第6話 魅力溢れる呪

 バーン! と扉が開かれた時、脳裏をかすめたのは石けんと化粧水だ。


 ついに、来たか……。

 なんと言われるか。やはり怒られるか。

 観念して、ベッドから起き上がる。


「なんだ、騒々しい」

「異常事態なので報告に上がりました!」


 ぐい、と近づいてきた。

 視界全部に、ハンナの顔。


 美女が迂闊に近づくんじゃない。

 童貞が勘違いするぞ。


 俺?

 大丈夫。9歳児だから。

 色欲なんて皆無だぜ。ハハハ。


「私の肌が――とても、綺麗になってます!!」

「…………は?」


 素でしらけた声が出た。

 なにいってんだこいつ?


「異常が出たら報告しろ、と言ったはずだが?」

「異常事態です、驚きです! こんなに綺麗になってるんですよ!?」


 たしかに、ハンナが驚きの声を上げるほどではある。

 少しくすついていた肌が、今では黒ずみの類いがなくなっている。

 肌の透明感があがり、毛穴も幾分引き締まったように見える。


「たしかに、綺麗になったな」

「エルヴィン様、あの薬水に変なものを入れましたか?」

「妙なものとはなんだ」

「たとえば……新しい呪いを仕込んだ、とか」


 使ったのは市場で普通に売ってたヤシの実だけだぞ。

 呪いなどあるはずがない。


 しかし、そうか。

 ハンナがこれほど驚くとなると、俺の計画の成功は保証されたようなものだな。


「ハンナ、悪いがヴァルトナー家にアポを取ってくれ。一週間後に話がしたいと」

「ヴァルトナーに?」


 一瞬、ハンナが仇敵を見つけたような表情を浮かべた。

 だから子どもの前で殺気をにじませるのやめぇや。


「問題か?」

「……いえ。お任せください」

「頼んだ」


 ふふふ……。

 元々綺麗なハンナでこうなのだ。

 世のご婦人方は、まず間違いなく夢中になるだろうな。


 呪い、か。

 くっくっく。

 言い得て妙だな。


 この商品は、まず間違いなく、ご婦人方にとっての呪いとなるだろう。

 これが無ければ生きられないほどの、な。


 ハーッハッハッハッハ!


 こうして、金策は順調に進んでいく。




          ○




 ヴァルトナー家は、ファンケルベルク家と対となる公爵家だ。

 ファンケルベルクが裏の顔ならば、ヴァルトナーは表の顔。


 王国内の流通や製造を行う者達のとりまとめを一手に担っている。

 二大公爵家が表と裏を牛耳り、王国内のすべてをコントロール下に置く。


 アドレア王国が誕生してから千数百年もの長きにわたり安定しているのは、この体勢によるところが大きい。


 学校が終わったあと、俺は馬車でヴァルトナー家にやってきた。

 目的は、石けんと化粧水を販売ルートに乗せることである。

 そのために、表の顔であるヴァルトナーを利用する。


 ファンケルベルクとヴァルトナーは建国時から、緊密に連携を取っている。

 そうでなければ、あっという間に国が荒れていたに違いない。


 だから今回も、初手から敵対的な反応はされないだろう。

 ……が、少しばかり緊張するな。

 召使いに案内されて、応接間に通された。


 中には既に公爵夫人が。

 しまった。少し到着が遅れたか。

 慌てて胸に手を当て、腰を折る。


「大変お待たせいたしました、ヴァルトナー夫人。本日は私のためにお時間を頂き――むぐ!?」


 急に視界が真っ暗になり、顔にやわらかいなにかが押し当てられた。


「大変だったわね。エルくん……。これまで、ちゃんと挨拶に行けなくてごめんなさい」

「も、もごご!」


 俺の視界を奪ったのは、ヴァルトナー夫人――エレンの分厚い胸部装甲だった。

 やわらか……ぐるじい……!


「でも、あなたの元気な姿が見れて、本当に嬉しいわ!」

「ご……ぐぷ……」

「今日はゆっくりお話――」

「お母様! エルくんが死んじゃうわ!」

「あら? あらあら、ごめんなさいね」


 やっと離してもらえた。

 あっぶねぇ……。

 勇者に殺される前に、エレン夫人の胸部でデッドエンドするところだったわ。


「エルくん……。お、お久しぶり、ですわね」

「う、うむ」


 ととと、と少女が上目遣いで近づいてきた。

 緩やかにウェーブする金髪に、赤いドレス。

 この幼い顔を見ただけでも、将来絶世の美女になるだろう想像がつく、愛らしくも美しい顔立ち。


 この少女はラウラ・ヴァルトナー。

 将来俺の後を追うように、勇者に処刑される悪役令嬢だ。


 ちなみに勇者をいじめていたのは、主にこの二人。

 他の取り巻きは、公爵家に逆らえずに追従していただけということで、謹慎のみで許されている。


 いまは可憐な少女なのに、高等部に入る頃にはよく切れるナイフみたいな目つきになるのか……もったいない。


「どうしまして?」

「いや、なんでもない」


 一つ咳払いをし、気持ちを切り替える。


「改めまして、お時間を頂き、ありがとうございます」

「いいのよ。エルくんなら毎日だってきてもいいんだから」


 花が咲くようにエレンがぱっと笑った。

 少し緩い雰囲気に飲まれそうになる。こういう部分は、さすがは公爵夫人。

 気をつけなければ、彼女のペースに呑まれそうなカリスマを感じる。


「本日こちらに伺ったのは、とある商品の販売をするためです」

「あら? エルくん、将来は商人を目指しているの?」

「いえいえ。基本は裏を取り仕切りますよ。これはあくまで副業です」

「ふぅん。売りたいのは、どんなものなの?」

「それではこちらをどうぞ」

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