第44話 リズベットは茶を宣伝する

「昨日の今日で悪いわね」

「姉さんの頼みならいつでもって感じだけれど、姉さんもなかなか忙しいねぇ。そしてライネルのおっちゃんも一緒と」

「パルフェ殿、昨日ぶりですな」

 グレイシアへの旅はなかなかの強行スケジュールであったのに、ライネルは疲れを微塵も感じさせない様子で、朗らかに挨拶する。旅慣れているパルフェですら疲労が残っているのだが、ライネルの体力は底なしなのだろうか。

 実年齢からすれば考えられない強靭さであり、この無尽蔵のスタミナこそが騎士団長まで上り詰めた秘訣なのかもしれないとパルフェは思った。なおリズベットは声こそいつもの調子であったが、いつもと比べてどこか覇気がなく、相応に疲れているようであった。

「パルフェがまだ王都にいてくれて助かったわ」

「流石にぶっ続け仕事しても疲れるだけだしね。儲けてもそれで体を壊したら元も子もない。余計に金かかっちゃうしね」 

「それはそうね」

「そうそう、メリハリは大事さ」

 パルフェはリズベット達と別れた後、数日の休日を挟んだ後王都から何か仕入れようと考えていた。しかしリズベットは常に動き回っている。だからこそパルフェ自身、ひょっとしたら滞在中にリズベットから連絡があるかもしれないと考えていたが、こんなにすぐ来るとは流石に思っていなかった。

 なお現在直しきれなかった寝癖を隠すために帽子をかぶっていたりする。

「それで今日はどういった要件なのかな?」

「実はね。パルフェ商会でグレイシア国で売って欲しい商品があるの」

「売って欲しい商品……姉さんが持ってきた商品に外れはないのは知ってるけど、今回は何か違う感じかな?」

 リズベットと何度も取引をしているパルフェであったが、リズベットがいつもの自信満々とは異なる様子であるのを敏感に察し、説明を求めた。

「察しが早くて助かるわ。私が売って欲しいと思っているのは茶葉なんだけれども」

「茶葉ね。悪くないとは思うけどどんな効能があるんだい?」

 味ではなく効能に言及したのはパルフェの感であった。その予想は正しくリズベットはにんまりと笑う。

「一言で言うと予防効果、かしら」

「つまり薬みたいなもの?」

「ええ、人を惑わす香りにさらされても正気を保てる。暗示に対する特効薬よ」

 その茶はユーフィリアがグレッグ達に会う際に用意したものと同一のものだ。古くから伝わる王宮のレシピであるのだが、リズベットとユーフィリアはこれを市井に出す事を決めた。戦争を招こうとしている黒幕は王宮の外にいるのだから。

 だがそれだけではフローディア国しか守れない。暗示に対抗する術はグレイシア国も、むしろグレイシア国こそ必要となる。隣国がフローディア国しかない影響か、グレッグとルリカは暗示に対しての危機感は持っていなかった。

 そこから推察されるのはグレイシア国で過去に暗示による問題は起きておらず、全くの無防備であるという事。それを相手に知られでもしたらグレイシア国でやりたい放題になってしまう。今からでも対策するに越した事はなかった。

「それはなんとまあ……という事はあれかい? 効能については隠していた方が良い?  それとも大々的にやるのも……変だね。なんか詐欺っぽくなっちゃう」

「ええ、だから隠して欲しいかしら。市井には暗示の情報自体出したくないのよ。知らずのうちに予防しているって形が理想ね」

 政治色が強いのが明らかになってきた所でパルフェは疑問を口にする。

「私が知ってもいい話なのそれ?」

「もちろん了承を取っているわ」

「だったら良いのだけれども、なんともやば目な話だね。要は過去にそうした事件が起きていたって事だろ?」

「ええ、その通りよ。巻き込んでしまってごめんなさいね」

 リズベットとしても良心の呵責はあった。これまで色々とパルフェに助けてもらってきたリズベットであったが、今回に限っては些か事情が異なる。

 国防に関わる話なのだから、本来は一商人のパルフェに聞かせる話ではなく、国を治める者達が解決しなければならない問題である。それでもパルフェを頼らざるを得ないのは二ヶ国間の問題だからである。

 フローディア国内のみであれば、フローディア国にも国お抱えの商会というものはあるので、そこから流通させればいいだけの話であるが、グレイシア国まで伸ばしたい場合はそうはいかない。

 年に一度開かれるグレイシア国との二国間会議まで待つ方法もあるが、急ぐのであればパルフェ商会の力は必須であった。しかしながらそこに潜む危険は少なくなない。

 厄介なのは戦争を望む黒幕がアシュリーの暗示事件以降行動を起こしていない事である。諦めたと考えられればどれほど良いか。もちろんリズベットとユーフィリアの見解は違う。

 隙を窺っているか、あるいは力を蓄えているのか。二人はここで潜伏という手が打てる敵に危険を感じていた。決して焦る事はなく情報が何よりの武器である事を熟知している。リズベットはそのように感じていた。一人なのか複数なのか分からないが、彼らの情報収集能力はいかほどか。

