そして、ついに……

神在月ユウ

同棲の末……

 朝日を感じて、あたしは目を覚ました。


 ダブルベッドから起き上がり、寝室から出る。


 2LDKの賃貸マンションのキッチンには、彼氏が包丁を握っている。

「おはよ、美咲みさき

「おあよ~、達也たつや


 振り返らずに、絶賛同棲中の彼氏――一条達也いちじょうたつやはネギを刻みながら挨拶してくれる。

 対してあたしの挨拶はあくび交じりだ。


「とりあえず、シャワーでも浴びてくれば?」

「ん~、そうする~……」

 

 平日の朝、6時50分。

 あたしはシャワーを浴びて眠気を吹き飛ばし、ドライヤーで長い髪を乾かす。

 

 再びキッチンに戻ると、達也ははしを持ってダイニングテーブルへ持っていくところだった。


 7時10分、既に朝食が出来上がってテーブル上に並んでいた。

 達也、いつもながらナイス。

 れる。

 違った、もう惚れてた。


 白米にワカメと豆腐、ネギの味噌汁。小鉢の金平ごぼうとベーコンエッグ。

 とても甲斐甲斐しく尽くしてくれる達也、素晴らしい。

 濡れる。

 ……いや、嬉しくて涙出そうって意味ね?


 金曜日の朝である。

 達也が用意した朝食を口にしながら会話を進める。


「美咲、今日は?」

「多分8時は回ると思う」

「じゃあ、もし予定変わりそうなら連絡して。夕飯の時間調整するから」

「先に食べてていいんだよ?」

「いや、一緒に食べたいし」


 最後、ちょっと視線を逸らす達也。

 なんてかわいらしいところを見せてくるのか。

 抱きたい。

 ……いや、ハグって意味ね?一応。



 8時10分、ばっちりメイクをキメてから、家を出る。

 おっと、金曜日だから資源出しておかないと。

 ビニール袋にビールとハイボールの空缶を詰めていく。


 ゴミ置き場に缶を置いてから、駅へと向かい、電車に乗る。

 満員電車の中で、なんとなくスマホを取り出す。


 しかし、適当に眺めるだけで、あたしの思考は別にある。


(結婚、かぁ……)


 付き合い出して5年。

 同棲して4年になる。

 

 達也から、まだアプローチはない。

 同棲が長いと結婚のタイミングを逃すというのは本当かもしれない。

 

 どこかで「愛は3年しかもたない」と聞いたことがあるが、あたしはそんなことない。むしろ、どんどん『好き』が大きくなっている。


 それと同様に、不安も大きくなっている。

 

