レイニー・ドールとそれなりの逸話
荘田ぺか
序章 ある午後の不機嫌
序
その日のおやつはキャラメルイチゴクレープだった。意図してそれが選ばれたのか、はたまたただの偶然なのか。その朝に初めての『錬金術』のテストをパスした少年は、実に盛大に飛び跳ねて喜んだ。
少年の持つ固有魔法は物質位相空間の座標転移。つまるところ、彼が『飛び跳ねた』ことによって『空間』と『空間の内部物体』にずれが生じた。さらに砕いて言うならば、大きく地面が揺れたのだった。当然ながら城付きのパティシエが運んでいたクレープはパティシエの手から滑り落ち、床が美味しい思いをしたわけである。
テレスという名のその皇太子は、その凶悪な固有魔法のみならず生来の多動で我儘で癇癪持ちの性格で、使用人を困らせない日はない大問題児であった。おまけに正常な魔力を循環させる血液に問題があったものだから、骨髄移植のためにデザインされて生まれた妹は、造血幹細胞だけでなくその生き様までも兄の介護をするために使われっぱなしだ。その影響か、コンスタンティナという少女はどうにも自我に乏しく、兄とごく近しい使用人相手としか会話をすることがないことでこれもまた使用人たちの悩みの種だった。
クレープが崩れたことを知った皇太子は、城の全ての人物が想像した通りに大騒ぎした。厨房では耐震魔法をこれでもかと張り巡らせ、門番は城門が崩れないように門を閉鎖し、広間のシャンデリアが激しく鳴るのはその場にいた使用人が咄嗟に防音魔法をかけて大人しくさせた。振動がおさまった頃、兄妹の側近であるヤンは平常運転で彼らの部屋をノックした。
「失礼。……ええ、失礼を」
ヤンは深くため息をつく。ベッドの上で大泣きを続ける皇太子とそれを慰めるように頭を撫でる皇女の図は、ヤンにとっては二日に一回は見る馴染みの光景だ。
「コンスタンティナ様。そろそろやめて問題ありませんよ」
「やだ!」
食い気味に答えるのはまだぐずっている皇太子の方だ。やめて良いと言われた皇女の方は首を傾げる。
「テルがやだというから、やめないの〜」
無表情のまま間延びした声音で答える皇女に、皇太子はまた強く抱きついて鼻水を彼女のスカートで拭う。
「クレープが食べたかったのに! 絶対イチゴがないとやだ!」
皇太子が騒いでいる理由はこれである。作り直そうにも厨房はイチゴを切らせているらしく、バナナならあるという。キャラメルソースも皇太子のこだわりで、イチゴにはチョコが合うとかバナナの方がキャラメルに合うとかの理論もまるで通用しないのが彼だ。
「錬金術なんて嫌いだったのに! もっと嫌いになった。もう全部嫌いだ、お前もこっちくるな」
泣き喚きながら手頃なクッションをヤンに投げつけるが彼の足元にも届かない。クッションをヤンにぶつけるという命を受けたと認識した妹の皇女は別のクッションを手に取り、振りかぶって投げる。彼女の固有魔法である剛腕により、壁に当たったクッションは見るも無惨に破裂した。
「はいはい。では交渉しましょう、殿下」
ヤンは背後で弾けたクッションに見向きもしないままベッドに歩み寄りそばに膝をつく。皇女が再び真顔でクッションを構えるのはそっと制止した。
「交渉なんかしない!僕はテストを受けた、ご褒美にシティと一緒にイチゴクレープを食べる。それしか認めない!」
シティというのは彼のつけた妹の愛称だ。妹は困った様子もなくただ首を傾げている。泣きべそをかいたまま一応は顔を上げる皇太子の顔を覗き込んで、ヤンは続ける。
「イチゴクレープは約束しましょう。ただし夕餉の後です。それまでに材料を手に入れて厨房の者に全く同じものを作らせます」
「やだ!」
そう言うだろうと思った。彼にとっては絶対に今でないとならないのだ。ヤンは頭を抱えることなく次の策を提案する。
「では、待っている間にゲームをしましょうか」
「やだ!」
これも想像通りの反応。そこでヤンは視線を皇女に向ける。
「コンスタンティナ様もご参加いただけますよ。お二人で協力してゴールを目指す国取りゲームです」
「国?」
妹をダシにする作戦だったが、その前にそちらの単語に皇太子は反応したようだ。トンデモ皇太子とはいえ将来は国を担う立場─になることができればの話だが─の自覚はあるようで、ゲームの内容に興味を示したようだ。帝王学の成績も良いとは言えない彼だが、この機会にゲームででも勉強になれば良いだろう。ヤンはゆっくりと頷いた。
