを尽くしていた。


 そんな魔王を討伐したのが、今回、私を指名してきた勇者、シモ・ハスラーその人だった。


 彼の旅を支えるべく、王国中の魔導士が総動員でポーションや魔法具を前線に送っていた。私もその大勢の中の一人に過ぎなかった。


 私の店は小さいけれど、調合するポーションの品質だけはどこにも負けない自信があった。それが認められたのか、ある時から王宮経由で、勇者パーティ専門のポーション発注が来るようになったのだ。


 最初は事務的な注文書だけだった。けれど、私はこっそり、荷物の隙間に「ご武運を」と書いた小さなメモを忍ばせた。


 すると次の注文書には、走り書きのような文字で「ありがとう。薬がよく効く」と返事が添えられていた。


 それからだ。手紙のやり取り(と私が勝手に思っているもの)が始まったのは。


 彼の文字には独特のクセがあった。そして、本題の注文よりも、追伸がやたらと長いのだ。


 どれほど厳しい戦況の最中にあっても、彼は欠かさず近況報告を書いてくれていた。


 『追伸。湿布の追加をお願いしたい。先日、巨大スライムを踏みつけて派手に転び、腰を強打した。仲間には笑われたが、大したことない』


 『追伸。火傷の軟膏を。サラマンダーを素手で触ってしまった。いや、仲間が突き飛ばしてきたんだ、僕は悪くない。思ってた通り、結構熱かったね』


 『追伸。仲間が日傘を忘れたらしくて、ずっと不機嫌だ。何か機嫌が直るような甘いお菓子とか、作れたりするかな? 好き嫌いは特にないよ、なんでも食べるから。ポーションの注文はいつも通りで!』


 何かしら笑わせてくる、愉快な人。それが私の知る勇者シモ・ハスラーだった。


 街の広場には彼を象った大きな銅像が立っている。魔王の城を指し示すように聖剣を天へと掲げ、風にマントをなびかせる凛々しい姿。穏やかで、慈愛に満ちたその表情。


 多少、いえ、かなり美化されているにしても、その姿こそが「勇者様」のイメージだった。手紙のドジな部分も、きっと彼の気さくな人柄の表れなのだろうと、そう解釈していた。


 そんな勇者様が、なぜ私を推薦したのだろう。


 彼を陰ながら支えた魔導士は、私以外にも大勢いたはずだ。もっと高名で、実戦経験豊富な魔導士だっていただろうに。


 そして、旅の理由もまた不明瞭だ。


 魔王はいない。世界は平和になった。それなのに、再び国を出る理由がどこにあるというのだろう。


 まあ、今日は考えるだけ無駄だろう。何を考えても、答えは出ない。明日が来るまで、この悶々とした気持ちのまま過ごすしかないのだ。


 ようやく辿りついた店のドアノブに手をかける。ギィ、と軋んだ音を立てて開いた店内に、私は一つ大きく深呼吸をした。


 いつもの、薬草と埃とインクの匂い。それだけが、今の私を少しだけ落ち着かせてくれた。


 ドアにかかったプレートを『急用』から『OPEN』にひっくり返した途端、待ってましたとばかりにお客さんがやって来る。


 「チコルちゃん、昨日頼んでおいた惚れ薬、まだかい?」


 「腰痛の軟膏を。ああ、それと孫がカエルに噛まれたんだ、消毒薬も」


 「光る石、一番安いのをくれ!」


 頼まれたものをその場で調合したり、怪我を訴えるお客さんに簡単なヒールを施したり。日常の業務に追われていると、時間はあっという間に過ぎていった。


 頭の片隅では王の言葉がぐるぐると回っていたけれど、目の前のお客さんを捌くことに必死で、深く考える余裕はなかった。


 「いつもありがとうね、助かったよ」


 「いえいえ、お大事に。またいつでも来てください」


 最後のお客さんがドアを閉めた瞬間、カラン、とベルが鳴る。それを合図にしたかのように、どっと疲れが押し寄せ、私はカウンター近くの椅子に崩れ落ちた。


 こんなにも全身が疲労していると感じたのは、店を開店した当初以来かもしれない。


 改めて今日一日の出来事を振り返っては、片側の口角が無意識に上へ引きつった。


 「明日……一体、何が待ってるんだろ……」


 『CLOSE』とひっくり返されたプレートが、ドアでゆらゆらと揺れている。それをぼんやりと眺めることしかできない。


 窓の外が茜色から藍色に変わり、穏やかに来訪する夜が、次第に私の不安な身体を飲み込んでいった。


 結局、店の二階の自室に戻っても、考え事が止まらなかった。


 もし本当に旅に出たら。あの手紙の主に、会える。銅像のような、それよりも素敵な人だろうか。


 ……ううん、それよりも、どうして私なの?