 達也はまだ好きでいてくれているのか。

 元々自分が強引に迫った部分もあったし、この同棲もあたしから切り出したものだし。


 バッテリー残量が半分を切っているスマホを視界に収めながら、会社の最寄り駅へと揺られていった。






「で、不安でしょうがないってわけ?」


 昼休み、会社の食堂で、同期の女性社員は呆れ顔でため息をいた。


「仲いいんでしょ?直に聞いちゃえばいいじゃん。結婚のこと考えてる?って」

「え~~」


 そう言われ、しかし「そうする」などとは頷くことはできない。


「ミサキチのカレって、バリバリの草食系じゃん。多分プッシュしないと動かないんじゃない?」

「そう、かな……?」

「付き合い出したのだって、ミサキチが押し倒したんでしょ?」

「違うし。あれは念入りな計画の元に発生した既成事実だし」


 そう、あれは念入りな下調べの上で起こした必然だ。

 お酒の力を借りたことは事実だ。

 終電がないと言って彼の家に泊めてと頼み、シャワーを借りたのも事実だ。

 シャワーの後、バスタオルを巻いて彼の前に立ったことも事実だ。


 だが、先に手を出したのは、彼の方だ。


 ……そのはずだ。


「っていうかさ、その同棲中のカレって、毎朝ご飯作ってくれてるんでしょ?」

「うん」

「夕飯もカレ?」

「うん」

「洗濯も?」

「…うん」

「掃除も?」

「……うん」

「ミサキチは?」

「………ゴミ出し…?」


 同期は盛大なため息をいた。

 そんなにあからさまにすることないじゃんか。


「あのさ、ミサキチ君。なんでそんなにカレが甲斐甲斐しく尽くしてくれてると思う?こんなズボラで家事を一切しないポンコツ三十路女を」


 そこまで言わなくてもいいじゃんか。

 というか、歳は同じじゃん。


「あたしのこと、好きだから?」

「半分正解。カレさ、多分ミサキチに嫌われたくないから、必死なんだよ」

「え?あたし、達也のコト、すっごい好きだよ?」

「はいはい、んなことわかってるっての。でもね、カレはカレで、ミサキチに好かれたいと思ってアレコレ世話焼くわけよ。いいカレシでいようとしてさ」


 確かに、達也は理想の彼氏だ。

 理想の旦那様だ。

 きゃっ、旦那様だって!

 照れちゃうな~。


「でもさ、そういう状態って、ふつっと切れちゃうこともあるわけ。『俺は一体何やってんだろう』って」

「……えっ?」

「だってさ、カレだって仕事してるんでしょ?それなのに、ミサキチの世話まで全部やってるわけじゃん?その使命感というか、『嫌われたくない!』っていう気持ちが、ある日突然疑問に変わった瞬間、三十路のグータラ女相手に何やってんだろうと正気に戻るわけ」

「いや、そんな大げさな――」

「マジでさ――」


 言葉を遮って、同期が呆れ顔で告げる。


「そのまんまじゃ、結婚どころか捨てられかねないよ?」







 もやもやを抱えたまま、あたしは午後の仕事をしていた。


 達也があたしを捨てる?

 んなバカな。


 そうやって同期の言葉を一蹴するが、不安が覆いかぶさって来る。


 もうこんなもやもやを抱えたまま仕事なんてできない。


 あたしは切りのいいところでパソコンをシャットダウンし、帰宅準備を開始した。


 時刻は午後6時30分。

 多分7時過ぎには家に着くだろう。






 時刻は7時5分。

 緩い上り坂に差し掛かると、ちょうどマンションが見えてくる。

 いつも、ここから二人の愛の巣から漏れる白い光を見てにやにやするのが日課だ。

 もう~、愛の巣とか恥ずかしいな~。

 自分で考えておいて恥ずかしがりながら、いつも通り部屋を見上げる。


「……あれ?」


 そこで、違和感に気づく。


 いつもはともっているはずの部屋の明かりが、今日は消えている。

 部屋は間違っていない。

 他の家はしっかりと明かりが点いているのに、自分の部屋だけぽっかりと黒く塗りつぶされているのがわかる。


『捨てられかねないよ?』


 ふと、昼間の同期の言葉が蘇る。


 そんなわけない。

 

 あたしは気持ちの焦りを早歩きという形で表しながら、家路を急いだ。




 ガチャガチャ――

「……え?」


 ドアノブに手をかけると、鍵が閉まっていた。

 いつもなら、達也は夕飯の支度をしているはずなのに。


 開錠して、玄関に入る。


 中は暗かった。

 外から見た通り、照明は点いていない。


「達也~?いないの~?」


 恐る恐る、暗闇の中に声をかけるが、しんと静まり返った部屋から返る声はない。


 廊下の照明を点ける。

 そのままリビングダイニングに入って照明のスイッチに手をかけるが、なぜか点かない。

 

「達也…?」


 やはり、返る声はない。


 スマホで光源を確保しようとするが、電池切れだ。


 廊下から入る照明の光と、カーテンの合間から微かに覗く月光を頼りに、ダイニングテーブルまで辿り着く。


 一枚の紙が置いてあった。


 暗くてよく読めない。


「書置き…?」


 手に取ると、ちょうど窓際からの月光で、その一部が読めた。


『――家から出てく――』


「え…………」


 思考が、固まった。

 

 え?どゆこと?


 出てく?


 ここから?なんで?


 達也が、出てく?


 ここから、いなくなる?


 あたし、捨てられた……?



 思わず、その場にくずおれた。

 しばらく、呆然となる。


 理解が追いつかない。


 本当に、自分は捨てられた?


 なんで?


 ずっと好きだったんでしょ?


 あたしだって、ずっと好きだったよ?


 ずっと、ずっと、お互い好きだったでしょ?


 中学卒業後、もう会うこともないのかと半ば諦めて、でも10年越しに出会った。


 10年越しの成就。


 5年前に、やっと報われたのに?