「ええ。ルールはこうです」
ヤンは立ち上がり手を叩く。彼の固有魔法である空間拡張により、寝室の家具は全て壁の中に消えるように移動して少年少女はだだっ広い床に放り出された。
「痛い!」
今度は尻餅を打ったことに文句を言って顔を歪める皇太子を尻目に、床にはマス目模様が広がって二人の足元のマスは赤く、ヤンの立つマスは青く色づき淡い光を放つ。
「簡単です。最終的に自分の色を多く手にした方が勝者です。ターンごとに陣地に隣り合うマスに移動し、各マスの指示に従い『課題』をクリアすることでマスを手に入れることができます。『課題』の難しいマスではさらに周囲のマスを手に入れることができます」
「マスの中身はわからないの?」
テレスが足元のマスに目を落とす。徐々に気持ちがゲームに向いてきた様子にホッとしたのは表に出さぬままヤンは頷く。
「入ってみないとわかりません。内容を見て難しそうなら棄権もできますが、そのターンはそれ以上動くことができません」
「ふーん……、なら難しいマスを当ててそれをクリアできた方が有利なんだ。運ゲームなのはつまんないけど」
「そういうことです。もちろん課題は厄介ですよ」
「どんなふうに?」
「それはやってみてのお楽しみでしょう。では先行はお譲りしますよ」
まだやや不機嫌そうな顔のテレスだが、頷いて赤いマスの中央に立った。背後のコンスタンティナは何も理解していないような顔だが、兄についていくつもりでちょこんと後ろに控えた。
「これ、そっちの陣地を奪うこともできる?」
「そうですね、できますが……、それよりも自分の陣地を広げる方が得策です。相手の陣地を飛び越えて自分の陣地にすることはできないからです」
例えば、と例示するように足元のマスを黄色く光らせる。四方を黄色で囲まれた無色のマスが白く点滅した。
「この白マスには入ることができません。場の端も囲いを作ることができます」
「それなら……、角を守ればいいんだ」
「その通り。ただし斜めに移動することはできませんので……、よく『考えて』くださいませ」
ヤンはにやりと笑んでみせる。皇太子は勉強も剣術も苦手だがプライドだけは一級品だ。ない知恵を絞って勝ちにこだわろうとする姿を見るにつけ、クレープから気を逸らせる作戦は成功と言えるだろう。そんな使用人の気など知らず、テレスは床と睨めっこしていた。
「じゃあとりあえず、横から守る。シティ行こう」
妹の手を取り隣のマスに移ると、足元のマスには『課題』が浮かび上がる。
─次のうち、元素の性質として正しくないものはどれか
『熱』 『水』 『乾』 『湿』─
テレスはうえぇと顔を歪めた。今朝受けたテストの内容そのままなのだからそれはそうだ。
「なにこれつまんない。ただのお勉強クイズじゃん」
「そうおっしゃらずに」
ヤンはくすくすと笑いだす。テレスは不機嫌そうに「水」と答え、マスは赤く光った。
「テルすごいの〜」
呑気に皇女が拍手を送る。つまらなそうにしていた皇太子の表情は少しばかり明るくなった。
「こんなの簡単だよ。アリストテレスの提唱した四大元素の性質で、第一質量と組み合わさることで元素を生むんだ」
「すごいの〜」
なんでも肯定する妹相手に得意げに語っている間に、ヤンは自分の前側のマスを取得していた。どうぞという呼びかけに、次も余裕だと言いたげにテレスは次は前側のマスに進む。
─三十秒以内に倒せ─
次の「課題」はシンプルだった。二人が首を傾げていると、目の前には戦闘訓練用の藁人形が登場する。
「なにこれ!」
「つまらない問題ばかりではないでしょう? ああもちろん、お二人で挑んでいただいて結構ですよ」
ヤンの声音は楽しそうだ。しかしその言葉が終わるか終わらないかのうちに戦闘人形はその役目を終えていた。天から落ちてきた大剣に貫かれ、それを引き抜いた勢いそのままに縦に呆気なく両断された藁人形は、周囲3マスを赤く染めながら消滅していった。
「お見事」
ヤンの拍手を受けながらコンスタンティナはその大剣を担ぎ上げる。
「このまま持っていていいの?」
「ええ。また同じような課題があるかもしれませんからね」
「わかったの〜」
愛用の剣を携えたコンスタンティナはいくらか機嫌良さそうだ。テレスは真顔で一部始終を眺めていたが、ムンと口を結んで腕を組む。
