死んでしまった好きな人を救うためタイムリープする話

宮ジ

プロローグ

第1話 私は死んだ

 「あたし、ミギワの書く物語が好きなの」

 誰もいない教室で、窓から差し込む斜陽を全身に浴びながら────ソラはこう言った。私はなんて言ったんだっけ。たしか照れ隠しで考えなしなことを口走ってしまったような気がする。それをソラは笑ってくれた。

 「ホントに尊敬してるんだよ? ミギワの書くセリフって、あたしとすごく波長が合うんだ。言ってて気持ちいい。呼吸ができてる気がする。あ、もちろん物語だけじゃないよ、好きなのは」

 「や、やめてよぉ。褒めたって何も出ないよ?」

 「出してくれないの?」

 「えっ」

 私の机に座ったソラは身体をしなやかに曲げて私を見つめた。大きな釣り目の中にある黒い瞳が私を捕らえて離してくれなかった。仕草も相まってまるで上品な猫のようだ。

 「お、お金?」

 「なわけないじゃん! あたしの方がよっぽど稼いでるって」

 じゃなくてさぁ、とソラは私に手を伸ばす。髪をさらりと撫でて頬に触れる。余裕そうに、からかうように微笑を湛えている。

 「ミギワといれば、あたし、どこまでだって行けるんだよ」

でも私は分かっていた。演技力の高さで恥ずかしさを押し殺しているだけだ。ソラは私以外でロクにこういうスキンシップを取ったことが無いから。

 斜陽で伸びた影と影が重なり合っている。オレンジ色に染まった床が私たちを際立たせている。

 「私も……」

 頬にあるミギワの手に、私は自らの手を重ねた。ピクッ、とソラの肩が跳ねた。彼女の脈動が伝わって来た。バクバク、ドクドク、と早鐘を打って、私の次の言葉を今か今かと待ち構えた。

 「私も、ソラと一緒なら────」

 その後、私はなんと言ったんだろうか。

 その後、私たちはどうなったんだろうか。

 靄がかかったように思い出せない。浮かび上がれないところにまで沈んでしまっていて、いくら藻掻いたところで泡を無駄に吐くだけの意味の無い行為だと思えた。

 パチパチパチ。拍手の音が聞こえる。私もそれを打ち鳴らしている。

 「ヨウコー! おめでとー!」

 私の隣にいる大学の同級生がおしゃれに着飾って嬉しそうに叫んでいる。彼女の視線の先には純白のウェディングドレスを着た、別の大学の同級生がバージンロードを歩んでいる。

 「ねぇ、ミギワ! ヨウコめっちゃ綺麗だよ!」

 友人が私の袖を引っ張って感慨深そうに言う。人の幸せをこんな素直に祝えるなんて、なんていい子なんだ。

 「あ、う、うん! そうだね……」

 先ほどまで夢の世界にトリップしていた私は、表情を取り繕って曖昧な返事をするしかなかった。

 そうだ、今日は友人の結婚式に招待されていたんだった。わざわざご祝儀を払ってまでなんで他人の幸せを祝わなきゃいけないんだろう、って少し憂鬱だった。そこまで考えて、私ってなんて卑しい人間なんだろう、と自己嫌悪に陥った。結婚したヨウコはすごく綺麗で、幸せってこういう形で外に現れるんだ、と思った。心がささくれ立っていた私は、明日世界が滅べばいいのにな、と思った。

 だから少し飲み過ぎた。招待客だからシャンパンが飲み放題だったのだ。私は一人暮らしのアパートに帰ってベッドに倒れ込んだ。今が夜の十一時。明日は七時に起きて、出社して仕事……明日はゴミの日だから忘れないようにしなきゃ……シャツも洗って乾燥機にかけて……。

 なんとなくの癖でスマホを起動してエックス(旧ツイッター)を見た。愚痴や有識者(笑)の提言に溢れていて、みんなこんな汚泥のような穢れを胸に秘めながら何食わぬ顔で生きているのか、と吐き気がした。トレンドを見ると、『白眉はくびソラ』という単語が目に入った。

 「ソラ……」

 それをタップすると、ネットニュースが出てきた。ソラが結婚したらしい。高校生の時より美しくなったソラが何か大きな賞を受賞したようだ。そういえば公開された映画がすごく好評だったことを思い出した。

