稽古場大掃除事変

大塚

第1話

 ──年度末。

 鹿野かの素直すなお不田房ふたふさ栄治えいじ、そして宍戸ししどクサリは、有限会社泉堂せんどう舞台照明の大掃除に駆り出されていた。


 不田房栄治は演出家である。鹿野素直はそのサポートを担う演出助手。宍戸クサリは舞台装置や小道具など、舞台公演本番に於けるステージ上のすべての責任者ともいえる舞台監督という職に就いている。三人は、不田房が主宰する『スモーカーズ』という演劇ユニットのメンバーであり、有限会社泉堂舞台照明の社長・泉堂せんどう一郎いちろうには何かと世話になっている。泉堂一郎は照明技師だ。舞台業界で彼の名前を知らない者はいないと言い切っても過言ではないほど常にあちこちの劇団や劇場から引っ張り凧で、幾つかの芸能事務所が所持している劇場とは年間契約を結び、当該劇場で行われる舞台の照明プランを一年中担当するなど、とにかく忙しい人間であった。

 その泉堂から、鹿野ら三名に直接メールが届いた。


『大掃除を手伝え』


「……来たな」


 不田房と鹿野は、泉堂舞台照明の持ちビルがある駅からほど近い繁華街の一角で中華料理を食べていた。ランチ兼打ち合わせである。


「来ましたね」

「いつもより早くない?」

「たしかに。例年だと、大掃除は三月の最終週」


『来れるやつからすぐに来い』


 メールが立て続けに届く。泉堂はLINEをほとんど使わない。自身の職場に置いてあるデスクトップパソコンから、このメールを送っているのだろう。メールの宛先は宍戸クサリ、CCに鹿野と不田房のアドレスが入っている。


「行くかぁ」

「そっすね」


『これから向かいます』


 更にメールが届く。これは泉堂からではない。宍戸の返信だ。

 ライチウーロン茶を飲み干し、「大掃除用の服じゃねえんだけどなぁ俺」とカーキ色のマオカラーシャツに黒いジャケット姿の不田房が呟く。「稽古着置いてあるんじゃないですか?」と応じる鹿野も今日は今年最後で最強の冷え込みと聞いて慌てて引っ張り出してきたお気に入りの白いセーターを着ている。

 不田房がお会計をしているあいだに、『不田房さんと今から大掃除に行きます』と鹿野は返信メールを認める。──と。返信をした数秒後に、またメールが飛び込んできた。『?』。泉堂だ。


「変な箱……?」


 小首を傾げる鹿野に「行くよ〜!」と不田房が声を掛ける。変な箱については、まあ、大掃除の現場である有限会社泉堂舞台照明のビルに到着すれば分かるだろう。ふたり揃って中華料理店を出、地下通路を通って新宿駅のJR東改札に。電車で10分も揺られぬうちに、目的の駅に辿り着く。


「泉堂さ〜ん! 俺と鹿野が来ましたよ!」

「おう不田房か。なんだふたりして白い格好して」


 大きな黒いマスクで顔を覆った泉堂が、てくてくと歩いてビルの中からやって来る。いつから掃除をしていたのか、早くも全身埃まみれだ。


「あの、俺と鹿野の稽古着って置いてありましたっけ?」

「ああ、あるよ。宍戸! おーい宍戸!」

「はいはい」


 呼び付けられて出てきたのは、宍戸クサリ本人だ。あのメールから察するに、不田房と鹿野より30分は早くビルに入っている宍戸は灰色のジャージの上下を身に着けていて、顔半分を白いマスクで覆っている。


「でもあんまり綺麗じゃないぞ。俺もこのジャージ、掃除終わったら捨てるつもり」

「俺もそうする! 鹿野は?」

「まあ、……掃除本気でやったらドロドロになっちゃいますもんねえ。捨てる前提で着ますかぁ」


 そういうことになった。


 不田房、鹿野、宍戸が有限会社泉堂舞台照明の大掃除に呼び出されたのには理由がある。泉堂が所持している持ちビルは地上三階建てで、一階は総合受付兼物置、二階は有限会社泉堂舞台照明の事務所、そして三階は会社の主人である泉堂一郎や──若い照明スタッフの生活が安定するまで寝床として貸し出してやる、そういう空間になっていた。

 そうしてもうひとつ。このビルには地下階がある。広すぎず狭すぎない適度な大きさの地下フロアは、不田房率いるスモーカーズなど、小劇場で活動する劇団の稽古場として利用されていた。噂によると舞台のみならずテレビや映画といった映像作品をメインの活動場所としている俳優がひっそりと舞台稽古に来ることもあるそうなのだが、泉堂の人脈を思えば別に不自然な話ではない。


 問題は。


 どこの劇団より、俳優より、演出家より、不田房率いるスモーカーズが泉堂の世話になっているという点だ。


 不田房は「次の舞台でも使いそう」な小道具やセットの欠片を泉堂ビルにあれこれどんどん置いていく。泉堂も別に嫌な顔はしないが、年末になると「アレ捨てていいか?」という連絡が入る。大抵の場合不田房は「次で使うかもしれないから取っといてください〜」と応じる。そして鹿野が記憶する限り、次があった試しがない。


