第81話 赤く染まる白いゴミ
ハイター・シロイネンは、王城へと全力で走っていた。
肥え太った体からは、まるで果実を握りしめたかのように大量の汗が溢れ出している。
「くそっ、あそこまでフラグナーが使えないとは!」
自分の権利を守るため、ハイターはライザー公を利用した。
公はこの国で最も武力のある家だ。
彼ならばクーデターを成功させられるだろう――と思っていた。
だが蓋を開けてみればどうだ?
たった一人の男に、一方的にやられているではないか!
彼の私兵は国で一番強いという触れ込みだったが、ただのハッタリだったか。
ライザーの側に一切勝ち目がないと踏んだハイターは、兵たちが混乱して逃げ出した隙をついて、こっそりその場から離脱した。
幸い、武装派の面々を襲撃した男は、この国の人物ではない。
ならば、今日をやり過ごせばライザーを影で操っていたことも誤魔化せる可能性がある。
「どうせフラグナーは、あの男に殺されるだろうからな」
兵士たちを虐殺した殺意の塊のような男が、ライザーを見逃すとは到底思えない。
武装派すべてが消えれば、ハイターがクーデターに拘わっていたことも闇に消える。
――口封じが勝手に完了する。
「さて、今後はどうすべきか」
イングラムにおいて最大戦力といわれていたライザーが消えた。
今後再びクーデターを起こすにしても、戦力がない状態では成功などありえない。
「……はあ。クーデターは諦める他なさそうだな」
とはいっても、エルヴィンなどという小僧に下るつもりはない。
武力で制圧出来ないのであれば、内政でこっそり足を引っ張ってやればいい。
「悔しいが、内側に武力がないなら、外側から引っ張ってくる他あるまいな」
幸い、ハイターは宰相であるため外国とのパイプラインが豊富だ。
内政をわざと停滞させ、そのすきに他国と内通して挙兵を促す。
そうして戦争状態になった時、内側から門を開いて一気に王城を落とさせるのだ。
「ふむ。悪くない案だな」
何年かかるかわからないし、国そのものが大きなダメージを受けるだろう。
しかし、そんなものはどうだっていい。
ハイターは自分の立場と、金と、権力さえ無事であればそれでいいのだ。
王城まであと少しと迫った時だった。
月に照らされた道の真ん中に、世にも美しい銀髪の女性が佇んでいた。
「どこへ行こうというのですか? ハイター・シロイネン」
女の言葉に、ぞっと背筋が凍り付く。
彼女の容姿は、一度見れば決して忘れないほどだ。
絶世の美女といっても過言ではない。
だが、まるで見覚えがない。
なのに彼女は、自分の名前を知っていた。
「まさか、エルヴィンの――」
そこまで口にしたとき、チッと耳元で音がなった。
ぼたぼたと、肩になにかがしたたり落ちる。
あまりに耐え難い痛みに、ハイターは両手で耳を押さえる。
しかし、
「な、ないッ!?」
右の耳がなかった。
あるはずの場所からは、ドクドクと血液が溢れ出す。
見回すと、足下に右耳が落ちているのに気がついた。
まるで気づけなかったが、耳が切り落とされたらしいことだけはわかった。
「きさま――あぁッ!!」
今度は左耳に激痛。
足下に、ぽとりと耳が落ちた。
やはり今回も、耳を切り落とされる瞬間がわからなかった。
これは非常にまずい。
このままでは、確実に殺される。
それだけは、絶対に嫌だ!!
「か、金ならある。いくらほしい? 一千万クロンか、二千万か……いや、もっと出そう。一億クロンだ! 平民になど一生拝むことが出来ない大金だぞ? それで、どうだ。見逃してくれないか?」
「……ふざけているのですか?」
「十億クロンだ! 頼む、見逃してくれ!!」
懇願するハイターに、女が落胆のため息を吐いた。
「宰相というから、どれほど優れた人材かと思えば……ただの豚でしたか」
「ぶ、ぶた、だとッ!?」
「ああ、ゴミと比べては豚に失礼でしたね」
「ぶ、無礼者が!! 貴様、私を誰だと心得――ぎゃぁぁぁぁ!!」
女が手を振った瞬間、手元からナイフが飛び出し、腕に直撃。
ナイフが肩を貫通し、腕が弾かれるように宙を舞った。
今度は、なにをされたかが見えた。
――いや、見せつけられたのだ。
肩口を押さえるが、血が止まらない。
両耳からも、ドクドクと流れ続けている。
「十億クロンで手打ちにするより、貴方を消した後でゆっくり全資産を頂けばいい。そうすれば、十億クロンを踏み倒されることもないし、より多くのクロンが手に入る――こう考えることすらせず命乞いをするから豚……いえ、ゴミと言ったのです」
「ぐ、ぬぅッ!」
「まあ、元よりエルヴィン様を愚弄し、クーデターを煽動した者を見逃すつもりはありませんが」
女がナイフを手にして、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
地面に腰を落としたハイターは、必死に後ずさる。
だが恐怖に震える足では、地面をうまく捕らえられない。
「た、助けてくれ。頼む、なんでもする! か、金だけじゃない。地位もやろう! そ、そうだ。丁度いま、公爵家が空位になったのだ。どうだ、イングラム王国の公爵を継いでみないか?」
「ああ……素敵」
「む?」
突然うっとりとした表情になった女の変化に、ハイターは痛みも忘れて首をかしげた。
まさか、助けてくれる気になったのだろうか?
「あなたのようなゴミが、エルヴィン様の手を煩わせる前に消せるなんて、幸せです」
「~~~っ!!」
彼女がうっとりしたのは、自分を殺せるからだったのだ。
狂ってる……。
ハイターの顔が恐怖に歪んだ。
「それでは、さようなら」
「ま、待て。待ってくれ! わたしはまだ死にたく――ピチュ」
振り上げられたナイフが顔面に突き刺さり、勢いのまま喉元まで切裂いた。
ハイターは即死。
自分が殺されたことを、しっかり認識した上で、慈悲なく殺されたのだった。
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