 高校生の頃から『認められる』ことが夢だと言っていた。私からとっくに認められていると思っていたけれど、ソラは一ファンの目線からしてずっと努力し続けていた。その努力が認められたようで私は嬉し────

 ブルーライトに照らされた掃き溜めみたいな私の部屋を見てしまった。

残業続きでロクに寝れないし食べれない。いつも酒を飲んで悪酔いして辛いことに蓋をする。クソ上司、クソ残業、クソクライアント、クソ後輩、クソ東京、クソ税金、クソ労働時間、クソ休日、クソ自分……。

 夢を捨てて選んだ道がこれか。

 無様なものだ。

 キラキラした栄光の道をひた走るソラと自分を比較してしまって、私はトイレで今日食べたものを全て吐き捨てた。医者から貰った薬を飲んで、布団に包まって身体を縮こませてじっと耐えた。医者から言われた。考えることがダメだと。思考回路を変える訓練をしましょうと。精神の病は、まず変わろうとする意志からですと。

 そんなものは無い。私が夢を捨ててこんな没個性の一般人の最下層に成り下がったのは全部世界が悪いんだと、私は悪くないんだと、私は被害者だと、そう悲劇のヒロインぶるのためにはひたすら私以外の構成要素を全て恨み続けて泣き続けないといけない。じゃないとあの頃の私が正しくて今の私が間違っていたことになってしまうから。変わってしまうことは現状の否定になる。どうか放っておいてくれ。私の人生に無遠慮に触れないでくれ。私の心は皮が無くて肉がむき出しになっているから空気に触れるだけで痛いんだ。私の喉は狭いんだ。何も飲み下すことができないんだ。無理矢理嚥下しようとすれば痛みが生じるんだ。拒絶するんだ。虚しいんだ。この虚しさを埋めてくれる何かを探しているんだ。人間として何かが欠けているんだ。他人との関わりで自己を構成する量子的な人間だから一人になったら途端に無気力になって、他人からの眼差しで決定される自己が嫌で抵抗したいけど手を離されるのは怖いんだ。他人の気持ちを考えすぎて嫌になって自分の気持ちに正直になっても自分の気持ちすら分からないんだ。嫌なことはあるけどしたいこともないんだ。人生で満足を得られたことがないんだ。もう死んでいいくらいの満足を味わいたいんだ。何か一つでも自分に胸を張って誇れるものが欲しいんだ。一体自分は何者なのかずっと照明したいんだ。クソだ。クソすぎるんだ。世界じゃなくて私がだ。

 本当はこんな自分も全部全部肯定してほしい。自分で自分を肯定したところで、自分とは常に他人との比較において存在するのだから無意味なんだ。だって世界には自分の他にも残念ながら人間がいて、関わっていくしかないのだから、せめて、せめて誰かに肯定してほしい。自分を肯定してほしい。

 ────あたし、ミギワの書く物語が好きなの。

 「もういやだ……」

 ダメだ、それを言うな。それを言ったら、全部が────

 「ソラ……会いたい……」

 私は布団の中で惨めったらしく泣き喚いた。

 「本当は私だってソラが大好きだった……受け入れたかった……! キスしたかった、ずっと、ずっと一緒に生きていたかった……!」

 私は叫んだ。

 「高校生の頃に戻りたい……! 謝りたいよ、ソラぁ……っ!」

 いつしか意識を失って、気づけばそこが朝になっていた。クソが。呼んでもないのに明けやがって。

 いつものように粘着質な泥のように重い身体をサーベルみたいに引き摺って、酒臭さをシャワーで洗い流して、着替えて出社の途中に朝食を買う。エックス(旧ツイッター)で愚痴を吐いて、何食わぬ顔で道を歩く。

 そして、また、いつものようにトレンドを見た。依然として『白眉ソラ』がトレンド入りしていて、流石大人気女優だ、と傷ついた。傷つく癖にトレンドを見てしまう馬鹿野郎だった。

 それをタップするとネットニュースが出てきた。ソラが自殺したようだ。

 「………………………………は?」

 私は吸っていたゼリー飲料を路上に落とした。自殺? なにが? え? 昨日受賞したばっかりで? 震える指でスワイプする。自宅で首を括ったらしい。遺書があったことから自殺と判断されたようだ。

