草の独り言

椿 恋次郎

草の独り言


 もっと平和に生きられんのかねぇ。

 馴染みの蕎麦屋で上がりの蕎麦湯をすすりながら見るとはなしに店内を眺める。

 視線には退屈と眠気を乗せて、晴れた空の雲でも眺めるが如し、これがコツだ。

 旅姿の若い浪人者、コイツはシロだ。

 だが1つ向こうで握り飯をほうばってる爺様、あれはよろしくない。

 無造作に置かれた杖は常に手元近く、まず仕込みだろうねぇ。

 そんな物騒な手合いを今日は朝から三人も見かけてる、関わりたくないねぇ。

 切った張ったなんざ今日日きょうび流行らない、少なくとも曽祖父ひいじい様の頃には実家の喧嘩道場の門下生にだって人斬りなんざ居なかったって話だ。

 太平の世、徳川様の治世は盤石なのだ。

 

 ま、実家も戦剣法いくさけんぽうの道場をうたっちゃいるが町の権太ごんた共のガス抜きと人夫出しみたいなものだ。

 世は事もなし、夜は床にあり、そんな暮しが一番なのだが儘ならないのが世の常なのか。

 実家の裏稼業が忍者なんて世も末だね、何代にも渡り地域に根付く草として地味に生きてくのは望むところだが無駄に目端が利くと落ち着いて昼寝も出来やしない。

 今どき伊賀だ甲賀だ風魔だなんざ御伽草子でも流行らないだろう。

 仕込み杖の爺様は何時の時代の御仁なのか古臭い忍び合図の茶器を並べてる。

 付き合ってられるか、蕎麦代を置いて店を出る。

 川沿いの裏道を抜ければ程よい腹ごなしとなるだろう。


 川面を抜けて頬を撫ぜる心地良い風を切り裂き手裏剣が飛んでくる、避けて目端で捉えると十字手裏剣。

 そんなもの実家にも残ってないぞ。


「何者か?」物陰に一応聞いてみる。


「そりゃこっちの台詞だよ若いの、動きたいの動き気配に乱れは無かったが店を出る拍子が不自然だったよ」ふいと姿を表した、何が嬉しいのか薄ら笑いの気色悪い、蕎麦屋で見かけた爺様だ。


「それだけで投げ物を放るとは手癖も根性も悪すぎないかい?」袖懐そでふところには石礫が三つ、他は寸鉄一つ帯びてない。


「儂が出した忍び合図は店にいた客の呼吸の裏拍子をついたものよ、広すぎる視野も考えものじゃな」見た目の年とは裏腹な速度で仕込みを構えて詰めてくる。


 ああ畜生、まだまだ俺も修行が足りないって事か。

 もはや問答無用と迫る爺様の構えは変則の逆手抜刀、ギリギリまで間合いを隠すつもりなのだろう。

 敢えて踏み込み距離を潰す、抜かせてたまるかと爺様の手元を抑えに行く。

 不意に仕込みを差し出してくる爺様、反射的に柄を掴む、しまった仕込んであるのは刀では無く手槍だ、掴まされたのは柄では無く槍の穂鞘だ。

 えい、ままよ、掴んだ穂鞘を押し込み肩からぶちかます、フワリと後ろに跳び退き抜いた手槍で間髪入れず襲い来る爺。

 上体を泳がせ穂先を避けながら穂鞘を放り投げる、その陰から石礫を一つ、また一つ間隔をずらして指弾で跳ばす。

 爺め、お見通しとばかり首を傾けるだけで石礫を避けて手槍を突きこんでくる。

 崩れた体勢では避ける事も叶わない、爺は勝利を確信したのか、にやりと相好を崩し必殺の突きに体重を乗せてきた。

 眼前に迫る刃、仕込み槍だけあって通常の槍より遥かに短い穂だが首や目を突ききれば必殺となろう。




 よかった、定石通りすねももを狙われなくて。




 石礫を仕込んだ手ぬぐいを槍に絡めて軌道を逸らす。

 相手に背を向け逸らした槍を肩で担ぐように弾きとばす。

 肩に残る獲物の感触から未だ槍を握り手放してないのが分かる、ここだ、数少ない口伝の忍術を放つ。


 

 ――――忍法 魂戮喰たまくじき――――



 魂の一部を食い千切られたかの様に苦しみに顔を歪める爺、その程度で堪えられるとは流石だ。

 奪った手槍で留めを刺して川に流す、この川沿いは人通りも少なく流れも早い、夕暮れまでに見つからなければ遥か下流へおさらばだ。

 ついでとばかりに拾っておいた手裏剣も投げ捨てる。

 水切りで数回跳ねると御役御免とばかりに川の中程に沈んでいく。


 忍法魂戮喰たまくじき、仰々しい名前だが別に魂喰らう妖術などではない、相手の腕なり獲物なり巻き込み背中を見せて、攻めるか引くかを一瞬躊躇したいが崩れた相手の金的を踵で蹴り上げるだけの喧嘩体術だ。

 今では、こんな程度が実家に伝わる奥義で口伝だ。




 伊賀忍の頭領、何代目かの服部半蔵の近縁、服部何某なにがしが抜け忍となったのは昨今、実家にも伝わっていた。

 そして実家の口伝には「服部家の抜け忍、望まれれば受け入れよ」とも。

 かび臭い口伝だが、この地域に服部家の伝手がある事が知られてるのであろう、忍びと見れば問答無用で襲いかかってきた爺も追い忍なのだろう。

 御伽草子と昔話と信じていた時代がかった言い伝えから、抜け出してきたのは追い忍とは皮肉が強い。

 口伝の通りの服部家の者ならば、今さら落ちぶれた実家に頼る程の粗忽者そこつものなどあるまいて。




 遠くの空に流れる雲を眺めながら、草は今日も心中で呟く。


「ハットリあえず」と。




 

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