第34話 パルフェのモットー

 グレイシア国からフローディア国への帰路につく朝、外は気持ちが良い晴天で、リズベットは両手を掲げて背筋を伸ばす。

「んー、サイコーね」

 グレイシア国に来てやるだけやったと自負があるリズベットは、晴れ晴れとした気持ちで空を見上げる。するとそれまで積み荷を確認していたパルフェがやってきた。フローディア国に持ち込む商品チェックは無事に済んだらしい。

「姉さん忘れ物はない?」

「ええ、大丈夫よ」

 パルフェの問いかけに、リズベットは親指と人差し指で丸を作って返事をした。続けてリズベットはライネルの方を見るが、彼も大丈夫と頷いた。

「よし、じゃあフローディア国へ向かうよ! 二人とも馬車へ乗って!」

 パルフェの指示を受けて、リズベットは馬車へと駆け寄る。そうしていざ乗り込もうと足をかけた際、ふとリズベットは誰かの視線を感じた。リズベットが誰だろうと振り返ると、はるか後方にベオウルフらしき姿が見えた。

 まさかのベオウルフに驚いたリズベットであったが、わざわざ見送りに来てくれた事に彼なりの本気が見えた気がした。リズベットは笑みを浮かべ、一人呟いた。

「また近い内に会いましょう」

 こうしてリズベットは大きな期待を胸にグレイシア国を後にした。


「姉さん、悪いけど王都に行く前に寄り道させてもらうよ。頼まれた商品を納品しなきゃならないんだ」

「もちろん構わないわ。無理言ってついて行ったのは私だもの」

 ここでどこに寄っていくのかを聞かなかったのは、リズベットにしては珍しい事であった。通常運転のように見える彼女であったが、ツコシヤート湖の美しさ、刺身という未知の食事、新都の醸し出す異国情緒、ライネルの知人や、ベオウルフとの新たな出会いなど、密度の濃すぎたグレイシア国の体験は、浮かれてしまう程楽しかったらしい。

 リズベットから行先を聞かれる事を予期し、備えていたパルフェは珍しい事もあるもんだと思ったが、それ程グレイシア国を楽しんでくれたのかと思うと悪い気はしなかった。

 一方、楽しんだのはライネルも一緒のようで、珍しく彼から話を切り出したかと思えば、なんと魚の話題であった。 食べる前の頃と比べるととてつもない快挙である。

「しかし初めこそ躊躇しましたが、食べてみると魚も美味しいものですな。私はシンプルな塩焼きが気に入ったのですが、リズベット様は何が好みでしたか?」

「私? 私はそうねぇ。刺身かしら?」

「なんと!」

「味が好きかはまだはっきりとしてないのだけれどね? ここでしか食べられないとなると」

「確かに希少価値は相当に高いでしょうなぁ」

 海の幸について盛り上がるリズベット達を見て、パルフェはうんうんと頷く。二人の馴染み具合を見て、これならいけると思ったパルフェはとっておきを出す事にした。

「見事刺身を乗り越えた二人には『海の悪魔』に挑戦する権利があるよ!」

「『海の悪魔』ですって?」

「なんとも禍々しい名ですが、それも食べる物なので?」

 怪訝な表情を浮かべる二人に対して、パルフェは得意げに指を立てる。

「ああ! 悪魔と言うだけあって、見た目がもうえげつないんだけど、味はとっても美味しいんだ。絵に描くとこんな感じなんだけど……」

「えぇ……」

「うぅむ、これは……」

 異様なほど大きい頭に胴体はなく、頭から直接生えたように見える何本もの触手、赤みがかった体を持つそれはもはや魔物と形容してもいい。要するにタコであるが、ただの絵であってもリズベットとライネルをドン引きさせるには充分であった。


 なおチェルシー嬢がここにいたとしたら、やっぱりというか、魂の叫びが聞けたであろう。


「思ったより異世界満喫してるなタチバナリツカァァァァァ!! 私もタコ焼き食いてぇ―――!!」と。



 新都を出て最初こそ会話に花を咲かせていたリズベットであったが、徐々にそのペースも落ちて行き、最終的には夢の住人となっていた。

 旅慣れしていない彼女にとって、今回の旅は過酷であったのだ。リズベット自身が決めたとはいえ、グレイシア国へ行くのは本来なかった予定である。王都からリッチモンド領までの距離もなかなかのものだし、そこからさらなる強行スケジュールは一般的な女性にはきつい。

