第9話 リングアベルはお腹が痛い


 レナード王の弟であるリングアベルは多大なる緊張から吐きそうであった。ストレスと無縁の生活を送っていたはずなのに。何でこんな王になり替わるなんて、胃に穴が開きそうな事をしているのか。

 いつものようにリズベットにちょっかいをかけに行ったら、丁度いいと馬車に押し込まれ、あれよあれよのうちに王城へ。リズベットが何か変装をしていると思ったら、自分はユーフィリア王妃だと嘘を吐くし、リングアベルはレナード王であると言い放った。リングアベルが叫ばなかったのは腐っても王族だった故か。

 王と王妃が倒れたから助けに行く、それはまあ分かる。でもその方法が斜め上すぎてリングアベルは仰天した。とんでもなくやばい事にまきこまれたのをようやく理解したリングアベルは、逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、事態はさらに悪化の道をたどる。

 リズベットが会議の場に乱入し、自分達が偽物だと速攻でばらしたのだ。その上でどうするか決めろと皆に迫った。いっその事、意識を失ってしまいたい。そのような事を思ったのはリングアベルは生まれて初めてであった。

「リズベット……」

「今はユーフィリアよ。レナード殿下」

 情けない声で助けを求めるが、リズベットは相変わらず容赦ない。今日も今日とてリングアベルはレナード王として、様々な場所を訪問していた。これは体調不良の噂を払拭するためであり、王と王妃は未だに健在だとアピールする狙いがある。

 政治的な事は何もしなくて良いのは助かるが、王に成り代わって笑顔で対応するのは、実に精神が擦り切れた。

「ゆ、ユーフィリア。今日の訪問はこれくらいにしておかないか? アピールは十分だろう?」

「いいえ、後三件は回るわよ」

「そんなに!? そこまでやる必要が本当にあるのか?」

 リングアベルの疑問に対して、この軟弱者がとリズベットは睨みつける。美人のそれは非常に迫力があり、リングアベルはタジタジになる。しかし元から覚悟が決まっているリズベットと比べ、リングアベルは巻き込まれただけである。むしろ良くここまで付き合ってくれていると言えるだろう。

 だがリズベットとしても理由なくしてやっているわけではない。今ここでやらなければならないからこそ、無茶を押し通しているのだ。

「私が国王夫妻が健在であると見せつけたいのは国民『だけ』じゃない。私達は他国の間者にも見せつける必要がある」

「それは理解できるがリスクの方が高くないか?」

 リングアベルは決して頭が悪いわけではない。単純に疲れたのもあるが、それとは別に彼はやりすぎる事によって、自分たちのなりすましがバレる方を懸念していた。

「別にばれても構わないのよ。いいえ、むしろばれてほしい」

「穏やかじゃない話だが、理由は?」

「このフローディア国の国王夫妻は素晴らしい」

「一体どうした? 確かに兄上達は優れた君主だと思うが」

「それしか聞かないの」

「……そういう事か」

 リングアベルはリズベットの言わんとしている事を察した。つまりフローディア国は国王夫妻だけと思われている。その情報は正しくない。内情を知る彼にとっては、他にも優秀な人材がいると知っている。それが知られていないのはレナード達の失策に他何らない。

「兄上も義姉上も完璧主義者だからな」

「そう、自分でできてしまうから、割り振るのが下手なのよね」

「その結果、国王夫妻以外は恐れずに足らずと思われていると」

「別にどっかの国が攻めて来るとかそこまでは考えてはいないけど、その悪評を放置したいとも思わないわ。国王夫妻が不在でもやれるって所をちゃんと見せないとね」

「はー、もっと兄上達がうまくやってくれていたら、俺の胃がこんなにキリキリする事はないのになぁ」

 リズベットは情けない事を言うリングアベルを笑う。だがそれは決して嘲笑の類ではない。凄く後ろ向きであるが、この男はなんだかんだでリズベットの要望をこなしてくれるのだから。胃薬を服用したという事は延長戦OKの合図だ。

 連戦する覚悟を決めたリングアベルは、頼りない顔を引き締め、レナードっぽい王へと変貌する。それに合わせて、リズベットもお淑やかなユーフィリアへと変貌し、次の場へと向かった。

「さあ、もう少し頑張りましょ」

「全くお前といると退屈しないよ」

「それは何よりね!」



 リングアベルの世捨て人のような人生が劇的に変化したのは、リズベットが辺境にやってきてからであった。リングアベルは王位継承権争いに嫌気がさし、己自ら継承権を破棄した人物である。

 別にリングアベルは側妃の子などではなく、れっきとした正妃の第二子であり、レナードや両親、家族間の仲は悪くなかった。

 リングアベルが嫌ったのは権力を得ようとする周囲の者である。弟として存在するだけで優劣がつけられ、どっちが国を率いるのにふさわしいかを比べられる。一番優秀な後継者こそが国を治めるべきとなるのは仕方のない事である。しかしそのために対立を煽り、あまつさえ利権を得ようとする者達のなんて醜悪な事か。

 リングアベルは自分が兄の足かせになる事を恐れ、国の勢力が二つに別れる危険性を回避するために、己自ら表舞台から降りたのであった。その後は特に目標も持たず、国内を転々とする生活を送っていた。

 己の立場が立場故、下手に功績を作ってしまうわけにも行かなかったのだ。

 周囲は悲劇の王子と哀れんだが、本人は気ままな一人旅を楽しんでいた。王位継承者のままでは、得られなかったであろう経験ができた事は、とても幸運な事であるし、王族ではなく一国民としてフローディア国を見れたのは代えがたいものだ。無論、良い事もあれば嫌な事もある。それでもリングアベルは後悔はしていない。

