第69話 幼なじみの大司教

 エルヴィンと別れた後、ニーナは丘の上にある教会に足を運んだ。

 この教会は大陸でも有数の敷地面積を誇る。

 規模だけでいえば、セラフィス聖皇国を除いて最も大きいだろう。


「こんな教会のトップやってるんだから、すごいわよね」


 本部で枢機卿になる者は皆、ここの大司教職を必ず経験している。

 ここに異動になると、たとえどのような役職であっても『栄転』と呼ばれるほどだ。

 それだけ本部はこの教会を重要拠点だと見なしているのだ。


 ニーナの友人――カーラはそんな名門教会に異動し、16才という若さで大司教になった。

 過去の類を見ない、驚異の大出世だ。

 ゆくゆくは枢機卿にまで上がるに違いない。


 教会で働く見習いを呼び止め、カーラを呼び出して貰う。

 返答があるまでの時間、ニーナは神像の前で跪き、神に祈りを捧げる。


 ニーナは決して、信心深い子どもではなかった。

 だが光魔法に目覚めてからというもの、神への祈りは一日も欠かしたことがない。


 その理由は目覚めの瞬間に、実際に神を目の当たりにしたからだ。


 光魔法を得た時のことは、今でもはっきりと覚えている。

 目の前に、人の形をした光が現われて、自分に向かって手を差しだしてきた。


 神の手を取ると同時に、頭の中に未来の情報が駆け巡った。

 情報の中には、自分が将来仕える相手が浮かんだのだ。


 いまとなっては、相手の顔立ちはすっかり忘れてしまったが、肩書きだけは覚えている。


(私が仕えるべき相手は勇者……だったのよね)


 神意に触れて以来、ニーナは神がそこにおわすと信じ、祈りを捧げ続けてきた。


 この世に平和が訪れるように、

 この世から苦痛が消え去るように、

 この世界の不平等が消えてなくなるように、


 ――どうか私に、悪を払う力を与え給え。


 力に目覚めた頃は、僅かな悪が許せなかった。曲がったことが大嫌いだった。

 聖女に求められるのは清らかさ、正しさ、光魔法の強さであると信じて疑わなかった。

 一時は『奇跡を振りまく郷里の聖女』などともてはやされた。


 けれどある時から、人が急に離れていった。


 これまで自分に付いてきてくれた司祭たちも、一人、また一人と離脱。

 気がつけばニーナは、一人で声を上げ続ける痛い子になっていた。


 大人になるとわかる。

 まっすぐなだけでは、人間は生きていけないのだ、と。


 だから少しだけ悪も許容した。

 曲がったことを目にしても、怒りを飲み込んだ。


 嫌われないように。人が離れて行かないように。

 少しでも聖女として、求められるように……。

 けれど、ダメだった。

 失われた信頼は取り戻せず、離脱した司祭たちは戻って来なかった。


(神よ。私は、本当にこのままでいいのでしょうか?)


 神は何も言わない。

 いつだって、手を差し伸べない。

 人を助けるのは、人の領分だからだ。


 祈りを終えた頃、背後から足音が聞こえた。


「ニーナ、なの?」

「カーラ。久しぶ――」

「シッ! ニーナ、こっちに来なさい!」


 ニーナは口を塞がれ、懺悔室に引きずり込まれた。

 カーラが扉の向こうを確認してから、


「あなた今、自分の状況がわかってるの!?」

「……それを聞きに来たんだけど、なんか答えわかっちゃったかも」

「はあ、相変わらず危機感薄いわね」


 カーラが額に手を当てる。

 その仕草は、かつて孤児院で自分を導いてくれた、姉のままだった。


 大司教になったっていうのに、なにも変わってないな。

 ニーナの胸が暖かくなる。


「いま、本部はてんやわんやよ? 勇者が一度討たれて、おまけにあなたが勇者に対して牙を剥いたっていうんだから」

「はぁッ!? 誰が牙を剥いたって!? それどこ情報よ!」

「ちょっと声! もう少し静かになさい!」


 カーラが目をつり上げ、小声で怒鳴った。


「ご、ごめん」

「牙を剥いたっていうのは、勇者の情報よ。それを聞いて、教会への謀反だって騒ぎになってるんだから」

「はあ……。それ、嘘だから。あの勇者、虚言癖があるから信用しないでって、本部に伝えてもらえる?」

「え、ええ」


 ニーナの剣幕に、カーラがたじろぎながら頷いた。


(まったく、とんでもない奴ね……)


 勇者がエルヴィンにより切り刻まれたことは、ファンケルベルクの街への道すがら、袋詰めになった状態でラウラから聞いていた。


 だが、それで勇者が死んだとは思わなかった。

 なぜなら彼には、皇国の秘宝である『復活の宝珠』が貸与されていたからだ。


 一度死んだら馬鹿も治るでしょうと思っていたが、馬鹿は死んでも治らないというのは本当らしい。


「彼がとんでもない性格だって噂は、ここまで聞こえてる。でも、ニーナの話を聞いて貰えるかどうか……」

「あー、そっか。あいつ、あれでも〝勇者〟だったわね」


 皇国がアベルを予言の勇者と認めた以上、その地位は教皇に次ぐナンバー2だ。

 その勇者の言葉と、ただの聖女であるニーナの言葉は重みが違う。

 たとえアベルに虚言癖があろうと、それを嘘だと正面切って言える人物は教皇しかいないのだ。


「教皇様に上訴は出来る?」

「無理よ。たかが大司教ごときが話せる相手じゃないってば」

イングラムの大司教アンタでも?」

「ええ、残念だけど」

「……そっか」


 枢機卿以上でなければ、教皇と直接言葉を交わすことすら出来ない。

 手紙だって、教皇の元にはほとんど届かない。


『勇者に虚言癖あり』などという手紙を下手に送ろうものなら、異端審問官がぞろぞろやってくるに違いない。


「今は諦めたほうがいいわよ」

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