ヴァンパイアさんは血が飲みたい

藤原くう

「とりあえず、処女の血をいっぱい」

 私がオーダーした瞬間に、どこかからタカのような口笛がした。音の出所を探りはしない。カウンターの向こうで振るわれる銀のシェイカーが動くのを、カシャカシャ鳴るのに耳をすませる。


 隣に誰かが座った。見れば、首のないガンマンだった。


「アンタ……ヴァンプなのかい」


「それが?」


「いや、ここらじゃ珍しいと思ってな、一杯おごらせてくれや」


「……酒飲めるの」


「ああ――ウォッカ一つ。コイツのはオレにつけてくれ」


 言って、ガンマンは抱えていた頭を首にセットした。くるくる回転して、その顔が不自然な角度で私を見る。「驚いたか?」その顔がくすくす笑って、その首がバーテンダーの方を向いた。


 私は肩をすくめる。デュラハンってやつはどうしてこうも、驚かせるのが好きなんだろうか。


 ショットグラスがやってきて、ガンマンは一息に飲み下す。下品なゲップが、ラジオから流れるサックスの音色を汚した。


「処女の血だなんて、正気かい」


「正気よ、頼んでみたら?」


「や、遠慮しておく。ハンターのやつらに捕まりたくねえからな」


「捕まらないわよ」


「自信満々だねえ、ねえさん。よほど修羅場をくぐってきたと見える」


 別に、と返す。この北欧から西部へお引越ししたデュラハンは、私に興味津々らしい。舐めるような視線が煩わしかった。


 早く処女の血は来ないかな。


 ハシビロコウのようにじっと動かないでいれば、それを好意的に受け取ったらしいデュラハンが、腕を肩にかけてくる。ブーツの拍車が、私の心みたいに軋んだ。


 無性に腹が立ってくる。私は飲みに来たんだ。普段、追いかけまわされてるストレスをここで発散しようと思っただけなのに、なんで絡まれなきゃいけないのか。こんな気分じゃ、ただでさえマズい酒がますますマズくなる。


 肩が触れて、顔が近い。めちゃくちゃ酒臭い。バカみたいに酔ってる。


 私はちょんと、彼の肩を押した。


 その瞬間、ガンマンの体はバーの向こうへ吹っ飛んだ。壁にぶつかって、ずり落ちた彼の首の上をダーツが通り抜ける。


 遅れてゴロン、首が転がった。


「どうぞ」


 何事もなかったかのように、バーテンダーが言った。カウンターを見れば、ルビーの液体がなみなみ注がれたジョッキ。見ているだけで頭が痛くなりそうなほど、冷えている。


 私は取っ手をつかみ、一息に――。


「まちなさい!」


 聞き覚えのある声が、バーの中に響く。私は赤い液体に目を落とす。唖然とする私がいた。


 ――なんでこんなときに。


 声の方を見れば、入口に少女が立っている。濃紺の服に、眩く輝くバッヂ。あれこそはヴァンパイアハンターの印。


 彼女は、まっすぐ私の方へと歩いてきて。


「あなた、今、処女の血を飲もうとしたでしょ」


「それをどこで……」


「あちらのお客様から」


 因縁浅からぬ彼女が指さす先には、さっきのデュラハン。手には、スマホがある。


 思わず舌打ちしてしまった。通報しやがったんだ。


「刑法666条。ヒトの血液を摂取した吸血鬼は罰金または禁錮刑に処する――忘れたとは言わせないわ」


 私は、気の強そうな少女を見下ろす。私よりもずっと小さく、ずっとガキのくせして、案外往生際が悪く、ずっと付きまとってきてくる厄介やヤツ。


 じっと見つめているだけで彼女の体はブルブル震えていた。この子の血なんか、きっとおいしいに違いない。想像しただけで、舌なめずりしちゃいそうになる。でも、我慢我慢。


「な、なによ。警察に歯向かうつもり」


「……ヒトの血じゃない」


「はあ? 今更言い訳するの」


「私が頼んだのはニワトリの血。あっちのバーテンにでも聞けば」


 正確には、ウォッカとトマトとニワトリのメス――それも処女のもの――の血いっぱいをカクテルしたものだ。


 それを、この店では処女の血と呼んでいるってだけ。


 私はお代をカウンターへ置き、玄関へ向かう。


「おーい! 逃げんなっ!」


 背後から声がしたが、立ち止まるわけがない。ひらひら手を振って、分厚い扉を押し開ける。


 扉が閉まると、少女の応援を求める声も、ジャズの音色も聞こえなくなった。


 見上げた空には、くすんだ満月が寂しく揺れている。

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ヴァンパイアさんは血が飲みたい 藤原くう @erevestakiba

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