第29話「灰狼侯爵レイソン、黒熊侯爵領の将軍と出会う」

 ──数時間後、海沿いの街道で──




灰狼候はいろうこうレイソン=グレイウルフさまにお願いがございます!!」


 将軍カナールは地面にひざをついた。



 彼が黒熊候こくゆうこうの屋敷を出て、レイソンの馬車をみつけるまでに、数時間が経過していた。

 時間がかかったのは、大量の避難民ひなんみんと出くわしたからだ。


 魔物の攻撃をおそれた民は、黒熊候の屋敷やしきの近くへ押し寄せていた。

 放置するわけにはいかなかった。

 おびえた彼らが暴徒ぼうとと化して、屋敷を襲う可能性があったからだ。


 だからカナールは、彼らを街道まで誘導した。

 街道は山から離れている。南に進めば王都へ逃げ込むこともできる。

 できるだけ安全な場所に誘導して、民を落ち着かせようとしたのだった。


 その後でカナールは、灰狼候レイソンと会うつもりだったのだが、民はカナールについてきた。

 置き去りにされるのをおそれたのだろう。


 だからカナールは民を引き連れたまま、レイソンのもとに向かうことになった。

 灰狼の馬車を発見して、こうしてひざまずいているのだ。


 人々がどうなるかは、カナールの行動にかかっている。

 そう考えて、カナールは灰狼の馬車の前で、深々と頭を下げる。


「自分は黒熊領こうくゆうこうで将軍職を務めているカナールと申します。レイソンこうにお願いしたいことがあり、無礼を承知の上でお声をかけさせていただきました。どうか、お姿をお見せください!!」



「──だめー!」

「──こくゆうりょうのひとは、きらいー!」

「──こくゆうこうがえらそうだったから、いやー!」



 聞こえたのは、子どものような声だった。

 その意味もわからないまま、カナールが馬車を見つめていると──


「失礼なことを言うものではないよ」


 おだやかな声がした。


ほこりある武人がひざくっして願い出ているのだ。話くらいは聞かねばなるまい」


 馬車の扉が開く。

 姿を現したのは、白髪の男性だった。


 レイソン=グレイウルフは40代と聞いている。

 長く病床にあったそうだが……それはたぶん、いつわりだろう。

 目の前の男性は堂々とした姿で、カナールを見下ろしている。


 黒熊候ゼネルスとはまったく違う。

 カナールをにらむわけでも、怒声を上げるわけでもない。

 なのにカナールは自然と頭を下げてしまう。


(……この人が灰狼侯爵はいろうこうしゃく、レイソン=グレイウルフ)


 まわりにいる民たちも、静まり返っている。

 まるで、自分たちの主君を前にしているかのようだ。


(王家が……灰狼を封じ込めていた理由はこれか!)


 威厳いげんが違う。

 同じ立場で向かい合ったら、黒熊候は灰狼候に決してかなわない。

 だからこそ、灰狼候はマジックアイテムによって封じ込められていたのだろう。


「黒熊領の将軍と言ったか」

「は、はい。灰狼候レイソンさま」

「話を聞こう」

「……兵を」


 これから口にするのは、武人として恥ずべき言葉だ。

 後ろにいる民に聞かれたら、カナール将軍の名は地に落ちる。

 それでも覚悟を決めて、カナールは口を開く。


黒熊領こくゆうりょうに魔物の大軍が押し寄せてきております。我らの兵力では太刀打たちうちできません。どうか、支援しえんの兵をお送りください」


 しばらく、沈黙があった。

 民の視線が、カナールの背に突き刺さる。

 それに耐えながらひざまずくカナールに、灰狼候は、


「それは黒熊候こくゆうこうゼネルスどのの意思か?」

「……いいえ」

「ならば、貴公きこう独断どくだんか?」

「…………民を、守るためでございます」

「それはわかる。だが、一介いっかいの将軍が侯爵こうしゃく直言ちょくげんし、兵をうのは筋違すじちがいであろう」

「承知しております。ゆえに、私は民が救われた後、自害じがいいたします」


 自害──つまり、自ら命をつ。


「みずからの命をもって、黒熊候ゼネルスに願い出るつもりでおります。灰狼候に救われたことに謝意しゃいを表し、公式にお礼をするべきであると。黒熊侯爵家の名誉めいよのために」