 リズベットとしては不確定要素を抱えたままパルフェに依頼するのは心苦しい。だが万が一戦争が起きてしまえばより悲惨な事になる。パルフェ商会だってそうだろう。基盤であるグレイシア国とフローディア国が荒れるのだから。

 別の問題としてはパルフェの商売人としての吟味がある。純粋な商売ではなく、政治的な理由で売って欲しいというのは、あくまで良い商品を厳選し、販売するパルフェにとって決して面白い話ではないだろう。

 それでもリズベットは分かっていた。

「一商人が国の平和を守る重要な仕事を与えられるなんて、世の中本当に分からないものだね。でも受けさせてもらうよその話。国が荒れたら私も商売どころじゃないしね」

 パルフェは絶対断らないと。

 パルフェは頭も回るし、自分の立場も正しく理解している。

 パルフェがそれをやらなければ二国間の関係が修復不可能になる危険を孕む事も、一個人が国の機密情報を知らされるとはどういう事なのかも、彼女は全て理解していた。これらを踏まえて考えると、パルフェは話を聞いた時点で断る事は許されないのだ。

「本当にパルフェは厄介な女に目をつけられたものね」

 自嘲するリズベットであったが、パルフェは反論する。

「そう僻むものでもないさ。姉さんの頼み事は何時だって無茶苦茶だけれど、その先にはより良き道があるって知ってるからね」

 思わぬ評価に呆気にとられたリズベットであったが、あまりにも迷いがないパルフェに笑ってしまう。

「あなたがそんなんだから私も甘えちゃうのよ。だからこんな状況に追い込まれるわけで。少しは引く事も覚えなさい」

「嫌だね。これは投資なんだから。売れる恩はとことん売るよ」

 昔からそうであった。フローディアとグレイシアの土の違いを調べるために作物を育ててもらった時だって、賃金こそ払っていたがパルフェにとってはあまり利がないものであった。しかしパルフェは嫌がる素振りも見せずに完遂してくれたのだ。商売は信用ありきとはいうが、パルフェはいつだってリズベットの期待に応えてくれる。

 パルフェはリズベットこそ己の未来を開いてくれた恩人と言うが、リズベットとしてもパルフェは恩人だ。パルフェがいなかったら土の研究は中途半端であっただろうし、グレイシア国へ行くチャンスなんてなかった。

 パルフェを不幸にしないためにもリズベットは頑張らなければならないと、その心に深く刻んだ。ビジネス的に言うと損はさせないか。パルフェの読みが正しいと証明するためにもリズベットは先へと進む。

「といってもグレイシア国で変に疑われても困るね。それに味が悪くちゃ売れるものも売れない。そこのところはどうなの?」

「味は保証するわ。たまたま機会があってグレイシア人の方に飲んでもらったんだけど、同じ茶葉が含まれたクッキーと一緒に美味しい美味しいって言っていたからね」

「そいつは朗報ってやつだけど、どういった経緯かすっごく気になるねそれ。本当にたまたまなの?」

「ええ、だって私はパルフェと一緒にグレイシア国に行っていたんだから」

 ルリカとグレッグの件はユーフィリアが行った事なので、リズベットは嘘を言っていない。パルフェも一応の納得を見せる。

「それもそうか」

「グレイシア国に疑われないかについても心配しないで。販売前にグレイシア国から許可取るつもりだから。パルフェには話がついた時にまた連絡するわ。だからそれまでパルフェは戦略を練って欲しいの」

「許可を取る事はすでに既定路線なのが姉さんらしいね」

「だってグレイシア国に断る理由はないわ」

 それはグレイシア国に対し、暗示の事を本当であると証明出来ればであるが、パルフェはあえて口にしなかった。リズベット内ですでに終わった事を蒸し返す必要はない。だからパルフェは先の事を考える。

「……現物はもちろん持ってきてるんだろ? 実際に試さない事には始まらないからね」

「ええ、おじ様!」

「了解致しました」

 二人の話をしている間、邪魔しないようにしていたライネルであったが、リズベットの指示を受けて荷をほどく。そこには水筒とクッキー、茶器セット一式が入っていた。水筒にはアシュリーが入れた茶が入っており、クッキーもグレッグ達が食べたものと同じものである。

「これはまた良いカップを持ってきたね!」

「良いお茶を楽しむにはそれを入れる茶器も美しくないとね」

「流石は姉さん! 分かってるねぇ」

 喜ぶパルフェに対し、ライネルは苦笑する。

「壊さないように持ってくるのは大変でしたがね。これを持って歩くのは冷や冷やしましたよ」

「ははは、それはご苦労様。おっちゃんの苦労に報いるためにも精一杯楽しむとするよ」

「ええ、私がここまで頑張ったのですから、次はパルフェ殿、頼みますよ」

「味が良いんであればいくらでもやりようあるさ。安くしてくれるんだろ?」

 商売人らしく値引きを要求するパルフェであったが、そもそもの話、国の危機である事を考えればタダでもいい。しかしパルフェはあくまで買う姿勢を見せた。パルフェは言う。タダ程怖いものはないと。

「ええ、お買い得価格でやらせてもらうわ」

 だからこそリズベットはちゃんと金はとる宣言をしたのであった。

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