逃げるが勝ち

駒井 ウヤマ

逃げるが勝ち

「先任中尉、修理完了致しました。・・・・・・取り敢えず、ですが」

「取り敢えず・・・か」

 新生オーストリア帝国陸軍、ニコル・ウェルナー中尉は頬を掻きつつ、そうぼやいた。

「で、その実は?」

「は。核融合炉自体に損害はありませんが、リアクターに損傷でもあるのか出力が上がりません。従って、巡行速度は50%、戦闘速度は70%と機関長は・・・」

「機関長は死んだぞ」

 これを見ろ、とニコルは艦橋内を顎でしゃくり指した。ただし、正確には『だったもの』という留保が付くが。

「リアクターの面倒を部下に任せて、こんな所にいたからだ・・・なんて言っては罰が当たるか?」

「言うに事欠いて、こんな所とは。取り敢えずは艦長となった方の台詞とは思えませんね。艦橋は、戦闘艦の城でしょう?」

「城ねえ・・・。こりゃ、どっちかと言えば廃墟だな、廃墟」

 何せ、艦橋『だったもの』の状態は惨々たる有様だ。

 窓代わりの硬質プラスチック製モニターは悉くが割れ弾け、外からは風が吹き込んで来ている。加えて床といい机といい、開けた場所という場所のあちらこちらに電子機器の残骸が無造作に転がるその空間は、成程確かに艦橋と言うより廃墟が呼称としては望ましい。

「それになあ、副長。艦長ったって、俺は飽く迄『代理』だぞ。そこまでの気概が要るか?」

「失礼しました。ですが中尉」

「何だ?」

「面倒なので、『代理』は省略させていただきます。第一、それを言うなら私も副長『代理』でしょ」

「まあな。それで?」

 報告はどうなった?と目で問うと、「失礼しました」と痛々しく頬に傷を負った副長『代理』となったレオポルト・ホルベイグ少尉は頭を下げ、再びファイルへと目を戻した。

「ええと・・・各ブロックからの報告に依りますと、当艦の損害状況は巡行用レーダー全損、射撃管制システム全損、第1第2砲塔大破、と。そのようになっております」

「操艦は?」

「ここのメイン操舵は御覧の通り死んでますが、幸いにも階下にあった非常用の操舵システムは生きていました。小官の携帯端末とシステムをダイレクトに繋ぎましたので、ここからの操艦も可能です」

「ふうん、不幸中の幸いってやつか」

「何です、それ?」

「東洋の諺だよ。しっかし、ボロボロの船体に、たった2人の艦橋要員とは・・・正に、満身創痍だな」

 やれやれ、とニコルは肩を竦めた。

「こんな状態で、敵地に一艦ぼっちとは。まったく、ツキが無いな」

「月ならあるじゃないですか?」

 ほら、とレオポルトが指さす先には、星空の中に浮かぶ真ん丸な形の月の影。そう言えば、今日は満月だったか。

「・・・あの月は、無くてもいいんだがなあ」

 ただでさえあちこちから煙を上げているこの艦はよく目立つというのに、月明かりに煌々と照らされていては嫌でも見えてしまうだろう、敵から。

「それで・・・どうしましょう、艦長。一応、第3砲塔は生きていますが・・・先行する、味方艦隊を追いますか?」

「馬鹿言え!それより、副砲含め、各砲塔へのエネルギー供給は切れ」

「良いんですか?」

「良いも悪いも無い。使いもせん部署に回すのなら、その分を機動に回した方が役に立つというものだ」

「分かりました。おい、機関室!エネルギーは全て起動系に回せ!」

 通信機に向かって怒鳴り上げるレオポルトを背にし、ニコルは艦長席へと腰かける。飛来した破片でズタズタに切り裂かれ、真っ赤に染まったクッションは背中を預けて気持ちが良いものでは無いが、この際、気にすることでは無い。

「艦長!機関室より、取り分を増やしたことで、巡行速度は60%まで回復する見込み!」

「良し。では、我が艦は戦闘不能故に作戦行動不可能と判断、急ぎケルン基地へと帰投することとする。良いな!?」

「りょ、了解しました!」

 そう言って、取って付けたような敬礼を返したレオポルトは、慌てて艦長席の近くの椅子に腰かける。誰の席かは知らないが、少なくとも文句を言える奴はヴァルハラへと旅立ったのだから、構いやしない。