 リングアベルに唯一心残りがあるとすれば、兄と両親ともう会う事はないだろうという事。会いたいと思っても、争いの種になりかねない自分が戻るわけにはいかなかった。リングアベルは自分はそうやって今後も生きていくと疑っていなかった。

 辺境の地に訳アリの伯爵令嬢がやってきたと聞いたのは、その矢先の事であった。

 リングアベルは国に関わらない事は決めていたが、それでも情報だけは仕入れている。そこでリズベットが辺境の地に追いやられた経緯を聞き、あまりにもの不憫さに同情を禁じ得なかった。リングアベルの場合自分から去ったわけであるが、志半ばで辺境に送られてしまったリズベットに、どこか自分と近いものを感じた彼は、彼女を慰めようと思い至った。


 その気まぐれが彼の人生を大きく変えた。


 リズベットを初めて見た時、リングアベルは仰天した。まず目につくのは至る所にある本の山、一心不乱に読みふけるリズベットに落ち込んでいる様子はまるでなく、むしろ軟禁生活を満喫しているようであった。リングアベルが呆気に取られていると、リズベットは本に視線を向けたまま言った。

「今良い所だから、食事はこちらに持ってきてくれる? いつものサンドイッチでいいわ」

「いや、俺は……」

「ん?」

 リングアベルの声を聞いて、やっといつもの従女でない事に気づいたリズベットは、本から視線を上げ、訝しげな表情でリングアベルの方を見た。

「あんた……誰?」



 リングアベルとリズベットはそれ以来の付き合いだ。リズベットの存在はリングアベルからすれば新鮮で、話していても全く飽きがこない。

 軟禁されていて不幸じゃないのかって聞いても、ゆっくり勉強する時間ができたと言うし、もっと本が欲しいという始末。勉強以外でやる事も普通の令嬢とは程遠く、魚のいない池で釣り糸をたらしているのは意味不明すぎて笑ってしまった。馬鹿にする前にやってみろと言われてやってみたら、思いの外ありだなと思ってしまったり。

 いつしか根無し草であるはずのリングアベルは、辺境に定住してしまっていた。リズベットと付き合うのはすっごく疲れるが、だからこそ楽しい。そして何気にリングアベルはリズベットと政治談議をするのも好きであった。

「やっぱり今後起こりうるのは食糧問題だと思うのよ」

「食料か? 我が国は安定している方だと思うが……」

「他国の事なんだけど、冷夏だった年があったらしくて、その時の収穫高が激減したらしいわ。フローディア国も基本的に穀物頼りだから、もしもはあり得るって思っていて」

「確かにないとは言い切れないな。冷夏でなくとも、雨の量などによっても出来が変わると言うし」

「そう、でも私達は天気を操る術はない。だったらいざと言う時の為に穀物以外の手段も持っておかないと。蓄えていたって今の収穫量では限度があるわ」

「あの子は使えないのか? ほら、リッチモンドストロベリーの」

「チェルシー嬢?」

「リッチモンドストロベリーは既存のストロベリーから改良したものだと言う。工夫で味が変えられるのであれば、気候の変動に強い作物とか、早く育つ作物とか、色々作れるのではないだろうか?」

「なるほど。実に面白い考えね」

 リングアベルは王位継承権のないただの人、リズベットは罪人の娘で、衣食住は保障されているが、肩書としては今はただの平民、どれだけ語ろうがこれらが有効に活用される事はないはずであった。

 それでもいいとリングアベルは思っていた。語るのはタダだし、検証はできないから結果は分からないが、責任ない状態だからこそ好き勝手言える。と思っていたら畑仕事に駆り出されたわけだが。これにはリングアベルも心底驚いた。

「あなたが言ったんじゃない。気候の変動に強い作物とか、早く育つ作物とかどうだって。それを知るには自分達でやってみるのが一番。本当はチェルシー嬢に会いたいんだけど、今の私はそうもいかないしね。どうせ時間あるんだから私達でやってみましょ」

「私……達?」

「どうせあんたも暇人なんでしょ?」

 リズベットから鍬を手渡され、リングアベルは絶句するしかなかった。

 それからのリズベットはさらに遠慮なくなり、思いついた事は片っ端から試すようになる。そしてリングアベルはその都度貴重な人手としてこき使われる。もしかしたらリズベットと出会ったのは間違いだったかもしれない。リングアベルがそう思い始めたのはこの頃であった。



 そして今、どういうわけか、リングアベルは国の命運を担っている。覚悟がないまま連れてこられ、表舞台に引きずり出された。

 宰相のノーヴィックの同情の視線が、リズベットのヤバさを物語っている。だがそんな彼は同情こそしてくれるものの助けてくれはしない。むしろ自分が犠牲にならないで済んだと、安堵している節もある。

 もう責任が重すぎてリングアベルは胃薬を手放せない。でも良かった事もあった。王と王妃を引退し、最後に見た時よりも老いた両親と再会を果たせたときは、涙をこらえる事が出来なかった。兄のレナードと会った時も、無言で抱き合い、お互いの無事を喜んだ。

 すでに王位継承は済んでいるとはいえ、リングアベルの帰還は波紋を呼ぶかもしれない。リズベットにしたってそうだ。緊急事態だったからこそ許されているが、レナードとユーフィリアが正式に復帰したらどうなるか。

「まあ、そこは兄上と義姉上に任せるのがいいか」

 先の問題よりも重要なのは今だ。責任から逃げていたリングアベルにはどこまで出来るか分からない。それでも精々理想の王を演じてやろう。

 結局のところ、リングアベルはリズベットの事を嫌いになれない。ついていくのは大変であるが、彼女の情熱は唯一無二のものである。満を持して開花したこの薔薇はとても美しい。

「ここまで来たら最後まで付き合ってやるよ」

 リングアベルはお腹に手を添えて笑っていた。

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