ドラグーンウィッチ

武田コウ

第1話 少女は竜の夢をみる

 ソフィアは夢を見る。

 見上げるほどの巨躯、艶やかな漆黒の鱗、知性を称えた美しい瞳。

 黒竜は、やけに人間臭い穏やかな表情を浮かべて彼女を見下ろす。

 ソフィアは恐る恐る、竜の足に触れた。つるつるとした鱗の奥に確かに感じる強靭な筋肉と、彼の体内を流れる灼熱の血潮。

 黒竜はゆっくりとその頭を下げて、ソフィアと目線の高さを合わせる。

 しばし見つめ合う一人と一匹。そして黒竜が口を開く。

「×××」

 そこでソフィアは目を覚ました。

 日課である水汲みをしながら、ソフィアはボーっと夢について考える。

 漆黒の鱗を持つ優しい瞳をした竜の夢……それは、彼女が物心ついた頃から何度も見たおなじみの夢だった。

 竜は、大昔に実在したらしい。村で一番の知者である大長老がそう言っていた。

 小山のような巨躯を持ち、その鱗は鉄より硬く、羽のように軽い。灼熱のブレスは近寄るものを丸焦げにし、その両翼を羽ばたかせれば駿馬よりも早く空を駆ける事ができたという。

 まるで信じられない話だ。まだオークキングやスケルトンロードの伝説の方が信憑性がある。

 第一そんなに偉大な生物が、地上の覇者ともいうべき力を持った竜が、なぜ滅んだというのだろうか?

 ソフィアの問いに、大長老は優しく微笑んで彼女の頭をそっと撫でた。

「おぉ、可愛いソフィア。強大な力というものは皆から恐れられる……竜はあまりに強すぎたが故、敵を作りすぎたのだ」

 たっぷりと水を汲んだ桶が二つ。少女の細腕で運ぶには少々重すぎる。

 慣れた日々の仕事とはいえ、水桶を井戸から家まで運ぶ重労働にはうんざりだった。

 小さくため息をつくソフィア。そんな時、彼女の鼻孔をくすぐるロマジータの花の甘い香り。顔を上げると、二本足で立つピンク色の小動物が、ロマジータの花を両手に抱えてぴょこぴょこと飛び跳ねているのが見えた。

 見たことのない動物だが、見たところ危険な動物には見えない。両手に花をかかえて一生懸命に移動する姿はとても愛らしい。

「花をどこに運ぶのかしら?」

 好奇心をくすぐられるソフィア。ちらりと両手に持った水桶を見る。水桶を家まで持って帰らなくてはお母さんに怒られてしまう……。ちらりと空を見上げる。太陽はまだ昇ったばかり、時間にはまだ余裕がありそうだ。

 自分を納得させたソフィアは水桶をそっと地面に置くと、ピンク色の小動物を驚かせないように足音を忍ばせながら、彼の後をついていく(この不思議な小動物が、ロマジータの花を何に使うのかどうしても知りたかったのだ)。

 小動物に気が付かれないように足音を忍ばせる。何もない辺境で育ったソフィアは暇つぶしで野兎を追いかけて遊んでいた(もちろん捕まえた野兎はその晩の夕食に並ぶわけで、暇も潰せて腹も満たせる一石二鳥の遊びだった)。その経験から、少女はある程度気配を消して動くという狩人の技術を身につけることに成功している。

 足音を消し、息を殺し、一定の距離を保ちながら小動物を観察する。

 見れば見るほど不思議な生き物だ。野生動物だというのに、まるで洗い立てのようなフワフワなピンク色の毛並み、大きさはいつも追いかけている野兎くらいだろうか、短い前足を器用に使って花を抱え、ぴょこぴょこと飛び跳ねて移動している。

 少し奇妙なことに気が付く。

 目の前の小動物は、周囲に対する警戒心というものがあまり感じられなかった。普通小動物というものは、捕食者におびえて周囲を警戒するのではないだろうか?(少なくともいつも追いかけている野兎の警戒心は凄まじい)。

