第71話 助けて……

「昔から、そういう甘いところが嫌いだったのよ。なんでも穢れなくまっすぐであれば、正義であるみたいな目をして、説教垂れるところなんてね。何度その頬を打ちたくなったかわからないわ。

 頬は打てなかったけど、その変わりいろいろと裏でやらせてもらったけど。気づいたかしら? ある時期から、妙にあなたの周りから人が離れて行ったの」


「まさか……」

「ええ、全部わたしがやったの。裏で噂を流して、支援してる司教や大司教をすべてあなたから引っぺがしたわ!」

「アンタの、せいだったのね」


「ええ。いい気味だったわ。一人で奮闘してる姿なんて、滑稽で滑稽で。うふふ。でもね、あなたが悪いのよ。何の実績もないただの田舎娘が、努力もせずに司教や大司教に可愛がられているんだから。分不相応っていうものでしょう? だからわたしが、偽りの信頼を消してあげたの」


 人が自分から離れていったのは、自分が間違ったからじゃない。

 カーラが裏で手を回していたからだったなんて……。

 これまで自らの手で固めてきた心の防壁が、ガラガラと音を立てて崩れていく。


「本当なら、気が済むまでその顔を打ちたいところだけど、あなたは教皇様への貢ぎものだし、我慢してあげるわ」

「……そりゃ、どうも」

「わたしの昇進のために、おとなしくしていてね……あっ、そうそう」


 一度立ち去ろうとしたカーラが振り返り、


「あなた、エル・テオス教を破門されたわよ」

「――ッ!?」


 巨大なハンマーが、ガツンと頭に振り下ろされた気がした。

 あまりの衝撃に、まともに呼吸が出来なくなる。


「それじゃあね、〝元〟聖女さま」


 カーラが牢屋出入り口の扉を閉めると同時に、目頭が急激に熱くなった。

 感情を高ぶらせてはいけないと思っていたが、彼女がいなくなったところで限界だった。


(泣いちゃダメ、泣いちゃダメ、泣いちゃダメ)


 逆境で涙を流した奴は、すべからく負け犬だ。

 なぜなら涙は、問題に対して手も足も出ない時に流れるからだ。


 自分にはまだ、出来ることがきっとある。

 ここから逆転する手段は、いくらでもある。

 自分は死ぬその瞬間まで、負け犬には絶対になりたくない。

 だから、ぐっと堪える。


「光魔法は……ダメね」


 手に填められているのは、魔法を阻害する封印枷のようだ。

 枷は一セット手に入れるだけで、家が建つ代物である。


「こんな高価なもん導入するって、相当ね。……それにしても、ここはなんなのかしら?」


 教会に牢屋が設置されているというのは、おかしな話だ。

 だから初めはカーラが、牢屋のある別の建物に運び込んだのかと考えた。だが、彼女が自分を一人で運べるとは到底思えない。


 協力者がいるかとも思ったが、そのような素振りは一切見せなかった。


 となると、必然的にここは教会の中(それも地下)ということになる。

 それならば、彼女一人でもニーナの体を引きずって運び入れることくらいは出来るだろう。


 であるならば、教会の地下にあるこの牢屋は、一体なんのために作られたのか……。

 そこまで考えて、ニーナは首を振った。


「そんなこと考えてる場合じゃないっての」


 今はここから脱出する方法だけ考えるべきだ。


 鎖を思い切り引っ張る。

 当然ながら、ちぎれる気配がない。

 特殊な金属の、それもかなり太い鎖だから当然だ。


「うーん、枷から抜けないかしらね?」


 試しに抜こうとするも、まるでダメ。

 骨が折れてもいい、くらいの気持ちで引っ張ったが、そもそも枷にはちっとも遊びがない。

 手首ごと切り落とさない限りは抜けないだろう。


「チッ。かなりきつく填めてるわね」


 もしこの場に刃があれば、ニーナは迷うことなく手首を切断する。

 枷さえ抜けてしまえば聖魔法で治療出来るから、自傷行為も思い切れる。


 だが、刃などこの場にあるはずもなく……。

 せめてなにか、使えるものはないかと見回すが、驚くべきことに牢屋には塵すらなかった。


「なんでこの牢屋、こんなに綺麗なのよ」


 汚い牢屋のほうがまだマシだと感じる日が来るとは思わなかった。


「はあ。アタシ、どうしてこんなに上手くいかないんだろう。任務が急激に減るわ、おかげで暇になるわ、久しぶりに任務が来たと思ったらへっぽこ勇者のお守りだわ。

 その勇者だって問題ばっかり起こすし、自重しないせいでアタシは任務失敗で、皇国に戻れなくなって。挙げ句の果てに親友だと思ってた人に裏切られるわ、教皇様には破門されるわ、ははは……元聖女になっちゃった。ほんと、なんでこうなったんだろう……」


 泣くなと叱咤したはずの涙腺が、再び緩み始める。


「頑張ってるんだけどなあ……」


 頑張っても、頑張った分だけの結果なんて出てこない。


『努力しても結果が出ない人種が、世の中にはたくさんいるのよ!』


「カーラ。アタシだって、努力しても結果が出ない人種の一人だったわ」


 口にすると、泣けてきた。

 歯を食いしばって、涙を堪える。


 神に祈ったって、意味がないことは知っている。

 どれほど敬虔な信者であっても、神様は直接助けてくれないから。

 人間を救えるのは人間だけだって、わかっている。

 けれどニーナは、祈らずにはいられなかった。


「助けて」


 孤独のニーナは、きっと誰にも救われない。

 それでも祈る。

〝こんな〟自分を救ってくれる人が、せめて世界に一人はいてほしいから。

 現実は、そこまで厳しくないって、信じたいから。


「誰か、助けて……」


 ぽつりとこぼしたとき、ニーナの頭に浮かんだものは、



 ――悪の貴族の顔だった。

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