 ゴシップ週刊誌がスクープしていた。遺書には、高校の同級生らしき名前が書かれていた、と。死者を侮辱するな、とネットが荒れていた。そんなことはどうでもよかった。高校生の時ソラとまともな交流があったのは私だけだ。

 ソラは死の直前、私を思い浮かべていた。彼女が自殺したのは昨夜。私がソラを想っていたのと同時刻だ。

 「行かなきゃ……」

 私は何かに引っ張られたように身体が傾いて、気づいたら走り出していた。パンプスは走りづらいから脱ぎ捨てた。転んでタイツが破れて酷い血が出た。暑いからオフィスカジュアル三千円の上着も脱ぎ捨てた。

 「ソラ……!」

 高校卒業後にソラから連絡が来て、現在の住所を教えられた。私は一回も行ったことが無かったし、ソラからもそれ以上連絡が来なかった。でも何度も何度も行こうとしたし、覚えてしまうほど住所を睨みつけた。その度に私にそんな資格はないんだと諦めた。

 お願いだから住所を変えていないでくれ。ソラ。ごめんなさい。私に勇気が無かったから、手を放してしまったから、ソラ、考えすぎかな。私で苦しんでくれたの? 私はソラで苦しんだよ。自業自得だけど。もう間に合わないけど。今この行為に意味があるかなんか分からないけど、お願いだから、お願いだから。

 もはや誰に祈っているのか分からなくなった時、ソラのマンションの前に着いた。エントランスには溢れるほど多くのカメラと人々がいて、それだけでここにソラが住んでいたことが分かった。

 もう、遺体は運び込まれてしまっているのだろう。今は、きっと関係者がソラのマンションを訪ねてくるだろうと待ち構えているのかもしれない。記者たちが血眼になって涎を垂らしながらうろうろと視線を彷徨わせている。

 その騒ぎで、ソラがどれだけ有名人になったのか、と、ソラは死んでしまったんだ、と自覚した。

 私の、意味って、なんなんだろう。

 あの日ソラの手を取らなかった意味って、なんなんだろう。

 ソラに照らされていた私の癖に、私ってなんなんだろう。

 ああ、クソが。

 クソが……。

 クソって言ってる私が一番クソだ。

 「なんだ?」

 記者の一人が人込みの前で佇み、マンションにも入れない私を見つけた。

 「誰だ?」

 「関係者か?」

 わらわらと人々が集まってくる。無遠慮にカメラを向けられる。シャッターが焚かれて目が眩む。

 「この顔……もしかして白眉ソラの同級生じゃないか!?」

 スマホと私を見比べていた記者が叫んだ。その声と共に、あっという間に囲まれた。

 「遺書に書かれていたのはあなたというのは本当ですか!?」

 「なぜあなたが書かれていたのだと思いますか!?」

 「あなたは白眉さんとどういう関係なのですか!?」

 三百六十度から唾が飛ぶ。私はたじろぐばかりで、言葉を吐き出そうとしても向こうのギラついた目と私の心の瘡蓋をかき回す無遠慮な言葉の手に掻き消されてしまう。私は大きな音が苦手だから、喉が竦んで声が出ない。

 「ふざけるなッ!」

 怒声が響く。フラッシュと質問攻めが止む。誰だ? 一人の男が記者の海をかき分けて私の胸倉を掴む。

 「宗田ダイゴだ……」

 記者の一人が呟く。私が思い出す。たしか、ソラと熱愛報道が出ていた俳優だ。ソラは熱愛を否定したはずだ。

 「お前がソラを追い詰めたのかッ!」

 宗田は青筋を立てながら叫ぶ。恐ろしくて、びっくりして、ヒュッ、と喉が締まった。

 追い詰めたって、何を────

 そう問いかけようとしたら、私は宗田に突き飛ばされてしまった。脚がつんのめって道路に倒れ込んでしまった。ちょうど車が通りがかっていて、クラクションの音に耳がキンとなって吐きそうになった。ごちゃっ、と頭が割れた音がした。目が飛び出て首が折れて脳漿が噴き出た。私は死んだ。

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