交響詩《明暮》 ハ長調

小狸

短編

 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲、作品48に、「弦楽のためのセレナーデ」がある。


 最近では、さる企業のCMにも起用されていた曲である。


 私がこの演奏を最初に聴いた――というか観たのは、祖母の観ていた音楽番組であった。


 冬休みに祖母の家に帰省した時、それはやっていた。


 何となく年末が近くなるにつれて、当時中学生の私は、就寝時間が遅くなっていった。


 宿題は既に年明け前に終わらせてしまう派だったし、ゲームは中学時代まで禁止の家だったので、特に何かするでもない。

 

 ただ皆が寝静まった夜、リビングの大きなソファに横になって、祖母の家の空気を堪能していた。

 

 祖母は、音楽大学を出、地元でヴァイオリンの先生をしていた。


 厳しくも優しい人であった。


 私が高校の時に亡くなったけれど、今でも帰省すると、祖父と一緒に墓参りに行っている。


 私が何となく眠れない夜、祖母と一緒に音楽番組を良く観ていた。


 私には妹や弟とは違って音楽の素養はなかったけれど、祖母とそうして二人っきりで観る音楽番組は好きだった。


 その中で唯一曲名を覚えているのが「チャイコフスキーの弦楽セレナーデ」だった。


 その番組名が何で、どこのオーケストラが演奏していたかは忘れてしまったけれど、指揮をしていたのは日本人だった。

 

 冒頭。


 一音目から。


 もう、引きこまれた。


 その日は、日中に雪かきなどして、疲れていた日だった。


 なかばうとうとしながら、祖母と共にテレビを観ていた。

 

 のだが。


 その一音目の出だしと――何というか、上手く表現できないけれど、弦楽器奏者の方々のうねり、とでもいうのだろうか――動きが、私の目を瞬く間に開かせた。


 ただの音の重なりだということは分かっている。 

 

 違う音同士が重なり合って、それが音楽になっているという仕組みだけは、知っている。

 

 でも、それ以上、だった。


 それは、夕焼けであった。


 それは、夕暮れであった。


 景色が、あったのだ。


 はっきりとそのイメージが、私の目に映り込んできた。


 その放送では1楽章だけの演奏だった。


 演奏が終わって場面が切り替わり、キャスターとその指揮者の方が解説をしているかたわら、心臓がどきどきして止まらなかった。


 そして祖母に、何度も、「今の曲、何て名前?」と、確認するように聞いていたのを覚えている。


 これは絶対に忘れてはいけない、と、思ったからである。


 祖母は、私のその興奮をそっと受け止め、そして何度も教えてくれた。


 音大に進んだ妹と弟とは違って、結局私は、音楽に関連する勉強はしなかったし、就職先も音楽に関わるものにはならなかった。


 しかし、それでも。


 あの時観たあの演奏は、私の中に明確に刻まれていた。


 そして、先日。


 ある人物の追悼として、特集番組が組まれていた。


 その人は世界的指揮者として名を馳せた方であり、各地で数々の名演を残した歴史的な人物であったらしい。


 でも、ようやく私は、知ることになった。


 知ることができた。


 番組の最後に、その人物の指揮で演奏映像が流された。


 私は知らず知らずのうちに、涙を流していた。


 それは。


 あの日祖母と観た、チャイコフスキーの弦楽セレナーデだった。


 サイトウ・キネン・オーケストラ。


 小澤おざわ征爾せいじという名を。


 私は、忘れずにいようと思った。




《Symphonic Poem "Absorption" in C Major, Op.1》 is the END.



R.I.P.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

交響詩《明暮》 ハ長調 小狸 @segen_gen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