 それでこれだ。年度末の大掃除だ。


「あーっ不田房さんこれ! もうこれ完全に要らない衣装ですよねぇ!?」

「あっ……そ、それ要らないかな? 俺今年の公演でも使うかなって思って取っといたんど……?」

「いや完全に要らねえだろう。着古してボロボロだ。俺だったら稽古着としても着たくねえな」

「不田房さん! なんですかこれは! ネットの中にいっぱい小石が入ってる!!」

「あっそれはねえ……去年の公演の時にさぁ、ジャラジャラ〜って音がどうしても見付からないって水見みずみくんに言われてぇ……」


 水見というのはスモーカーズの公演に良く参加してくれる音響技師の名前だ。


「それで俺、川で石を拾ってきて……」

「拾うな拾うな」


 と、宍戸が呆れたような声を上げる。


「石を拾うな。縁起でもない」

「いやでも本番では使ったよ!?」

「使った後返しましょうよ」

「今年もジャラジャラが必要になる可能性が……」

「ないない」


 言い合いながら、地下フロアに山積みになった大量の荷物を『要』『不要』に分けていく。圧倒的に『不要』の方が多い。


「そんなに要らないものばっかり集めたつもりないんだけど……」

「不田房さんの『つもり』はアテにならないです」

「あ──そういや」


 大量の小石を『不要』側に押しやりながら、宍戸が声を上げる。


「変な箱がどうとか言ってたな、泉堂さん」

「宍戸さん、まだ見てないんですか?」

「ああ。不田房が来てからにしようと思って」

「先に確認してくれても良かったんだよ?」

「ガムテープの上におまえの字で『』って書いてあったんだよ」


 黒髪をハーフアップに纏めた不田房の尻尾を引っ張りながら、宍戸が唸る。手に付いた埃をパンパンと払いつつ、


「その箱どこにあるんですか?」


 と尋ねる鹿野に、「一階」と宍戸は軽く応じた。


「泉堂さん〜。地下ゴミ多くてほんとすみません」

「おう、ちっとは片付いたか?」


 泉堂一郎は一階の総合受付にいた。総合受付──とはいえ公演時に使用する灯体とうたい(舞台上に吊るす大きな照明器具と言えば伝わるだろうか)の積み下ろしをするために頻繁に軽トラックやハイエースが出入りする一階はフロアの半分以上が駐車場のような扱いで、まあまあ『外』だ。


「どうにか……捨てるものはこっちで処分を」

「いや、俺の方でも結構色々捨てるからさ。可燃と不燃と分けて、で袋にだけ詰めといてくれればいいよ」


 頭を下げる宍戸に鷹揚に応じた泉堂は片手でマスクを下げ、煙草を咥える。自然と、宍戸、鹿野、そして不田房も煙草休憩に突入することになった。


「ところで泉堂さん」

「ん?」

「箱がどうとかって」

「ああ! そうそう、不田房、あんな訳の分からん箱を置いていくなよ、おまえ!」


 半分も吸っていない煙草を灰皿に押し込んだ泉堂が、尾を踏まれた猫のように飛び上がった。つられて不田房もピャッと飛び上がるのが分かる。


「な、何が……中身は……?」

「それが分からんから困ってる。待ってろ」


 泉堂が受付の奥に消えていく。鹿野と宍戸が顔を見合わせ、とりあえず、と煙草の火を消したところで泉堂がを抱えて戻ってきた。


 ──木箱。


 外観からして、そこそこ不穏である。


「これおまえの字だろ、不田房」

「『開封厳禁』……俺っすね」

「じゃあおまえが開けろ」

「ええ! なんで!?」


 裏返った声を上げる不田房の額を指先でぐりぐりと押しながら、「うちの若いのが怖がってんだよ、爆弾でも入ってんじゃねえかってなあ!」と泉堂は吠える。不田房と泉堂には親子ほどの年齢差があり、そこはそれとして鹿野は泉堂に娘か孫のように可愛がられている。宍戸は舞台監督になる以前の仕事の関係で数字と法律に強いため、泉堂からは何かと──特に確定申告の時期などに重宝されている。


「ええ〜……ほんとに爆弾だったらどうしよ……」

「不田房さん、爆弾作ったんですか?」

「作った記憶はない……でも俺は俺の記憶に自信がない……!!」

「でしょうねぇ」


 不田房栄治とはこういう男だ。演出家として世間に名が広まる以前は舞台俳優をしていたということもあり、華やかな顔立ちに愛嬌のある立ち振る舞い。耳障りの良い声に可愛らしい笑顔をしているが、そのすべてとは無関係に記憶力がない。もっとも、舞台俳優として活動をしていたのだから台詞を覚えることはできるのだけれど、私生活に於いては──「クソポンコツ」