「まあね! シティは強いから、次また何がきても簡単だよ」
「テルのために頑張るの〜」
二人のいつもの光景、である。ヤンは内心安堵しながら次の1マスも順調に青く染める。本格的なゲーム盤ではないので、お互いにもう1マスも進めばぶつかることになる。右に行くか左に行くか、次の作戦を練りながら兄妹の動きを見守った。
「さっきみたいに一気に取れるといいのに。ねえそういうマスのヒントはないの?」
テレスは欲が出て次の手を考えあぐねているようだ。ヤンは顎を撫でる。空間を作った主であるからには当然その答えは知っているのだが、易々と答えてしまうとゲームにならないだろう。
「残念ながら、殿下」
それだけ答えて目を細める。彼の目の前にはボーナスマスがあり、両脇は普通のマスである。最初の一歩が横に逸れたとはいえ、だいたい全てはヤンの予想通りに進んでいた。面倒くさがりで一撃必殺が好きな我儘皇太子のことだからひたすら前に進んでくるだろう。そう見越してそれで勝てるように設計してあるのだ。皇太子はしばらく唸っていたが、まっすぐ前に進むことにしたようだ。問題は『課題』の内容である。
─重要な順に並べよ
『富』 『名声』 『安寧』─
ヤンの予想はこうだ。テレス少年は何よりも妹との平和で安心する世界を求める。国の進退や国際情勢といった難しい問題は二の次、まだ幼い彼にはそれで良いとも思っている。よって選ぶ順序は『安寧』『名声』『富』だ。なおこの問題はどのように答えても正解としている、何よりもこのゲームの目的は『暇つぶし』であるからだ。しかし少年は真剣に悩む様子を見せた。
「富……、国の財政のこと? それなら大事だよね、隣の国に負けてられないし、お金がなくちゃ僕のご飯もおやつも買えない。名声……、よくわかんないけど、えらいと思わせた方がいい。安寧……?」
テレスは隣の妹を見た。なにもわからないといったふうに足元を見つめていた少女は、兄の視線にわずかに笑む。
「安心する〜ってことだと思うの」
皇女はそれだけ伝えて、また三つのワードに目を落とした。皇太子はいよいよ考え込み、ヒントを求めるように使用人を見遣る。思いがけず主人が思案する姿に驚いていたヤンはしかし、首を横に振った。
「ご自身でお考えください」
いよいよ集中の限界がきて足踏みをする皇太子に静かに声をかけて、もう一度選ばせるようにそれらの単語を空中に投影するように浮かび上がらせる。順に触れというように単語は明滅した。
「わかんないっ! おやつもえらさもシティも大事だ!」
癇癪のように叫んだ皇太子が選んだのは『それらの単語にまとめてタックルする』という答えだったようだ。よく考えて答えを出すのかと思いきや選択を放棄したその姿にヤンは呆れつつ、床に転げた皇太子に緩い拍手を送った。
「ご名答です、殿下。しかしながら現実には全ては手に入ることはありません。……このように、順番に訪れます」
一度全面が赤く光った床はそれきり無色に戻り、ヤンが手を叩くと部屋の調度品が全て元の位置に戻ってきた。それと同時に慌ただしく部屋の扉が開かれ、司厨が転がり込んできた。
「殿下! お、お待たせしました。大変。その、おやつのお時間です」
予定よりも早い到着だ。ワゴンに乗せられたクローシュが開かれる前にすっかり気分がおやつに向いた兄妹はテーブルに駆けつけ、行儀よく椅子に座った。銀の蓋が開かれればそこには、これ以上の騒ぎはごめんだとばかりに実に丁寧に慎重に盛り付けられたキャラメルイチゴクレープが二つ綺麗に聳えていた。ヤンは胸を撫で下ろした。
それからすっかりご機嫌を取り戻した皇太子と皇女。平和な夕餉─もっとも夕方にクレープを食べてしまったものだから二人とも完食には時間がかかった─を終えて夜の読書、そのうちに眠気を訴える子供達をベッドに戻して、使用人の一日もようやく終わりを迎える。
「まったく困ったお人です。私のようなスーパー執事がもう一人いれば楽なのですが」
自室の鏡に向かってごちる言葉は八割本気だ。とはいえあの問題児たち、担当したい使用人が他にいるわけもない。
そんなヤンの苦心も知らず、ベッドに横たわり手を繋ぐ少年少女はとうに夢の中。明日こそ平和におやつを食べられるか否か、それだけが彼らの大問題なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます