第1話 2

『ガラスの駅と私を草結びしてほしいです。存在も怪しい都市伝説の類いというのは承知していますが、私自身もあまり公にしたくないことですので、もしも草結びを承諾していただけるのでしたら、波邇夜市の隣にある〝階瞬市かいしゅんし〟の〝階瞬病院かいしゅんびょういん〟まで来ていただきたいです。受付で鐘早の灰原のお見舞いと告げていただければ繋がるようにしておきます。依頼に応じられない場合は無視していただいて構いません。それでは、よろしくお願いいたします。2017年9月18日』


 放課後、放送部が活動中の間を抜けて手紙を回収した。


 女子特有な感じがする綺麗な文字で綴られた内容は、公にしたら嗤われそうなもので、灰原某が内密にしてほしい理由もよくわかった。問題はガラスの駅とやらがどんな都市伝説なのか、ということで決まるだろう。


 こっそり読んだ手紙を学生鞄の中へしまい、放課後の部活動という薔薇色に染まった校舎から逃げるようにして外へ出た。廊下を歩けば数多の掲示板を彩る勧誘ポスター、ガラスケース内で輝くトロフィー、コンクリート校舎を着飾る芸術同好会の垂れ幕や優秀なスポーツマン生徒を讃える垂れ幕たち、窓や校庭から溢れ出す歓声……部活動にも属さず、未来への明確な目標も見つけられない俺への痛烈な批判――というのは言い過ぎだし、よくない被害妄想だ。


 そんな薔薇色を背中にし、俺は曇り空と同化しかけている波邇夜の町に出た。


 雪深い東北地方の××県に存在するこの波邇夜市は、日本各地に点在する時代の流れに取り残されてしまった場所の一つだ。周辺を行き交うのは鐘早の生徒ばかりで住民の姿は少なく、こうして歩いている間に横目にした民家は空き家ばかりだ。


 玄関を覆う無秩序な植木、埃と蜘蛛の巣でおめかしした雨戸、郵便受けに詰め込まれた彼方のチラシ、廃車のような車……学生の通学路としては落第レベルの光景が波邇夜の全てを物語っている。


 そんな無秩序と辛うじて人が住んでいる民家の間を抜けると、見えて来るのが町を東西に分ける巨大な廃線だ。その廃線が行く地平線の終点にあるのは、かつて良質な水晶の産地として有名だった〝波邇夜山はにやさん〟だ。もう使われていない廃駅である〝南波邇夜駅みなみはによえき〟と一緒に忘れ去られた存在で、今では水晶の採掘も登山すらも行われていない。


 朽ち果てたままそびえる南波邇夜駅は線路と一緒にフェンスで囲まれているが、ホームはスプレーの色褪せた落書きで埋め尽くされている。もはや荒らす人もいないのだろう。お化けが出る、という怪談話すら存在しない廃駅だけど、これでも水晶以外の採掘もあったみたいで、雲上の楽園ならぬ雪上の楽園と称されていた最盛期の昭和初期では辺鄙な田舎村だった波邇夜に集った鉱夫たちを運ぶ巨大ターミナル的な存在だったらしい。尤も、俺が一時的に住んでいた頃から廃駅だった。


 廃駅とフェンスを横目にし、草臥れた灰色の住宅街を縫い、ちょっとした坂道の先、誰も手を付けない空き地に囲まれた場所に、俺が住んでいる学生寮はある。


 誰の土地かもわからない空き地に包囲されている中で五階建ては目立つ。夜に明かりを灯せば灯台みたいに空き地を照らすし、逆に空き地側からは俺たち学生の動きが丸見えになる。それでも不審者の噂がないのは、遮蔽物がなさすぎて近付けないからだろうか。


 その学生寮の名は〝落窪おちくぼ〟という。空き地だらけの中に建つやや不自然な西洋風建築の外見を持ち、駐車場だった広い正面広場から見上げると、シンメトリーに並ぶ腰までのアーチ窓が出迎えてくれる。厳重なカーテンに守られている窓もあれば堂々と室内を露にしている窓もある。


 そんな落窪の正面入り口は大きな両開きの扉が鎮座し、左右には観葉植物が置かれている。夕方になると俺のように帰宅した寮生が広場で駄弁っていたり、花火とか工作とかを楽しんでいたりする場所だ。


 制服姿のまま駄弁っている女子二人に軽く声をかけてから、俺は落窪の玄関を抜けた。


 まだ薄暗い玄関には銭湯にあるような下駄箱が左右に並び、寮生は渡された自分の名前入りのキーを差し込んで外履きと中履きを入れ替える。このキーが差し込まれていなければ帰宅していないというわけだ。ちなみに門限はアルバイトを除けば十九時まで。夕食は二十時からだから、その間は風呂に入るなり、自室で自習するなり談話室で寛ぐなりの自由時間となる。


 玄関横の窓から覗ける管理人室に人の姿は無く、内履きに履き替えた俺は一階の半分以上を占めるエントランスを抜けて、その両脇にある階段の右を上がる。左階段が女子寮、右が男子寮に続いている。


 寮住まいの芸術部員や美術部員が描いた絵画とかアートとかが飾られている絨毯敷きの階段を上がり、俺と淳二の部屋がある四階の角部屋405号室に向かう。その道中、


「おっ、和也じゃん。一人か?」


 隣部屋の同級生が廊下のソファーに座っていた。本を片手に寛いでいたようで、立ち上がろうとはしない。


「ああ、そうだ。渋谷しぶやさぁ、ガラスの駅って都市伝説知ってる?」


「ガラスの駅? 知らん」


「だよな」


「ネットで調べーさ」


「ネットの情報ってどこまで信憑性があるか……」


「その何とやらは都市伝説なんだろ? その時点で信憑性は皆無だろうよ」


 ぐう。


「信憑性が欲しければ図書館だろ」


「都市伝説を図書館……か」


「それかネットの海でも泳げば?」


「全ての高校生がネットに強いわけじゃないんだけど」


 それに対してカラカラと笑う渋谷を背中にし、俺は奥にある共用の洗面所を経由してから自室に入った。


 十七歳の男子二人が肩を寄せ合う部屋はとにかく簡素で、広場を見下ろすアーチ窓を中心にロフトベッドが左右の壁を埋め、その下に勉強机がある。クローゼットは入り口の左右に一つずつあり、開けっ放しの中に制服を詰め込んだ。


「ガラスの駅って実況されたことがあるのな。読んだか?」


「まだ何も」


 開けっ放しのドアからヒョコリ、と顔を出した渋谷は、俺にスマホを投げ渡して来た。それを落とさないようどうにか受け取り、表示されている画面を見てみた。



 

 ――ガラスの駅――


 ガラスの駅とは、日本のインターネットコミュニティにおいて、都市伝説として微かに語られる架空の鉄道駅のことである。


 事の始まりは2005年12月11日、とあるインターネット掲示板に投稿された実況形式の怪奇体験談である。現在掲示板そのものは消去されているが、管理人である当方が当時のやり取りを写真に収めていたため後世に伝えることが出来ているのが現状である。


 なお、投稿内容への反応は冷やかしや煽りばかりだったため、当方の判断で不適切と見なしたやり取りは切り取ってある。ご了承を。

 ここでは投稿者さんをAさんとしておく。


 68:A 緊急なんですが……相談してもいいですか?


 71:某 いいから言ってみ? 


 73:A 知る人ぞ知る霊山に来たんですが、気付いたら遭難してしまったようで……右も左もわからない状況なんです……。


 74:某 通報しろよ。


 76:A そうしたいんですけど……何故か電話が通じなくて……。


 78:某 でも掲示板に投稿は出来る。マジww。


 79:某 そもそも何で霊山に入った?


 81:A 雪山の写真とか映像を撮るのが好きなんです……。


 85:某 場所教えろ。こっちで通報してやるから。


 86:A ありがとうございます。あっ……ちょっと待ってください。


 90:A 遠くから電車の音が聞こえました。まだ動いてたのかな?


 91:某 いいから山の名前言えや。


 98:A 皆さん、ありがとうございます。駅がありました。照明も点いていて、これなら遭難しないですみそうです。


 116:某 Aどうした? 電車に乗れたか? 深夜だぞ?


 122:A 凍りついた感じがガラスみたいで綺麗ですけど……古い感じの木造駅舎は明るいし、人がいた気配もあります。だけど……誰もいませんでした。


 124:某 まるでガラスの駅だな。駅名早く。


 126:某 誰もいない? マリー・セレスト号みたいだな。


 127:某 いいから駅舎を出ろ。ヤバそうな感じだ。黄泉戸喫よもつへぐいは知ってるだろ? さっさと逃げるんだ。


 137:A あっ……電車が来ました。ホームにはいつの間にか駅員さんみたいな人が立っていて……。


 144:A 駅員さんに声をかけたら……「切符は?」と乱暴に聞かれたので、「持ってません」と言うと、「ここは稀人まれびとが来る場所じゃねぇ! 失せろ!」と凄まれました。逃げます。


 157:A どんな電車が来たのかなんて……それに乗客はよく見えなくて……。


 209:A いえ……怖いし寒いから……もう嫌です……帰りたい……弟も生まれたばかりなのに……。


 211:某 何回も言わせるな。山の場所は? 名前は?


 233:某 お〜い、A?


 Aさんが生きて帰れたのか、どうなったのか、何を見たのか、反響が意外にも大きくてやり取りに時間がかかったことに加え、帰りたい、以降の足取りが不明である以上、素人たちには何も出来ないだろう。ただ……数日後にとある山で遭難したと思われる女性の遺体が発見されたことは事実である。とはいえ、雪山じゃないのでそれがAさんかどうかはわからない。


 また、ガラスの駅について掲示板では様々な考察が繰り広げられたが、誰もが納得出来るようなものはなく、真偽も出所もわからないことが散乱してしまい、反響のわりにガラスの駅は忘れられてしまったようだ。


 我々は都市伝説調査隊でもないので、ガラスの駅についての真偽は不明である。続報を待つが、昨年に騒がれた都市伝説に酷似した内容のため、Aさんへのやり取りもその場限りのネタとしての反応も多かったことを付け加えておく。




「何だ……結局何もわからないのか」


「何言っちゃってんの。都市伝説なんてそういうもんだろ?」


 差し出された手にスマホを返すと、渋谷はズバババババ、と指を動かした。


「黄泉戸喫……稀人……マリー・セレスト号……はて」


「黄泉戸喫は……古事記とかに出て来るやつ。黄泉の食べ物を口にした場合、もう現世に戻れなくなるというやつだ。稀人は来訪者のことらしいぞ」


「マリー・セレスト号は……」


「一八七二年にポルトガル沖で無人のまま漂流していた船。都市伝説の中じゃ……船内を調べたところ、ほんの数分前まで乗組員がいたような状態だったらしい。珈琲は湯気をくゆらせ、航海日誌は文章の途中で途切れていた、だとさ。でも全部創作らしいぞ?」


「そういうもんなんかぁ〜……」


「んなことよりさ、日曜日になったらジュンジも呼んで『モンスターバスター』で遊ぼうぜ。談話室のテレビも使えば他の連中もゲーム状況がわかるからさ」


 ワイワイ、と休日の遊びを口にする渋谷だが、俺はそれよりもガラスの駅のことばかりが気になっていた。


 どうして灰原某はガラスの駅を求めているのか、俺はどうしてガラスの駅に心惹かれているのか、どうやってガラスの駅を調べればいいのか……色々と動かないと得られるものはなさそうだ。


 そう考えてやおら頷いた瞬間、灰色を破った春の黄昏がアーチ窓を越えて俺の顔を照らした。これが吉兆になるか、それとも凶兆になるのか、それを知るのはあの黄昏の持ち主だけだろう――なんて考えた瞬間、同じようなことが前にもあったことを思い出した。


 あれは確か……一時的に住んでいたこの町から離れる時だったかな……。

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