 持ち前の好奇心と使命感で足りない体力分を補っていたが、終わりが見えてきた今、緊張の糸が切れたという訳である。

「いつも何かしら動いているからタフなように思えるけど、流石に旅慣れはしてないんだねぇ」

「護衛の私としては、こうして無防備な姿を見せてもらえるのは信頼してもらっているようで嬉しいですがな」

「ふむ、そういう考え方もあるか」

「悪くないでしょう?」

 ライネルの問いにパルフェは頷く。

「確かに悪くないねぇ」

 パルフェはリズベットの頑張りを知っている。何せ彼女はリズベットが追放された後もずっと付き合い続けていたのだから。リズベットが追放されたと聞いた時、パルフェはすぐに辺境まで助けに行った。もしも酷い扱いを受けていたら、リズベットを救出し、グレイシア国へ連れ帰るつもりで。パルフェはそれ程の覚悟を持っていた。

 だがパルフェが実際に見たのは、辺境の地でのびのびとするリズベットの姿であった。軟禁されていてもリズベットは相変わらずの行動力の化身で、今の自分に何が出来るかを考えていた。パルフェはリズベットのどんな時でもへこたれない姿に感嘆したものだ。

 リズベットは軟禁の身でこそあったが、意外な事に面会は自由であった。監視こそつくが生活は十分に保障されており、出来得る限り大切に扱われているのが伺えた。国境を守る辺境伯も人格者であった事も大きいだろう。

 リズベットと何度か会っているうちに何時しかパルフェは顔パスとなったわけだが、その理由として、パルフェ自身が辺境伯から気に入られてしまったのが挙げられる。

 何せ辺境は暇なのだ。辺境というからには国境が近いわけで、何を呑気なと思うかもしれないが、リズベットが軟禁されていた辺境は東のミリシアン国との国境沿いに位置してした。

 フローディア国とミリシアン国の間では国交はなく、基本的に相互不干渉になっている。そのため人の出入りは基本的になく、密入国阻止の門はただの飾りだ。そのためミリシアンとの国境の警備に勤める者達の仕事は、ただミリシアン側に広がる森を眺めるだけとなっていた。

 何も無い事は分かっているけど、何時か来るかもしれないいざと言う時のために手は抜けない。ミリシアン国側の国境警備は重要には違いないが退屈でしょうがない仕事であった。パルフェはそんな彼らに珍しい食べ物や、娯楽品など、息抜きになる商品の数々を提供したわけである。

 それが兵のモチベーション維持に苦労していた辺境伯に知られ、感激した彼から感謝状を贈られる事態にまで発展したのであった。結果、パルフェとしてはリズベットを助けに行ったはずなのに、何か商売先が増えて、かえって助けられたという妙な事に。

 意図せずさらなる恩恵を受けたパルフェはその後、恩返しとばかりにリズベットのしたい事を手助けし続けた。しかし現在それもさらなるビジネスチャンスになりそうな気配がある。パルフェとしてはもうリズベットに足を向けて寝られないくらいであった。

 パルフェはリズベットに大恩がある。そんなリズベットに信頼されているともあれば嬉しくもなろう。パルフェは帰りも無事に送り届けなければと気合を入れる。

「さて、帰りも天気に恵まれるといいけど」

「これだけ晴天なのにですか?」

「ああ、グレイシア国の天気は結構気まぐれだからね。今は晴れでもってのはよくあるよ」

「となると日頃の行いがものを言いますな」

 試すようなライネルに対し、徳はあると自負しているパルフェは不敵に笑う。

「だったら私はばっちりだよ。何時だって適正価格を心がけているからね」

 目先の利益よりも後のための利益、商売の世界で長く続けるためには焦りすぎてはいけない。価格は高すぎず安すぎず。商品を売る自分も嬉しい、仕入れ先も嬉しい、お客様も嬉しい、3つ揃って完璧! これぞパルフェのモットーである。

「敵は作らない事に越した事はない!」

「ふむ、道理ですなぁ」

 グレイシア国を満喫したライネルだからこそ納得出来た。そしてライネルは気づかない。リズベットがいなくてもパルフェと談笑出来ている事に。彼にとって、グレイシア人との会話はもはや当たり前の事なのだから。