「貴公の覚悟は理解した」


 灰狼候レイソンは答えた。


「黒熊候の部下に、貴公のような者がいることは知らなかった。もっと早く出会いたかった。貴公とならば、たがいの侯爵領こうしゃくりょうの未来について、良い話ができたであろう」

「で、では! レイソン候!」

「しかし、兵を出すことはできぬ」


 その声に、思わずカナールは顔を上げる。

 灰狼候レイソンはおだやかな表情で、彼を見下ろしていた。


「今の灰狼領を動かしているのは私ではない。私は、ただの責任者なのだよ」

「……レイソン候?」

「灰狼領を変えたのは私ではない。私にはなんの功績こうせきもない。なのに、私が灰狼の民に、黒熊領のために血を流せとは言えぬ。悪いが、貴公の願いを叶えるわけにはいかぬ」

「……さようで、ございますか」

「だが、黒熊領に魔物の集団が現れたのならば、このまま王都に向かうわけにもいかぬな。私は、灰狼領に戻るとしよう」


 そう言ってレイソンは、馬車の車体を叩いた。

「「「はーい」」」と声がして、馬ごと馬車が浮き上がる。

 くるりと回転した馬車は、灰狼領の側に車体を向けた。


 その光景に、カナールは息をのむ。


 風の魔法を応用したのだろうが……馬車を反転させる魔法など聞いたことがない。

 大勢の魔法使いが呼吸を合わせない限り、こんなことは不可能だ。

 それを、灰狼候レイソンは、カナールと話をしながらやったのだろうか……。


「これも、私の力ではない」


 カナールの心を読んだかのように、レイソンは言った。


「私はこれより灰狼領に戻る。黒熊領の者たちには、見送りを許そう」

「……と、おっしゃいますと?」

「灰狼領との境界地域まで、民を同行させるといい。あの場所には『不死兵イモータル』がいる。私の主君・・・・が支配する『不死兵』ならば、間違いなく私を守るだろう。おそらくは、同行している者たちも」

「……灰狼候……レイソンさま」


 カナールは思わず目を見開く。

 灰狼候レイソンの言葉の意味がわかったからだ。



『灰狼領との境界地域までついてこい。黒熊領こくゆうりょうの民は「不死兵イモータル」に守らせる』と。



 ──レイソンは、そう提案してくれているのだ。


 兵を出してはもらえない。

 当然だ。カナールに、他領の侯爵に兵を請う権限けんげんはない。

 だが、ここにいる民は守ってもらえる。それだけで、十分だった。


(やはり……灰狼領を敵に回すべきではない。灰狼候レイソンとゼネルスさまでは……人としてのうつわが違いすぎる。それに……)


 灰狼侯爵領には、レイソンが『主君』と呼ぶ人物がいる。

 おそらく……それは灰狼領に送られた異世界人のことだろう。


(王家のマジックアイテムを操り、巨大な防壁を作り、魔法を操る護衛をレイソンに与えた人物か。そのお方をサイトウどのは見下し、王家は灰狼に追放したのか……)


 その事実を思い返すと寒気が走る。

 これからどのように灰狼との関係改善を図ればいいのか、どのようにして、レイソンの主君と付き合っていけばいいのか……今のカナールには見当もつかない。


 それでも今は、やるべきことをやるしかない。

 そう考えて、カナールは部下に向かって声をあげる。


「我が部下に告げる! 灰狼候レイソンさまは、これよりご自分の領地に戻られる。丁重ていちょう護衛ごえいするのだ! ここにいる民たちも同行せよ。それが皆の命を守る道である!!」

「「「了解しました!!」」」

「自分は、これにて失礼いたします」


 部下の声を聞きながら、カナールはレイソンに一礼した。

 黒熊領内では、兵が魔物と戦っている。

 カナールは兵の指揮を取らなければいけないのだ。


幾重いくえにもお礼を申し上げます。灰狼候レイソンさま。いずれ、このお礼は必ず」

「承知した。また、出会えることを望んでいるよ」

「お言葉に感謝いたします。それでは!」


 黒熊領の将軍カナールは馬上ばじょうの人となり、戦場へとけていったのだった。





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 次回、第30話は、明日の夕方くらいに更新します。

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