 少し距離を取って尾行するソフィアに気が付く様子もなく、ピンク色の小動物はぴょこぴょこと楽し気なリズムを刻みながら移動する。フリフリと警戒に揺れるピンク色の尻尾が何とも言えず愛らしくて、ソフィアは夢中になって追いかけた。

 いくつかの茂みを抜け、やがて開けた場所にたどり着く。そこには見たことのないボロボロな小屋がぽつんと一軒建っていた。

 ピンク色の小動物は、迷いのない動きで小屋に向かってぴょこぴょこと飛び跳ねていく。

 そこでソフィアはハッと気が付いて周囲を見回す。

 見覚えのない風景。どうやら村から大分離れた場所までやってきてしまったようだ……。

 ”入らずの森”

 ぞくりと背中に悪寒が走る。

 それは村の外れにある立ち入り禁止の区域。幼いころから大人たちに口酸っぱく言われてきた言葉を思い出す。

 曰く「どんな理由があっても入らずの森に近寄ってはいけない。”辺境の魔女”に攫われてしまうから」と。

 目の前の小屋に向き直る。もしかして、あれが”辺境の魔女”の住処なのだろうか?

 ドクドクと心臓が早鐘を打つ。辺境の魔女なんて、ただのおとぎ話だと思っていた。危ない森に近寄る子供を叱るための、ただの作り話なのだと……。

 フワリと強烈な獣の匂いが立ち込めた。ハッと背後を振り返る。ソフィアの目の前には、一匹のやせこけたオオカミが歯をむき出しにしてこちらを睨みつけていた。

 魔女の家に夢中で背後の警戒を怠っていた。額からつぅーっと脂汗が伝い落ちる。

 オオカミの唸り声。体制を低くした肉食獣の姿に、ソフィアは自らの死を覚悟する。

 次の瞬間にもオオカミは飛びかかり、ソフィアの柔らかな肉を蹂躙するだろう。

 頭の中を走馬灯が駆け巡る。野兎を追いかけて遊んだ日々、母親の優しい笑顔、愛のある父親の拳骨……。

 そして、毎晩夢に出てくる巨大な黒竜。

 ソフィアは混乱する。なぜ死に際にまでこの竜と相対せねばならないのだろうか?

 黒竜はその知性を称えた美しい瞳でソフィアを見下ろす。少女と竜の視線が交差し、しばらくの沈黙が訪れる。

 やがて竜は口を大きく開けると空に向かって咆哮を上げた。

 大気がビリビリと震える咆哮。声自体になんらかの力が宿っているのではないかと錯覚するほどだ。

 ぎゅっと目を閉じて、静かに開く。

 黒竜は消え、現実が戻ってくる。目の前には今にも飛びかからんとするオオカミが一匹。先ほどは死を覚悟したその姿。しかし、幻影とはいえ見上げるほどの竜を見た後だ。やせ細ったオオカミ一匹、竜と比べるとソフィアと同じくなんとも小さな存在だろうか。

 恐怖が取り払われ、頭がクリアになっていく。まだ死ぬと決まったわけではない。

 チラリと足元に視線を落とし、そこに手ごろな大きさの石があることを確認する。前方のオオカミに警戒しながら、ソフィアはゆっくりと体制を低くして足元の拳大の石を手に取った。

 しびれを切らしたオオカミが飛びかかってくる。やせ細って力が出ないのか、オオカミのスピードはそれほど速くない。

 飛びかかってきたオオカミの横っ面を、拾った石で思い切り殴打するソフィア。オオカミは情けない鳴き声を上げて横に飛び跳ねた。

 反撃されるとは思っていなかったのか、オオカミは苛立ったような声を上げる。

 一方、ソフィアは苦い顔をしてオオカミを睨みつけた。

 できれば今の一撃で決着をつけたかったが、どうやら少女の腕力ではそれは難しかったらしい。やせ細っているとはいえ、相手は一流の狩人だ……二度目の不意打ちは厳しいだろう。