「何それ宍戸さん!」

「ほんとのことだろ。俺だって泉堂さんにその箱見せられて驚いたんだからな」

「ビジュアル的にも爆弾っぽいですしねえ」

「ちょっと鹿野! 怖いこと言わないでぇ!」

「爆弾だとしたら……」


 泉堂が眉根を寄せる。


「おまえ、誰を爆破するつもりだったんだ?」

「だ、誰? 個人名ですか?」

「劇場でもいいが」

「爆破したい劇場なんてないですよ! 俺そんな攻撃的じゃない!」


 それはたしかにそうかもしれない、と鹿野は思う。不田房は穏やかな人格の持ち主だ。他人を爆弾で攻撃しそうな血気盛んな面を持っているのは、不田房ではなく鹿野と宍戸の方である。


「ちょっと怖いんで、煙草全部消しますね」


 ジャージの尻ポケットに突っ込んであったペットボトルの水を、灰皿の中に注ぎ込みながら鹿野は言う。「どこで開ける?」と宍戸が尋ねる。


「開けなきゃダメ? 開けないで捨てるのはナシ?」

「ナシ。結構この辺厳しいんですよね、ゴミ捨てルール」


 後半の台詞は泉堂に向けたものだ。重々しく肯く泉堂の姿を確認した宍戸は、


「自分で開けなさい、不田房栄治」

「え〜ん……」


 大掃除で出た大量のゴミを積んだ、有限会社泉堂舞台照明のトラックが駐車スペースを出て行った。ぽっかりと空いた空間の真ん中で、不田房が木箱に向き合う。

 宍戸、鹿野、そして泉堂は、それなりの距離を取って不田房の背中を見詰める。


「ええい!」


 ままよ! と不田房がヤケクソのように叫んだ。「ええいままよ!」を肉声で聞くことになるとは、と鹿野は思った。


 箱の中には。


「……何これ、銃?」


 不田房のきょとんとした声が、いやに響く。「銃だと?」と宍戸が大股で歩み寄るのが見えた。鹿野と泉堂は視線を交わし、それからそろそろと木箱の側に合流する。

 不田房が手にしているのは、確かに『銃』だった。だが。


「ん……これ、覚えがありますよ私!」

「鹿野もか。俺もだ」

「えっ俺全然記憶にないんですけど!?」


「アパッチ・リボルバー」


 鹿野と宍戸の声が揃った。「あれか!」と泉堂が合点のいったような声を上げる。不田房だけがその『銃』を──『アパッチ・リボルバー』を手に困惑の表情を浮かべている。


「不田房さん、記憶喪失困ります。今年の初めにパリが舞台の、アパッシュ──1900年代のギャングと自警団の舞台やったじゃないですか」

「やったよ、それは覚えてる。でもこれ」

「クライマックスの虐殺シーンで、当時実際に使われてた武器を使おうって話になって、小道具班に依頼したんだよな」


 アパッチ・リボルバーを手に取りながら宍戸が笑う。そう。そうだった。少しでも1900年代当時のリアリティを出すために、観客の目には留まらないかもしれないけれど、当時使われていた武器を調べて、小道具班に依頼して作ってもらったのだ。アパッチ・リボルバー。握り込めばナックルダスター……メリケンサックとして、ナイフが装着されているため至近距離での喧嘩にも向いていて、そしてリボルバーの名を冠するだけあってもちろん拳銃としても使用可能。200年近く前にこのような武器を考案した人間がいたということに、鹿野はいたく感心したものだった。


「ちょっと待って、思い出してきた……薄原すすきはらくんに依頼したんだよね? 3Dプリンターで作ってくれって」

「そうそう」


 不田房にアパッチ・リボルバーを返却しながら宍戸が肯く。薄原すすきはらカンジ。前回不田房が演出を担当した公演で、大道具・小道具両方の面で活躍したスタッフだ。


「でも使った覚えがない……」

「量産向きのデザインじゃないし、いかにも3Dプリンターで作りました〜って感じが出ちゃうと小道具としては不適格、って薄原さん言ってましたよ」

「記憶がない……」


 頭を抱える不田房からアパッチ・リボルバーを取り上げながら「良くできてるのになぁ」と泉堂がしみじみと呟く。


「これがたくさん出てくる舞台も面白いだろうな」

「薄原くんに依頼すれば、時間さえあればこのレベルのものを幾つか作ってもらえるとは思いますよ」

「ねえ〜……それで俺はどうしてそのリボルバーを木箱に入れたの?」


 困り果てた表情の不田房に、「知るか」「知らんよ」と宍戸と泉堂が応じる。

 だが、鹿野にはなんとなく分かっていた。


!?』


 というような理由で不田房は3Dプリンターで作られたアパッチ・リボルバーを箱に入れたのだ。間違いない。しかし、当の不田房の記憶が曖昧である以上、断言することはできない。何にせよ、箱の中身が爆弾じゃなくて良かった。本当に良かった。


おしまい。

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