 期待と不安が交互に押し寄せ、結局、昨晩は一睡もできなかった。


* * *


 翌朝。


 窓から差し込む爽やかな朝の青空とは裏腹に、私は憂鬱を全面に押し出したような表情を鏡に映していた。目の下にはくっきりと隈ができている。


 「ひどい顔……」


 昨日と同じ時間に、店のドアが叩かれた。今度は心の準備ができていた。昨日よりも少しだけマシな服に着替え、店のドアには「本日休業」の札をかける。昨日よりも、その決断が少しだけ重かった。


 城に入れば、昨日と同じように衛兵二人に挟まれながら、静まり返った城内を案内される。


 てっきり昨日の謁見の間か、あるいは重臣たちの待つ会議室にでも通されるのだと思っていた。


 だが、今日は違った。


 衛兵たちが足を向けたのは、王宮の奥。差し込む光がなんとも心地よい、広大な庭園へと案内された。


 手入れの行き届いた芝生、咲き誇る王家のバラ、そして見たこともない、微かに光を放つ魔法植物。


 「勇者様が、あちらでお待ちです」


 庭園の入り口で、衛兵の一人がそう告げた。


 ——勇者様が、お待ちです?


 「えっ、ちょ、ちょっと待って……!」  心の準備が。


 服装はこれでよかった? 髪は跳ねてない?


 何より、王様じゃなくて、いきなりご本人!?


 私の慌てぶりを気にも留めず、衛兵は二人揃って一礼すると、そのまま背を向け、コツコツと鎧の音を響かせながら歩き出してしまった。こちらの質問に答える隙など一切見せない。


 しばらく呆然と庭園の入口で立ち尽くしていた。鳥のさえずりと、遠くの噴水の音だけがやけに大きく聞こえる。


 ……ここで突っ立っていても始まらない。  それこそ、勇者を待たせてしまう行為だ。


 私は意を決し、ごくりと喉を鳴らすと、小石の敷かれた道を早足で進んでいった。


 広すぎる庭だ。多種多様な植物に、人工的に作られたであろう清らかな小川が流れ、小さな橋までかかっている。


 庭の中腹部に向かうに連れ、目まぐるしく変わる美しい景観には、思わず目を奪われ、足が止まりかけることもあった。


 その都度「勇者が待っているんだから」と頭を振って、緊張で早鐘を打つ心臓を抑えながら、足を前へと進める。


 どんな人だろう。手紙の通りの、愉快な人か。 それとも銅像のような、凛々しい人か。とにかく、私を指名した理由をちゃんと聞かなくては。


 やがて、木々を抜けた先に、白いガゼボに囲まれた開けたスペースと、一つのベンチが現れた。


 誰かがそこに腰掛けているのが見えた。


 (いた……!)


 きっと、あの人が勇者シモ・ハスラーだ。


 太陽の光に反射して、銀色に靡き輝く髪。それは、広場の石像よりも少し長くなっている。


 だが、服装は違った。立派な鎧でも、豪華なマントでもない。一般市民と変わらない、洗いざらした質素な服。その上からは、この爽やかな朝には不釣り合いな、分厚いショールを羽織っている。


 そして、彼の傍らには――剣ではなく、古びた木の杖があった。


 「え?」


 私の上げた、困惑の声。


 それに反応してか、ベンチの『勇者』はゆっくりと顔を上げた。


 そして、静かに立ち上がった。


 その動作は、想像していた英雄のそれとは、あまりにもかけ離れていた。


 傍らの杖にぐっと体重を預け、まるで老人か病人でもあるかのように、ゆっくりと。


 彼は、古ぼけたせいでカラカラと不規則に乾いた音のなる杖を突きながら、立ち尽くす私の前へと、一歩、また一歩とやって来た。


 近づくにつれ、彼の姿がはっきりと見えてくる。


 不健康なまでに青白い肌。光を宿しているのか疑わしくなるほど、色の薄い青い瞳。そして、心配になるほどに細身の身体。


 手紙の主とも、銅像の英雄とも、結びつかない。


 目の前で立ち止まった彼は、私をじっと見つめ、そして、乾いた唇をわずかに開いた。


 「初めまして、チコル。僕はシモ・ハスラー。かつての英雄と呼ばれた戦士だよ」

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