義眼職人Ⅰ
〈部品泥棒〉らしき人物が現れたのは、クアゾが倉庫に現れてからさらに一時間ほどが経った頃だった。
極めて乱暴に開かれた倉庫の正面扉から、やけに背の高い影が倉庫内に侵入してきた。
あれが……〈部品泥棒〉?
鼠色のチェスターコートにハンチング帽、グレーのズボンに黒いブーツ。
青白い顔をしているが、その両目だけは爛々と獰猛に輝いている。
「……ヴィンセント」
「え?」
横にいたエレノアが小さく呟いたのを聞いて、ボクは思わず声を出した。
「さっき言った、元同僚の人?」
「……そう」
「ベラトニックの一員という雰囲気ではないね」
単身でここへ乗り込んでいるようにしか見えない灰色の彼だが、こちらは凄腕のクアゾも含めてギャングが五人もいる。
どうやってここまでたどり着いたかは分からないが、あまりにも無謀が過ぎる。
まるで蜘蛛のように長い手足を揺らしながら倉庫の奥まで悠々と歩みを進めた闖入者は、倉庫に集められた女性たちをじろりと見まわして、エレノアに一瞬だけ目を止めた。
すぐに視線をクアゾへ戻した彼は、その場にゆらりと立ち止まった。
「……きっとひどいことになるわ」
はっきりと、エレノアはそう答えた。
その顔には相変わらず怒りと落胆の表情があったが、瞳の奥には信頼の光が宿っている。
「『ひどい』って――」
焦燥に駆られるボクの言葉を遮ったのは、他ならぬ侵入者だった。
「お前が俺の後釜か? そんなハッパの匂いぷんぷんじゃ照準が合わねえだろ」
挑発されたクアゾはしかし、まるで挑発を意に介していないようだった。
「あんたの方こそ、ここまで安酒の匂いが漂ってくるぜ。ヴィンセント・ヒーリィ」
クアゾは腰かけていた木箱から立ち上がると、ゆっくりとヴィンセントに近づいた。
それを合図としたかのように、手下たちもヴィンセントを囲むように扇形に展開する。
「凄腕の用心棒だとか聞いていたが、今は下らない示談屋をやっているそうだな」
「どんなに下らなくてもカタギの商売だ。てめえらの薄汚ねえ稼業と一緒にするんじゃねえよ」
「強がるなよ。ここ数年、人を撃ったこともないんだろ?」
クアゾはそう言ってからゆっくりとした動作で彼の短杖を掲げた。
当のヴィンセントも飄々とした様子で、大勢の敵に囲まれていながらもまっすぐとクアゾに向き合ったままだ。
「おい、おしゃれジャケットくん。よく聞けよ。今すぐそこの女どもを開放して、裸になって謝れば、お前を殺さないでやる」
ヴィンセントを取り囲んだギャングの一人が思わずその言葉に失笑を漏らしたが、その他の連中が誰も緊迫した表情を崩さなかったのを見て慌てて笑顔を引っ込めた。
それはつまり、彼以外の連中はヴィンセントの実力を知っているということでもある。
「それはできない相談だな。この作戦はボス肝煎りだから、失敗しちゃおれの出世に関わる」
「出世してどうするつもりなんだ? ゆくゆくはベラトニックを乗っ取ろうとでも思ってやがんのか?」
「……」
「おいおい、マジかよ……」
緩んだ笑みを崩さないクアゾに、ヴィンセントは大仰に肩を竦めた。
周りのギャングどもはすでに各々の短杖を抜いている。
いつ、誰の頭が吹き飛んでもおかしくない状況だ。
倉庫内の空気は極限まで張りつめていた。
「人間は『飼う』か『飼われる』かだ。おれは『飼う』側になりたいのさ。あんたみたいな汚い犬になり下がる前にな」
「なんだ、ご主人サマになりてぇのか」
ヴィンセントはへらへらと笑って、それから左手で自らの襟元を引き下げた。
生白い首が露わになり、そこに刻まれた古傷も晒しだされる。
「……目を閉じていた方がいいわよ」
横でエレノアが小さく呟いた。
疑問に思う間もなく、ヴィンセントは手ぶらのまま無防備に首を晒している。
「ほらよ、首輪をかけてみろ」
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