第35話 「……あ、あぁん」 ※健全です



 ふーちゃんの可愛さにやられてしまった俺だが、どうやら倒れた原因がわかりやすすぎたらしく、熱中症の疑いなど微塵もされずに、保健室に運び込まれたようだ。


 俺が意識を手放した時間はだいたい昼の十一時ごろだったのだが、起きたのは一時過ぎ。昼休みに入って少し経過したぐらいの時間帯だった。


 で、それを教えてくれたのは保健室の先生ではなく――、


「邁原くんのおばか」


 なんとふーちゃんである。彼女は俺が寝ているベッドの脇にパイプ椅子を持ってきて、膝の上にお弁当を乗せた状態で俺を睨んでいる。まぁ、睨むといってもムスッとしている感じで、俺にとっては可愛い以外のなにものでもないのだが。


「わ、私も恥ずかしかったんだからね! だって、あんな風に声を掛けてくるなんて思ってなかったんだもん」


 そう言って、ツンと鼻をそらす。必死に怒っていることを主張しているようで可愛い。でもこれを言ったら確実に機嫌を損ねるであろうことは理解しているので、言わない。


「それはすんません――でも、俺としては意外だったな。ふーちゃんがあんな風に返してくるとは思わなかったから――思わなかったからこそ、こうなっちゃったわけなんだけど」


 本当に予想外だった。


 一年の頃の彼女を知る人物なら、間違いなく別人を疑うだろう。あんな風に人前で叫ぶような子ではなかったのだ。少なくとも、あの頃は。


「…………だもん」


 ん? 俺のふーちゃんイヤーでも聞き取れないような声だな。この距離で聞こえないとなると、もはや音として成立していない可能性がある。


「ごめん、聞き取れなかった」


「せ、青春モノの漫画みたいなの、やってみたかったんだもん!」


「……Oh……」


 なんということでしょう。青春モノの漫画で例えるってことは、もう俺とふーちゃんがメインの物語じゃん。もう付き合うじゃん、結婚するじゃん、約束されているようなもんじゃん。


 まぁ冗談はさておき――おそらくこれも、ふーちゃんにとってやり残したくないことの一つだったんだろうなぁ。


 いや、やり残しとはちょっと違うか。


『あの時、返事をしておけばよかったな』と後悔しないように、彼女は勇気を振り絞ったのだろう。だとすると、彼女にも俺とは違うベクトルで、かなり体力を使わせてしまったかもな。


「お腹は空いてる? 邁原くんのバッグ、持ってきてるよ」


 一度ため息を吐いたふーちゃんはそう言うと、一度体を後ろに向けて、見覚えのある通学バッグを手に掲げて再度こちらを向く。どうやら、俺のために保健室まで持ってきてくれていたらしい。


 ふーちゃんの後ろに目を向けると、もう一つバッグが置いてあった。あれはふーちゃんのバッグだな。自分のバッグよりも見慣れている気がする。


「んー……正直あまり減ってないかもな。とりあえずあとで売店に行ってパン一個だけ買っておこう」


 こんなことになるなら朝コンビニで買ってきておけばよかった。

 その日の気分で売店で昼ご飯を買うか、行きがけにコンビニで買うか決めるからなぁ……たまに、家から食べ物を持ってくる日もあるけれど。


「あっ――今日はコンビニで買ってきてない日なんだね。ど、どうしよ……私、買ってくるよ? 何が食べたい?」


「いやいや、そこまでしなくてもいいよ。さっき言ったとおり、あまりお腹空いてないからさ。それに、本当に食べたかったら自分で買いに行くし」


 そう言いながら、上半身だけ体を起こした。


 なんだか病人みたいだけど、ふーちゃんの可愛さが限界突破して失神しただけなんだよな。なにやってんだ俺。


「ま、まだ目が覚めたばっかりなんだから、もうちょっとゆっくりしてないとダメだよ」


 俺はあまりに献身的なふーちゃんにほっこりしているのだが、ふーちゃんの顔は不満というか不安というか――ともかく、晴れやかでないことはたしかだった。


 さて、どうしようか……ふーちゃんを使いっぱしりにしたくないし、俺が買いに行くとふーちゃんはきっと心配するし、まったく食べなかったら食べなかったで、彼女は不安に思ってしまうのだろう。


 そんな時、俺にはふーちゃんの膝に置いてあるものが目に入った。お弁当である。


 いや別に、彼女の弁当を奪おうなどと考えているわけではない。そんなに俺は無遠慮な人間ではないはずだ。ただ、食べ物の話をしているときに、視界に食べ物があったから、そこに視線が動いてしまっただけである。本当ですよ?


「……あっ」


 俺の視線をたどったふーちゃんが、意図せず出てしまったというような声を出す。

 そして、ゆっくりとこちらを見て、


「た、食べる?」


 顔をほんのり赤に染めながら、聞いてきた。


 ただでさえふーちゃんの弁当は少ない。彼女にとっては十分な量なのかもしれないけれど、男子目線で言うと『それで足りるの?』と聞きたくなるぐらいだ。


 一番親しい和斗の彼女である有紗がわりと食べるから、それのせいっていうのもあるかもしれないが。


 さて、そんな少なく見える彼女のお弁当から、はたして俺がいただいてよろしいのだろうか。本音を言わせてもらえば、喉から手が出てそのまま掴んで胃に放り込んでしまいそうなほど食べたい。化け物か俺は。


 気持ちだけ受け取ろうとしていると、ふーちゃんがお弁当箱の中にあったミートボールに箸をぐさりと突き刺す。それを持ち上げ、逆の手で落ちた時のフォローをしながら、俺の口元へ寄せてきた。


 顔は真っ赤、瞳はあちらこちらに動き回っている。


 これはもしや……伝説の『はい、あーん』じゃなかろうか? というか大丈夫かこれ? ふーちゃん動揺しすぎて俺の目に突き刺したりしないだろうか。いや、もしそうなったとしても、きっと俺の眼球がミートボールを美味しくいただいてくれるはず。頑張れ俺の目。


「……あ、あぁん」


 激しく緊張しているらしく、うまく言えていなかった。


『あーん』だよふーちゃん。『あぁん』だとちょっと怪しく聞こえちゃうから、俺以外の人の前で言わないようにしようね。






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