「ふう」

 レオポルトにバレないように小さく溜息を吐くと、ニコルは艦長席に備え付けの通信機を手に取った。

「各員へ通達!艦長代理、ニコル・ウェルナー中尉だ。当艦シュトッツガルドはこれより、戦域を離脱して出発基地へと帰投する。以上!」

 では発進!と、どことなく上擦ってしまった声で命じると、レオポルドも同じような声で応える。どうやら、緊張しているのはお互い様らしい。

「了解!180度回頭、微速前進!」

 3時間ぶりに始動を始めたホバークラフトが巨体を持ち上げ、グラグラとした危なっかしい揺れがニコルたちを襲う。

「なん・・・とも・・・いけるか?」

「それこそなんとも」

 しかし、ゆっくりと加速を始めたシュトッツガルドは、その生来の馬力の良さをたちまちに取り戻してゆく。

 そして、艦首を母国の方へと向け終わり、さあ巡行速度へと移そうとした、次の瞬間。再び大きな衝撃音が、ニコルたちを襲った。

「何だ!?」

「各ブロック、報告と損害状況報せ!」

 初めにニコルが最悪の事態として想定したのは、動力炉のトラブルだ。若しそこが駄目なら、艦を捨てるしかない。

『機関室より報告、異常なし!』

『操舵室より報告、異常なし!』

『こ、後部甲板より報告!て、て、敵影を見ゆ!』

 南無三、現実は非情であった。それは人間如きが行う最悪の想定なぞ、一息で飛び越えてゆく。

「後部甲板、敵状は分かるか!」

『艦影1、その姿から・・・ロイアル・ソヴリン型陸上戦艦の可能性90%』

「よりにもよって、戦艦かあ。ホント、ツキがありませんね艦長!」

 しかし、そんなレオポルトの軽口も、今のニコルへは届かない。彼の脳裏にあったのは1つだけ、『逃げ切れるか?』、それだけだ。

「少尉、機関部への損傷は無いんだな!?」

「は、はい!どうも、敵弾は後方側舷へと命中した模様と・・・」

「貫通は!?」

「今のところ、報告はありません!」

 なら、是非は無い。

「良し、ならばシュトッツガルド、全速前進だ!」

「艦長!?」

 レオポルトのそれは、まるで悲鳴のようだった。

「ソヴリン型なら、当艦の方が優速だ。一度引き離してしまえば、そのまま逃げられる!」

 仮に今、全速を出したことでこの後機関部がダウンしようと問題無い。全速力が数百㎞も出せれば艦は帝国領内へと戻れるのだし、出力をセーブしてこのまま撃たれ続ければ、どの道彼らに助かる道は無い。

 しかし、そんな彼の意思を知ってか知らずか、バタバタと数人の士官が艦橋へと転がり込む。

「艦長、具申します!」

「何だ!?と、言うより誰か!」

「し、失礼!小官は砲術士官のフェアデナントと申します。それより艦長、急ぎ第3砲塔の再稼働を!」

「ならん!」

 フェアデナントの具申をニコルは郁子無く跳ね除ける。

「お願いです、艦長代理!敵艦を見て攻撃せんのでは、軍人としての鼎の軽重が問われます。1発だけ、1発だけですから!」

「仮に復旧させたとして、シュトッツガルドは管制システムから何からまとめて機能停止しているのだ。どうやって当てる心算だ?」

「直接照準と、目視で!」

 ニコルは、言葉を失った。この士官連中はこの時代に、トラファルガーをやらせろと言っているのだ。

「どうか、艦長代理!」

「ならんと言った!」

 ギロリ、とニコルが精神力を総動員してその士官たちを睨めつけると、彼らも『代理』とは言え艦長に逆らう無謀さを思い出したのか、グウと黙り込む。

「わ。分かりました。しかし・・・」

「何だ?」

「小官と艦長代理は同階級です。今は役職上お譲りしますが、帰投後、しかるべき筋に当件は報告させていただきます」

「承ろう。そして・・・帰投したいのなら、邪魔をするな!」

 グワン、と再度大きな衝撃が艦を襲う。どうやら敵は、諦めてはいないようだ。

「ほら行け!損害状況を調べてこい!」

「わ、分かりましたよ・・・行くぞ!」

 来た時と同じようにバタバタと響かせる足音が遠ざかって行くのを確認し、ニコルは「ハア」と大きな溜息を吐いた。

「宜しいので?」

「放っとけ、何も出来ん。それより連絡は・・・」

「おっと。機関室、全速前進!」

 やがて、シュトッツガルドはその速度を急激に上げて戦域から、何より自身を狙う敵艦から離れて行った。3発目は無かった。

 そして、数十分後。

「各ブロックより報告、付近に敵影は見えず。また機関室より、再度の全速先進は不可なり、と」

「分かった。ここからは出せる分だけでいい」

「了解。機関室、巡航速度のままで」

「ま・・・取り敢えずは、勝ったか」

「勝った・・・のでしょうか?」

 思わず独り言ちたニコルの言葉に、レオポルトは訝し気にそう反駁した。

「失礼ですが艦長。我が方は死傷者多数、損害数多、オマケに1発も砲を撃っておりません。これでどうして勝ったと?」

「なんだ少尉、知らんのか?東洋の諺に、こんなものがあるそうだぞ」

「また東洋ですか・・・で、どんな?」

「なんでも、『逃げるが勝ち』だとさ。無事逃げ切れたんだ、勝ったとしよう」

「はあ・・・」

 しかし、レオポルトは納得がいかないようで、尚も眉を顰めた。そんな彼を横目で見つつ、ニコルはヒラヒラと手を振って見せる。

「それにだ、少尉。俺は生きて帰れたし、お前も生きて帰れたんだ。だったら・・・少なくとも負けじゃないだろう?」

「そういうものですか?」

「そういうものだ」

 そう、戦域全体や艦隊としてはどうだか知らないが、少なくともイチ軍人のニコル・ウェルナー中尉からすれば、生きて艦を持ち帰れたのだ。それは少なくとも、彼の中では『勝ち』の分類だった。

「しかし艦長。なら、恐らくはあのソヴリン型の艦長も、今頃はそう言っているでしょうね。『敵を追い払ったんだから、俺たちの勝ちだ』って」

「いいじゃないか。こっちも勝ったんだから、向こうにも勝たせてやろう」

「・・・・・・釈然としませんね、それ」

 まあ、ニコルにもレオポルトの気持ちは良く分かる。片方が勝てば、もう片方が負けというのが彼らの知る戦場のルールだから。

「ま、少尉。難しい話は後で考えるとしよう。今は・・・」

「今は?」

「何もすることが無いからな。仮眠でもさせてもらおう」

「はあ!?」

 大仰に驚くレオポルトを尻目に、ニコルは被っていた艦長の形見である軍帽を顔に被せて大きく伸びをした。

「じゃあ、おやすみ」

「ちょ、ちょっと待って下さい!良いんですか!?」

「ま・・・取り敢えずは、な」



 

 

 

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