 あたしが、だらしなくて、全部達也に任せっきりで、甘えてばっかりで、それで、こんなだらしない女に失望して、


 出て、行っちゃった…?


「やだよ……」


 思わず、口に出した。


「別れたくないよ……」


 気持ちが、自ずと溢れてくる。


「悪いとこ、直すからさ……」


 自然と、目頭が熱くなる。


「ご飯も作るし、掃除だって交代でやるし、我がままも言わないからさ……」


 感情と共に涙腺から頬を伝う、涙。


「だづやと、いっじょにいだいよ~……」


 一緒に鼻水まで、垂れてきた。


「がえっでぎでよ~~、だづや~~」


 年甲斐もなく、大泣きしてしまう。


 


「あれ?美咲帰ってたの?」



 不意に、背中越しに声をかけられた。


「え?」


 振り向くと、そこには大きなビニール袋を提げた、達也が立っていた。


 え?なんで?出ていったんじゃないの?


 いや、そんなことより――


「がえってぎてくれた~~、ごべんね~、悪いどご直ずがら~、ずてないで~」


 困惑する達也を余所に、思わず彼の脚に抱きついて、わんわん喚いてしまった。






『LEDが切れたので買ってくる。家から出てくだった先にあるジェーズでんきに』


 改めて、明るくなったダイニングで、椅子に座って書置きの中身を見た。


「ごめん、早とちりした」

「いや、うん、なんかごめん」


 あたしはずっと俯いたままで、達也もなぜか謝罪を口にしていた。


 結局、達也はLED電球が切れたから近所の電器店に買い物に行っていただけだった。

 閉店前にと急いでいたが、もし早めにあたしが帰ってきたらと思い、書置きを残したそうだ。スマホにもメッセージが入っていたが、電池切れであたしは確認できなかった。


 ちなみに、『家から出て下った』ではなく『家から出てくだった』と書いたのは、達也いわく「ゲシュタルト崩壊して漢字が出てこなかったそうだ。


 紛らわしい書き方すんな。


「じゃぁ、部屋も明るくなったし、夕飯にしようか」

「ん……」


 うまく返事ができない。

 勘違いが恥ずかしいし、情けないところも見せてしまった。

 さっき顔を洗ってきたが、涙と鼻水を垂らしてメイクも半端に落ちた変な顔を見られてしまった恥ずかしさで、消えてしまいたい。


 そんなあたしの様子を見て、達也は頭を掻きながら、何かを考え出した。

 こういう時、気を遣おうとしてくれるのが達也だ。

 やっぱ、優しいな。


 達也は一度腰を上げたところで、再び椅子に座った。

 何か考えながら、口を開こうとして、でもやめて、を何度か繰り返した末、意を決したように言った。


「結婚、しよう」


「………………え?」


 理解が追いつかない。

 今なんて言った?


「結婚、しよう」


 聞き間違いじゃない。

 結婚しようって言われた。

 今、ポロポーズされた。

 求婚された。


 嬉しい。

 すごく、嬉しい。


 ――のだが、


「なんで今?」


 なぜこのタイミングなのかがわからない。

 彼氏にフラれたと勘違いから泣き喚いて、微妙な空気の中で夕飯の準備をするような展開で、なぜここで?


「多分、俺がはっきりしないから、美咲のこと不安にさせたんだ、って思って」


 たどたどしくも、達也は説明した。


「とりあえず、元気だしてもらおうと思って、それで」


 嬉しい。

 嬉しいよ?

 

 でもね?


「少しはシチュエーション考えろぉぉぉっ!!」


 狂喜と安堵から思わず叫んだあたしは、ダイニングテーブルをバンバン叩いてしまった。

 だいたい、「とりあえず」ってなんだ「とりあえず」って!

 プロポーズはとりあえずでするモンじゃないだろ!


 達也は反射的に「ご、ごめん!」と謝罪を口にしたが、そこでの謝罪にまたあたしは余計にヒートアップした。




 え?返事?


 もちろん、OKに決まってるじゃん。


 達也、覚悟しておけよ。


 今夜、たっぷりと思い知らせてやる。


 あたしがどれだけあんたのこと好きなのか、その身にたっぷり刻み付けてやるから。


 明日が土曜日でよかった。


 多分、ろくに睡眠時間なんて取れないだろうから。

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