第37話 有紗乱入
このまま保健室でのんびりふーちゃんとお話を続けたいところだが、残念ながら昼休みは有限である。壁に掛けてある時計を信頼していいのならば、あと二十一分と四十秒で、この幸せな時間の終わりを告げるチャイムが鳴ってしまう。
切なさを感じながらも、残りの時間をせいいっぱい満喫しようと考えていると、聞き覚えのある元気のいい「失礼しまーす!」という声が聞こえてきた。
それから保健室の先生となにやら話しているのが聞こえ(ふーちゃんイヤーは機能しないので会話の内容までは聞こえない)、足音が近づいてくる。
そして、ベッドを囲むカーテンがシャッと開かれ――、
「へい大将、やってる?」
そんな場違いな発言をされた。
「ここは居酒屋じゃないんだよ」
「いや、私未成年だし。今のはラーメン屋の屋台の暖簾をくぐるつもりだった」
「そんな細かいのわかるわけないだろ!?」
現れたのは、如月有紗――和斗の彼女である。
顔を合わせるのは数週間ぶりだ。まぁ、いつもチャットで話しているから、あまり久しぶりという感じはしないが。いったい保健室までなんのようだろう? 俺のお見舞い?
俺が頭にハテナマークを浮かべているのを察したらしい有紗は、ちらっとふーちゃんに目を向けて、またこちらを向く。
「カズに用事があって三組に行ったらさ~、あの頑丈な勇進がぶっ倒れたって言うじゃん? 噂の新田さんも保健室に行ったって言うから、もしかしたらお邪魔かな~とも思ったんだけど、まぁ行ってもいいっかなぁ~って。あ、私は如月有紗、伊川和斗の彼女です。よろしくね!」
俺に向けて話をしたかと思いきや、すぐさまふーちゃんに自己紹介をする。ふーちゃんも少し慌てながらではあるが「に、新田風香です、よろしくお願いします」と言葉を返した。
まぁいきなりすぎると戸惑うよな。
「いま有紗が言った通り、和斗の彼女だよ。たぶん何度か説明したこともあると思うけど、舞宮中の頃からサッカー部のマネをやってるんだ」
「う、うん。教えてもらったよ」
トーク力的なコミュ力は問題ないと思ったが、さすがに全くの初対面だと萎縮してしまうらしい。というか、たぶん友達の友達という微妙な関係ゆえの気まずさかもしれないが。
「有紗がさ、ふーちゃんと仲良くなりたいんだって」
和斗から聞いた情報をそのまま伝える。別に隠していたわけでもなさそうだし、いいだろ。
有紗は俺の予想通り、うんうんと頷くという反応を見せた――のだけど、その途中で勢いよく俺の顔を見る。
「え? その『ふーちゃん』って呼び方、まさか本人公認なの?」
ドヤ顔で『もちろんだ』と答えようとした。だけどそれよりも早く、
「う、うん。あのね、私、そういうあだ名みたいなの初めてだったから、邁原くんにそう呼んでもらえたのが嬉しくて……」
視線は下に向けたまま、手のひらをすり合わせつつふーちゃんが言う。はい可愛いポイント七億点差し上げます。
「え? 何この子、可愛すぎじゃない?」
「だろう? ふーちゃんは世界一可愛いんだ」
ふーちゃんと俺の今の関係について、いちおう仲の良い三人には伝えている。
もちろん、遺書だとかそういう話は一切していないが、俺が告白して振られていることを彼女たちは知っているし、話せない理由があるからこそ、いまこういう関係に落ち着いているということも説明した。
だから告白して振られた関係なのにいつも一緒にいることに関しては、深く詮索しないようにしてもらっているわけだ。
三人には、『いつか話す』と伝えてある。
「わ、私別にそんなに可愛くないよ……?」
「いーや、ふーちゃんは可愛いんだ! やっぱりふーちゃんの好きなところ語ったほうがいい?」
「いい! それはいいから! そ、それに、今は如月さんもいるんだよ!?」
さすがに俺の愛を人に聞かれるのは恥ずかしかったらしい。うん、俺もそれはちょっとやりすぎかなと思った。恥ずかしいことは何もないのだけど。
そんな俺たちの会話を聞いた有紗は、ニヤニヤと俺とふーちゃんを交互に見る。
「おやおや、お邪魔だったら私は退散しようか? 今の発言って、二人きりだったらアリって感じだし」
「ち、ちがっ、違うの! い、今のは、間違えたの! 退散しなくていいから!」
「あははっ、ごめんごめん――でも、そんな感じで私にもガツガツツッコんでいいからね! 呼び方は普通に有紗でいいよ」
「う、うん。じゃあ、有紗ちゃんって呼ぶね?」
「よろしく~。私は何って呼ぼうかなぁ~、あだ名が嬉しいって言ってたから……私もふーちゃんって呼ぼうか?」
有紗は腕組みをして、首を傾げつつふーちゃんに問いかける。
ふーちゃん……有紗がふーちゃん呼び……か。
本音を言わせてもらえば、いままで『ふーちゃん』呼びは俺専用みたいなところがあったので、少し寂しく思ってしまう。なんと醜い独占欲か。
だけど、ふーちゃんが喜ぶというのであれば、きっと俺も喜べるはずだ。
好きな子が嬉しいと思うことを、俺も一緒に嬉しいと思いたいのだ。
だが、ふーちゃんは、
「あ、あのね、有紗ちゃん。あだ名はね、すごく嬉しいんだけど……その、もしできたら、他のあだ名とかって思いついたりする……?」
少し言いづらそうにしながら、先ほど恥ずかしがっていた時と同様の仕草――手をすり合わせて、上目遣いで有紗を見ながらそう言った。
なぜか、別のあだ名を所望していた。
もしかして、俺の独占欲をふーちゃんがエスパーで読み取った……? いや、さすがにそれはないと思うが、それ以外の理由がわからん。あだ名は一人につきひとつなの?
はっ……まさか?
「『ふーちゃん』ってあだ名、もしかして嫌だったりする……?」
しかたなく、俺だけ見逃してくれていた的な感じですか……? だとしたら俺は切腹ものなのですが。
泣きそうになりながらの質問は、ふーちゃんの高速首振りによって否定された。
「ち、違うよ! な、なんとなくだよ!」
よかったぁあああああ! 安心した! すごく安心した! 否定してくれてありがとうございます神様仏様ふーちゃん様!
もう一度ベッドに横になる羽目になるところだった俺に呆れた目を向ける有紗は、ため息を吐いたのち、「じゃあ、私は『ふっかちゃん』とかにしようかな! どう?」と聞いていた。
ふっかちゃんか、その呼び方も可愛いじゃないか。よろしい、花丸をあげよう。
そしてどうやらその呼び方はふーちゃんも嬉しかったようで、
「えへへ……ありがと有紗ちゃん、嬉しい」
と蕩けた笑みを浮かべていた。
俺は二人にバレないよう、ひっそりとティッシュで鼻から垂れてきた赤い液体をぬぐう。可愛すぎかよ。
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