第20話 聖女の叡智と言う劇薬
チェルシーとパルフェの話が一通り済んだ後、話は聖女の方へと戻っていた。レナードはユーフィリアに問いただす。
「仮にチェルシー嬢が聖女の日記を読めたとしよう。その中にあると思うか? 闇を払い、大地を祝福したという叡智と言うものが」
「あるないに関しては、はっきりと言えませんが、聖女の叡智が何であったのか推察は出来ています。リズベットは聖女の叡智が畑の作り方ではないかと考えていました」
「古くからの畑が聖女によるものだと。なるほど。大地を祝福したというのをそのように解釈したわけか。面白い考察だが一つ疑問が残る。もし本当に聖女の叡智が畑の作り方であるとしたら、何故その手法が今の世に伝わっていないのか。聖女が作ったのであればその作り方も伝授していてもおかしくないと思うのだが……」
だからこそレナードは古くからの畑と聖女をこれまで結び付けてこなかった。今の教会が畑の作り方を知っているわけでもないし、聖女の功績とするにはあまりにも証拠がなさすぎた。それに対してリングアベルは己の持論を展開した。
「逆に不自然ではあるんだよな。古くからの畑だけが残っている今の現状は。普通失われたにしても、いつどこで失われたか記録くらいはしてそうなもんだし、畑だけが残っていて、他の痕跡が全くないってのは何か意図的なものを感じるな」
「誰かがこんな素晴らしい知識を故意に封じたっていうんですか? にわかには信じられない。もっと畑が作れればフローディア国はどれだけ発展していたか」
まるで意図が分からないとノーヴィックは苛立ちを募らせる。
「んー、ひょっとしたら高等過ぎたのかもな」
「高等過ぎるだって?」
「俺はさ、リズベットを手伝って畑耕していたんだけど、その時に初めて土というものに真剣に向き合ったんだ。土なんてそれまでは全く意識してこなかった事でさ。土だけであんなに結果が違うなんて初めて知ったんだよ。そんな俺が古くからの畑の土を使って作物を育ててみた時、一番最初に感じたのは恐怖に近かったかもしれない」
「それはどうして……」
「あまりにも完成され過ぎていたから」
リングアベルのそれにノーヴィックは言葉を失った。
「なまじ土を知ってしまったせいか、古くからの畑の土の凄さがはっきりと理解出来てしまってだな。この世の物とは思えないって感じた程だった。何か人ってさ? 自分に都合が良すぎるとかえって怖くなるんだよな」
「だから伝えられなかったと?」
レナードの問いにリングアベルは頷く。
「だってあれがあると、フローディア国は覇道に行かざるを得なくなってたぜ」
リングアベルの怖ろしすぎる仮説に皆絶句した。だがレナードは王である故、それもありうると直観的に悟っていた。
「一気に国力が上がるんだ。その勢いに当てられて狂ってもおかしくない。武器や鎧に使う鉄が何とかなれば夢物語じゃないぞ。まあ支配する土地が大きくなりすぎると政治が届かなくなって、自らの重さで自滅するんだけどな」
リングアベルの言うあんまりな結末にノーヴィックは頭を抱える。血を流しながら全力で走り続けて、自滅なんて結果になった日には目も当てられない。
「またこちらが冷静であったとしても、食料が豊富な土地ともあればその価値はとても高いわけだ。リスクを冒しても得たいと思って当然。攻められる理由としても十分だ」
「どちらにせよ争いはさけられないわけだ」
レナードは悟った。夢の土地は争いの元になると。周囲の国から上手く隠し通せれば利益を独占できるであろうが、畑とあっては隠しようがない。日光が必要故に外である必要があるし、土地だって広大だ。リングアベルの考えは確かな説得力があった。
「ま、国として成長した今はまた状況が違っていると思うが、当時の貧しいであろうフローディア国で抱えるには大きすぎる力だったんじゃないかな」
ユーフィリアにとってリングアベルの考えは目からうろこであった。ユーフィリアは王女と言う立場故、国を豊かにする事こそが使命と考えている。だがそれが嫉妬を生む可能性は正直考えてはいなかった。というよりも統治者の妻である故に現実を知るため、一手で全てがひっくり返るような劇薬の存在を信じていなかったが正しいか。
「強くなるというのも考え物なのですね」
「成長するにも時期こそが重要か」
レナードもどこか夢から覚めたような気分であった。
「あー、あくまでこれは俺の推測だぞ? あまり真に受けられても」
あまりにもユーフィリアとレナードの顔が真剣すぎたため、リングアベルは慌てる。語るだけ語ったが、ここまで深刻にとらえられるのはリングアベルとしても予想外であった。
「リングアベル弟殿下、もちろん分かってますよ。でもいざと言う時のための覚悟はしておいた方がいいでしょう?」
「そう言う事だリングアベル。まだ聖女の日記の内容が分かると確定したわけでもないし、そこに畑について書かれているかもわかっていない。だからあくまで参考にさせてもらうって話だよ」
「それならいいけどよ……」
はぐらかされたようで釈然としなかったが、これ以上突っ込むことも出来ずリングアベルは頭をかく。一方でノーヴィックは今更ながらにリングアベルという逸材に驚いていた。リングアベル本人が言っていたように、外を見てきたからもあるのだろうが、この見抜く力は侮れない。
ノーヴィックとしてはレナードと言う存在をずっと見てきたため、リングアベルが王位継承争いを避けるために国を去ったのは、些か考えすぎじゃないかと思っていた。しかしこの頭のキレを見せられてはノーヴィックも納得せざるを得ない。もしもシングアベルが王城にとどまり続けたのだとしたら、国が二つに分かれていた未来もありえただろう。
