【短編】その悪役令嬢は餌付けされている〜前世料理男子の執事はお嬢様の破滅を阻止したい〜

秋色mai

前世料理男子の執事はお嬢様の破滅を阻止したい〜



『ねー、ちょっとお菓子作ってよ。彼氏にバレンタインであげるから』

『は? 高校生の弟に作らせるとか……姉ちゃん、それは彼氏が草葉の陰で泣くって』

『いや勝手に殺さないでよ。ほら、これあげるからさ』


 俺は難色を示していたが、姉の取り出したものを目にした瞬間、態度を一変させてしまう。

 ……それは初版限定の、今はもう手に入らないSSショートストーリーだった。

 俺はそれを受け取ると、すぐさまキッチン脇の収納から製菓用チョコレートを取り出した。さっさと作って熟読したかった。


『出来上がったら呼んでよ。大学に持ってくから』

『わかった』

『あんた本当に『わた聖』好きよねー』


 俺こと、安住あんじゅう悠人ゆうとは料理男子だった。暴君な姉の影響か、少女漫画好きで女子の扱いがおそらく上手く、趣味は料理。お前モテるだろと知らない人からはよく言われるが、全くモテない。


『グレース様可愛いだろ!』


 友達が言うには、俺がガチ恋オタクだかららしい。

 『わた聖』、正式名称『私が聖女様ですか!?』というアニメ化までした少女漫画なのだが、俺はその中に出てくる悪役令嬢グレース様を推していた。

 冷酷で高慢、それでいて全く素直じゃない。

 悪役に相応しいキャラだ。だけど、俺は熟読したからこそ知っている。本当は全然違うんだって。


『あー……あの世界に俺がいればっ! 絶対に破滅なんかさせないのに!』


 そう叫びつつも手はしっかりと動かす。予熱しておいたオーブンにカップケーキを入れたところで、俺はさっそくSSを読み始めた。



         *


 

「はじめまして、お嬢様。本日より執事を務めさせていただきます、ジュード・アビントンと申します」


 おそらく同い年くらいの少年はそう言って、私の前で騎士のように傅いた。短く揃えた黒髪を揺らし、凛とした深緑の瞳は、まっすぐと私を見ている。

 おかしいわ……、てっきり借金の形に執事なんて嫌だと不貞腐れた態度を取られると思っていたのに。そのまま不遜な態度を理由に解雇しようとしていたのに。


「……そう畏まらなくていいわ。借金の形なのでしょう? せいぜいわたくしの役に立つことね」

「はい! 精一杯務めさせていただきます!」


 そんな……恍惚とした顔で言われても……。

 私、グレース・ハワード侯爵令嬢、十二歳はとても困っていた。


 数日前、借金の形としてアビントン伯爵家の次男が執事となる、とだけ冷たく両親に告げられ、私は頭を抱えた。

 ただでさえ人が苦手なのに、異性の使用人なんて扱えないに決まっているわ、と。

 ……怖いからと虚勢を張って、高慢な態度を取ってしまう。侯爵家たるもの、隙を見せてはならないと口を開けば見下したことを言う。私はいつもそうだった。人を傷つけたくなんてないのに。


