第10話 ふーちゃんママ出現




 陸上競技場の外周にて。


 ふーちゃんは俺に気を遣ってランニングをやめようとしてくれていたのだけど、それはさすがに申し訳ない。ということで、俺はブレザーの上着をしわになるのを覚悟でバッグに詰め込み、それを肩に掛けてふーちゃんと一緒に走ることにした。


 これがもし、誠二や和斗と一緒に走るというならばきつくなりそうだったけど、ふーちゃんはあまり運動が得意じゃなかったということもあり、俺としては楽なペースで走ることができた。


 二十分ほど走って、ふーちゃんが「今日はこれぐらいにする」と言ったので、俺はその言葉に従う。ランニング中はふーちゃんがきつくなるだろうと言うことで、一言も話しかけなかった。


「こ、これ、使う?」


 手の甲で額に滲む汗をぬぐっていると、ふーちゃんがおずおずとハンカチを差し出してきた。


「ははっ、気持ちだけ受け取っておくよ。だってそれを俺が使っちゃったら、ふーちゃんが使えないだろ? 俺よりも汗かいてるんだし」


 彼女が罪悪感を抱かないように気を付けながら答えると、彼女はハンカチに視線を落としてから、再度俺を見る。


「わ、私は気にしないけど……じゃ、じゃあ片方ずつ使おう?」


 そう言いながら、彼女はハンカチの裏表を俺に見せて来る。それでも申し訳ないと思ってしまうが、さすがにここまで言われたら断るほうが申し訳ないような気もする。


「……そういうことなら」


 そう言って手を伸ばすと、ふーちゃんは嬉しそうに俺へハンカチを手渡してくる。先にふーちゃんが拭けば――とも思ったが、女子は特に汗の匂いとか気にしそうだし、こっちのほうがまだマシかと納得しておいた。


 そんなやりとりをしてからお互いに汗を拭き、ベンチに座って一息つくと、ふーちゃんがこちらをチラチラと見始める。


「どうしたの?」


「あ、あの……もしよかったら、邁原くんもうちまで一緒に来る? その、お茶とかだすし……邁原くん、私のことすごく心配してくれてるから、一緒にいたほうが安心かなとか思ったりして――「是非っ!」――ほ、本当にいいの?」


 ふーちゃんが必死に説明していたのを傾聴していたのだけど、たまらず言葉を挟んでしまった。あまりにも優しい気配りに、感動してしまったのだ。


「本当はふーちゃんを家まで迎えに行きたかったんだけど、ほら――昨日家を教えてもらったばかりでさ、次の日に家まで来たら怖いじゃん? だからちょっと俺からは言い出しづらくて……ふーちゃんがそう言ってくれるとすごく助かるよ。それに、一緒にいられて嬉しいし」


 俺がそう言うと、ふーちゃんはぺしっと俺の太ももを叩く。


「も、もうっ、ちょ、ちょっとは照れてよ」


「ふーちゃんのことが世界で一番好きなんだからしょうがないじゃないか」


「むー……邁原くん、すごく開き直ってる」


 不満げに口をとがらせるふーちゃんだが、目や頬は嬉しそうに見える。裏と表の感情が両方とも顔に出てしまっているようで可愛い。


 あぁ……これ以上ないぐらい彼女のことを好きだと思っていたけど、昨日よりもずっとずっと好きになっていく。俺はもう、振られてしまったというのに。



 いま俺が感じているこの幸せは、酷く不安定なものだ。


 ふーちゃんの予知夢という実態のないものに、四六時中脅かされている幸福。それはきっと、彼女もわかっているだろう。


「あははっ! もう隠しても仕方ないからな」


 三月十五日――ふーちゃんが誕生日を乗り越えた時、いったい彼女はどんな風に笑うのだろうか。不安は大きいが、楽しみも大きい。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 ふーちゃんは『お茶をだす』と言ってくれていたが、こんな朝早くから家に上がるのも非常識かなぁと思ったので、遠慮させてもらった。


 それに彼女自身、家族に俺を会わせるのが少し恥ずかしかったようなので、お互いに納得した上でそうなった。しかし――、


「お、お母さん! だ、ダメっ、ダメダメ!」


「あらぁ~、いらっしゃい、あなたが邁原くんね」


 ふーちゃんが着替えている間、駐車場と門扉の間にある隙間で待たせてもらおうと思っていたのだけど、玄関からそんなあわただしい声が聞こえてきた。


 視線を向けると、そこにはまだ着替え途中なのか、ブレザーを半分だけ羽織った状態のふーちゃんと、彼女の面影のあるエプロンを身に着けた女性がいた。


 お、おぉ……ふーちゃんのお母さんか。挨拶しないと――って、なんで俺の名前を知ってるんだ?


「初めまして、一年の時から新田さん――風香さんと同じクラスの、邁原勇進です」


 困惑しながらも姿勢を正し、ぺこりと頭を下げて言う。変な輩に付きまとわれていると思われたくないので、できるだけ真面目に見えるよう努力した。


 俺の自己紹介を受けて、ふーちゃんママはニコニコと頷く。ふーちゃんは母親のエプロンを引っ張りながら、家の中に連れ込もうと必死になっていた。


「まぁ! 丁寧にありがとう~。ほら、どうぞ上がって上がって。遠慮なんていらないから」


 手招きしながらふーちゃんママが言うと、ふーちゃんもエプロンを引っ張っていた手の力を緩める。そして俺に視線を向けてから、再度母親を見た。


「も、もう! お母さん邁原くんに失礼なこと言わないでよ!? あ、あと、ほらその、いろいろ言わないで!」


 言葉はつっかえているが、学校でのふーちゃんと違って勢いがある。これが彼女の素だと思えば、俺は他のクラスメイトより、素に近い態度で接してもらえていそうだ。嬉しい。


「邁原くん、あの、いい?」


 母親に抗議を終えたふーちゃんが、おずおずと俺に問いかけてくる。「もちろん。喜んで」と答えると、嬉しそうに笑った。


 俺は俺で、ふーちゃんの家にお邪魔できるという喜びと、家族にも歓迎されているというこの状況がたまらなく嬉しかった。笑みを隠し切れないまま、門扉をくぐって彼女たちのもとへ歩いて行く。


「お邪魔します」


「う、うん。いらっしゃい邁原くん」


 そんなぎこちないやりとりをする俺たちを見て、ふーちゃんママは「仲良しねぇ」と微笑む。駐車場に車は無かったし、男物の靴も見当たらない。


 ふーちゃんの父親と顔を合わせるのは、どうやらまた別の機会になりそうだ。





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