 その瞬間、ソフィアとオオカミの間にあった茂みから何かが飛び出してきた。

 ソフィアは「アッ」と声を上げる。

 それは先ほどまでソフィアが追いかけていたピンク色の小動物。

 小動物はぴょんと大きく跳躍して茂みから飛び出すと、なんとオオカミの鼻っ柱に向かって体当たりを仕掛けた。

 まさか牙も持たない小動物が向かってくるなんて予想もしていなかったのだろう。痩せこけたオオカミはその攻撃をまともに受けることになる。

 鼻を強打したオオカミは一歩二歩後ずさり、首を大きく横に降った。

 我に返ったオオカミは、怒りの視線を小動物に向ける。

 しかし、当の小動物はオオカミに対して全く恐怖心を持っていないらしく、キリリとした表情でオオカミの正面に立っていた。

「あぶない!」

 思わずソフィアは叫ぶ。

 ああ、あんなに小さくてフワフワな生き物が、オオカミにかなうはずがない。数秒後にはオオカミの強靭な顎でズタボロの肉塊にされてしまうだろう。

 しかし、次の瞬間起こったのは、ソフィアが全く予想していなかった出来事だった。

 小動物に飛びかかるオオカミ。しかし、オオカミの隣の茂みから飛び出す複数の小さな影が、その横っ腹に体当たりをしかける。

 不意をつかれ、木に叩きつけられるオオカミ。飛び出してきたのは、先ほどとは別個体のピンク色の小動物が3匹。それぞれ可愛らしいピンク色の毛を逆立てて戦闘態勢をとっている。

 何かがおかしい。

 オオカミもそう感じたのだろう。警戒したように周囲をキョロキョロと見回す。

 すると、周囲の茂みが一斉にガサガサと大きく揺れだした。

 一瞬の間が空き、オオカミは悔しそうな表情を浮かべて凄まじい勢いで逃走する。先ほどと同じように周囲の茂みにピンク色の小動物たちが潜んでいるのだとしたら多勢に無勢、いくら一流のハンターでも分が悪いというものだった。

 その戦いをソフィアは地面にペタリと座り込みながら、ポカンと大口を開けて眺めていた。幼い頃から森を庭のようにして遊んでいたが、兎のような小動物が結託して肉食動物を追い払うなんて聞いたことがなかった。

 そしてふと不安になる。

 眼の前のこのピンク色のフワフワたちは、ソフィアに襲いかかっては来ないだろうか?

 じんわりと額に脂汗がにじみ出る。今の所小動物たちに動きはない……しかし、先程のことを見るに、かなり好戦的な性格をしている動物のようだ。今のうちに逃げたほうがいいのだろうか?

 音を立てないようにそっと立ち上がる。そんなソフィアを、小動物たちはキョトンと首をかしげて見上げていた。

 しばし、互いに無言で見つめ合う。

「……危険はないのかしら?」

 おもわず呟いた独り言。

 しかし、背後から思わぬ返答があった。

「お前に敵意がないなら危険はないさ。コイツらは無差別に襲いかかるわけじゃない」

 振り返ると、そこには見たこともないような美しい長身の女性がいた。

 サラサラと風になびく、小動物と同じピンク色の髪。体のラインが浮き出るようなピッタリとした漆黒の衣服を身にまとったその女性は、辺境の村ではまずお目にかかることがないような、完璧で美しい顔立ちをしていた。

「……キレイ」

 思わず口にでたソフィアの言葉を、女はフンと鼻で笑った。

「そりゃどーも。しかしクソガキ、お前、なんでこの森に入ってきた? この森は”入らずの森”だと、そう教わらなかったか?」

 まるで男の人みたいなぶっきらぼうな口調が妙に馴染んでいる。

 ソフィアは女の問に恐る恐る答えた。

「見たことないピンク色の動物を追いかけていたら……気がついたらこの森に入ってしまって……」

「……なるほど。アタシの美意識でこの色にしてしまったせいで頭の悪いクソガキが釣れたわけだ……これは森の外に出す個体は毛色を変える必要があるかもだね」

 大きなため息をつく女。ソフィアは気になっていたことを尋ねる

「あなたは一体……」

 女は面倒臭そうに目を細めた。

「”辺境の魔女”……聞いたことくらいあるだろう?」

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