 パルフェの気持ちが良い人柄に強い興味を持ったライネルは彼女に尋ねた。

「パルフェ殿の理念はとても立派ですが、どういった経緯でそう思うようになったのか聞いても?」

「私の考えかぁ……それはほとんどばあちゃんの教えだね」

「ほう、パルフェ殿の祖母ですか」

 ライネルと同年代か、それともさらに上か、激動の時代だったのは想像に難くない。何かを選択出来るようになったのは最近の事である。元々の生まれもあるが、ライネルが子供だった頃は何が美味しいとかではなく、どれほど腹が膨れるかが重要視されていた。

「おっちゃんはさぁ。運命は自分で切り開くと思っている? それとも運だと思っている?」

「それは難しい質問ですな」

 ライネルとしてはここで実力と言いたい所であったが、それだけでは今の自分は存在しない。

「己を高めようと努力はしてきたし、それ故の元騎士団長であると自負しておりますが、騎士になる前はただ腕っぷしがあるだけの若者でしかなかった。伯爵様に見つけてもらえなければ、今の自分はなかったのも確かですな」

「まさにそれ、だね」

 パルフェはびしっと指をさす。

「ばあちゃんはよく言っていたよ。人生で何よりも重要なのは人の縁なんだって」

「人の縁、ですか」

「残念ながら私達は生まれた時点で八割方人生は決まっている。人種、性別、容姿、体格はもちろんの事、平民の子に生まれたら平民だし、貴族の子に生まれたら貴族だ。いくら努力したって私達は生まれる先を選べないでしょ? つまりは運が八割って事」

 身も蓋もない話であるが、ライネルはそれを否定は出来なかった。

「でも人との縁が決められた運命を変えてくれる。良い人と出会えればその人たちが自分を高めてくれるし、新たな道が見えてくる事もある。逆に悪い人に出会ってしまえば、どんどん下へ下へと引きずられる。だからばあちゃんは言っていた。良い人に出会いなさい。もし出会えたのであれば、死ぬ気でその縁を手放さないようにしなさいって」

「その人はつまり」

「ああ、私にとって姉さんになるね」

「パルフェ殿は何故わざわざフローディア国で商売する事を選んだので?」

「確かにグレイシア人がフローディア国に行っても、商売するのは厳しいと思っていたさ。でもフローディア国は売り先としてすごく魅力的だったんだ」

「ほう、魅力的ですか」

「商売で何より重要なのは需要と供給だからね。グレイシア国では普通であっても、フローディア国では珍しい物になる。それに出会いのチャンスとしてはフローディア国の方が期待値が高い。何せ会う人すべてが初めての人になるわけだしね。リスクも大きいけどチャンスもまた無限大だったんだよ」

「言っている事は分かりますが、よく決断出来ましたな」

「どうせ失敗しても命奪われるわけじゃないしね。悩んでる暇があったら行っちゃおうと。商品としては良いものを選別して自信があったし、後は先入観なしに見てくれればって。その結果が今だね。道が開ける時って一瞬で本当に劇的なんだ。あの時の姉さんには後光がさしてたよ」

 ライネルは納得する。彼もハイブルグ公爵に見いだされた時にそう思ったから。

「人は個で人なんじゃない。見てくれる人がいてこそ人なんだ。だったら多くの人と出会う事は無駄じゃなくて、己に対する最高の投資だと私は思うね」

 パルフェの持論を聞いてライネルはふと思い至った。リズベットもまた彼女と一緒なのだろうと。リズベットの現場主義は言い換えれば、出会うためと考えてもいいのではないだろうか。リズベットは多くの場所に顔を出していたため、皆彼女の利発さは知っており、不正を好まない人柄も知られていた。

 だからこそユーフィリア暗殺未遂事件はシュタイン伯爵の独断であって、無関係であろうと判断されたし、それを疑う者はほとんどいなかった。そう、リズベットは人との縁によって己の身を助けたのだ。いくら彼女が優秀であっても、それが周りに知られていなければ、このような結果にはなっていない。

 もはや納得しかないライネルはパルフェに言った。

「パルフェ殿の祖母は素晴らしい人物だったのですな」

「もちろん! 自慢のばあちゃんだもの」

 一切の曇りなきパルフェの笑顔は眩しかった。

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