「さて、考察するにも流石にここが限界だろう。ある程度今後の予測が出来た今、次に我々が何をすべきか」
今得られる情報は出尽くしたと判断し、レナードは早速次の段階へと話を進める。本題はむしろここからであった。
「聖女の古くからの畑の知識を得たにしろ、自分達の手で作り上げたにしろ、もしも我がフローディア国で穀物の増産が可能になった場合、どうすればいいか」
レナードの問いに対し、早速声をあげたのはノーヴィックであった。彼にも宰相としての意地がある。周りに圧倒されるだけではいられない。
「昔では食糧問題は各国で深刻だったかもしれませんが、リングアベル弟殿下がおっしゃったとおり、今だとかなり変わってきています。我がフローディア国は北のグレイシア国を含め、三つの国と隣接していますが、東のミリシアン国、南のグランナハ国で食糧が不足している話は聞いておりません。特に南のグランナハ国は私達フローディア国と同じく、グレイシア国へ穀物を売っています。これもグランナハ国内では十分の蓄えがあるからこそ出来る事でしょう」
「となりますとそこまで目くじら立てられる事もなさそうですね」
ノーヴィックの説明にユーフィリアは安堵の表情を見せる。しかしながら懸念もあった。
「ただ私達の目標はグレイシア国との友好を結び、かつ塩を安価に手に入れる事。そのためにはグレイシア国には穀物の購入を我が国だけで完結してもらいたい。グランナハ国からすればこれがどう映るか……」
誰かが良くなれば別の誰かが割を食う。だから世の中難しい。
「結局グランナハ国としても塩が買いたいのでしょう。そうでなければ、いくら高く売れると言っても、わざわざ遠いグレイシア国まで行かないはずです。だから我が国だけでなく、グランナハ国も塩の恩恵が受けられるようにすればいいのでは? 塩が安価に買えるようになったとしたら余分に仕入れて、グランナハ国には特別そのままの価格で販売するとか。塩は海から取れるので足りない事はありません。増産しようと思えば可能のはず」
議論するユーフィリアとノーヴィックの間にレナードが口をはさむ。
「しかし穀物を供給を増やすだけでグレイシア国はこちらを信頼してくれるだろうか? 食料を十分に賄えたとしても、作れるのはこちらだけなのだから、相手からしたら命を握られているようなものだろう。関係改善にはなるだろうが、友好には程遠い気がする」
レナードの言った事はもっともな話で二人は口をつぐむ。だからといってただでくれてやるわけにもいかないし、ユーフィリアは頭を悩ませる。
「こうしてみるとリズベットとチェルシー嬢がとてつもない存在に感じますね。どうしてそうあっさりとグレイシア人と仲良くなってるのか……」
悩む三人に対し、リングアベルはあっけらかんと答えた。
「その答えは簡単だぞ」
「「「え?」」」
「実際に会って会話しているからだ。フローディア人、グレイシア人がどうこうじゃなくて、リズベットはパルフェを気に入った。パルフェもリズベットが気に入った。それだけの話さ。仲良くしたいのであれば国がどうとかじゃなくて、まず人が信用できるかで考えた方がいいぞ」
何を当たり前な事をと言わんばかりのリングアベルに、三人は呆気にとられる。固まる三人の中で最初に動き出したのはレナードであった。
「リングアベル、お前って奴は!」
「え、なんだよ兄上。ちょっ!?」
いきなりレナードにハグされてリングアベルは困惑の極みに陥った。レナードとしてはここぞと言う時に助けてくれる弟が嬉しくてしょうがないわけで。
「恥ずかしいから離せよ! 俺別に大した事言ってないだろ!」
「いーや、お前は天才だ!」
「はぁぁぁ!? 頭でも狂ったか?」
レナードのめったにない姿を見て目が点になっているノーヴィックであったが、一方でユーフィリアは微笑ましさを覚えていた。ユーフィリアはレナードがリングアベルに対して、ずっと申し訳ない気持ちを抱えていたのを知っている。だからこうして争う事もなく、弟が助けてくれるのが嬉しくてしょうがないというのも理解できた。
それにリングアベルの言った何気ない一言はまさに天啓だ。分からないなら会って話してみればいい。確かにそれは何も特別ではない普通の事だろう。誰でも思いつく事だ。でもそれこそが答えだとユーフィリアは思った。今まで難しく考えすぎていたのだ。
これまでフローディア国とグレイシア国はあまりにも対話がなさ過ぎた。国同士で行き来出来る関係ではあるため、年に一回会議こそあるが、あらかじめ決められたやり取りしかせず、深く入りこもうとはしなかった。
国を担うのは結局人だ。であればその人を知らずして国を信用出来るわけがない。
リズベットはグレイシア人のパルフェと出会い、仲良くなったからこそ、グレイシア国ともうまくやれるのではないかと希望を持った。前例があるのだったらユーフィリア達もそれに倣えばいい。
「いきなりトップ会談は難しいでしょうからそうですねぇ……」
これからどうしようかと早速知恵を凝らすユーフィリア、その姿は実に楽しそうであった。そんな楽しい気持ちも、後にリズベットの斜め上過ぎる行動が発覚した際にかき消されるわけであるが。今の彼女は知る由もない。
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