『だから、両親は私に見向きもしないのかもしれないわね……』


 なんて。

 ……そして私は考えた。どうせ傷つけるなら、早いうちに難癖をつけて解雇にしてしまえばいいのだと。

 そもそも、確かに下位の貴族が上位の貴族の専属の使用人になることはよくあることだけれど、侯爵家と伯爵家、令嬢と令息なんて組み合わせは普通あり得ない。


 なのに。



「お嬢様、起床のお時間です」

「っきゃああああ! 淑女の眠りを妨げるなんて紳士のすることじゃないわ!」

「俺は専属の執事、いうなれば従者ですから。男性カウントには入りません。お嬢様、寝坊ということはまた夜更かししましたね?」


 ジュードは全くめげなかった。いくら私が見下すような態度を取っても、ニコニコと、まるでご褒美をもらった犬のように喜んでいた。

 正直少し怖いくらいだけれど、そんなジュードによって私の生活はみるみるうちに変わっていった。


「いや、もうかさなくても国宝並みに美しい銀髪なんですけど……このドリルだけなんとかなりません?」

「貴方何を言って……」

「このままだと悪役令嬢ルートにダイブすることになりますし……三つ編みにしちゃっていいですか?」


 まだいいなんて一言も言っていないのに、ジュードはキツく巻いているような癖のある髪を綺麗に結ってしまう。

 鏡には、知らない自分がいた。ゆるくゆわえた一本の長くて太い三つ編みは、私のアメジストのような瞳をささやかに引き立ててくれている。

 私、こんなに清楚な見た目になれたのね。


「ふぅ……これでドリル回避」

「回避……?」

「さ、朝の支度も終わったことですし、本日のご予定の確認を……」


 たまに、意味不明なことを言っては誤魔化すのは少し謎だけれど、ジュードは優秀な執事だった。



「……お嬢様、ジュードです」


 それからしばらくして。私が時計の針が十二時をすっかり超えたのに気づかず勉強をしていれば、扉をノックする音が。思わず体が跳ねたけれど、ジュードだとわかって少し安心する。


「こんな遅くまで……。部屋の電気が消えていないから何事かと思えば! ほら、ペンを置いて、寝る!」

「もう少しだけ……」

「ダメです!」

「私はっ……侯爵家の一人娘としての責務がっ……」


 柄にもなく、初めて駄々をこねた。こんな時間に続けても非効率的だとわかっているのに。ジュードの言うことが正しいとわかっているのに。

 ……そんな時。


「きゅるるぅ」


 情けない音が、部屋を静かにした。

 嘘、でしょう。まさか、こんな、はしたない。嫌だ、人に聞かれて……淑女失格で……。

 バッとお腹を抑えれば、もう私のお腹の音だと白状しているようなものだった。

 恐る恐るジュードを見れば……優しい顔で笑っている。


「ップ……アハハ。お腹空いたんですか?」

「……ええ、そうね」


 私は拍子抜けして、気が抜けたように返事してしまう。ジュードは少し考えた後、悪巧みのように提案した。


「本当はこの時間に食べるのは良くないですけど……いつも頑張っているお嬢様に、ホットケーキとホットミルクを作りましょう」

「ほっとけーき?」

「パンケーキの一種です。じゃあ、ちょっと厨房行ってきますね」


 そう言って厨房に向かおうとするジュードの袖を引っ張った。今は真夜中だ、と意識したら少し怖くなったせいかもしれない。一人になったら、なんだかおばけに連れ去られそうで。十四歳にもなって、私ったら子供みたいだわ。


「お嬢様?」

「……一緒に、ついていっていい?」

「なるほど、わかりました。旦那様には内緒ですよ」


 察しのいいジュードは、私を連れていってくれた。それでも少し緊張した様子だったので、お父様もお母様も、私に興味なんてないから大丈夫だと、耳打ちした。ジュードは少し悲しそうな顔で微笑んだ。

 厨房は真っ暗だったけれど、慣れた様子で角の明かりをつける。


「まず材料はこちら。薄力粉にベイキングパウダー、砂糖に卵、牛乳。そしてかける蜂蜜とバターは忘れずに」


 まず、全部綺麗に計量している。お菓子作りはちゃんと計ることが大切らしい。

 そうしたら計量した薄力粉、ベイキングパウダーと砂糖を混ぜて……。


「ベイキングパウダーって何?」

「膨らし粉です。炭酸水素ナトリウムと……あとなんだっけな。理系は得意じゃなかったから」

「炭酸? 理系?」

「いや、なんでもないです。とりあえず膨らましてくれる粉ですよ」


 よくわからないけれど、そうらしい。

 次に、卵を溶いて、牛乳と混ぜ合わせたものを、粉に軽く混ぜていく。


「混ぜすぎは注意です」

「次は焼くの?」

「いいえ、こうやってフライパンを熱したら、濡れぶきんで少し冷まします」


 こうすると火の通りが均等になって綺麗に焼けるんです、となんだか得意げな顔。

 そうしたら、高い位置から生地を入れて、焼いていく。


「表面がプツプツしてきたら……ひっくり返す」

「……綺麗な狐色」

「でしょう?」


 それから数枚を焼いて、ホットミルクも用意してくれた。

 普段入れない厨房で食べるほっとけーきは優しい味がした。ふわっとしっとり、バターの塩気と蜂蜜のとろりとした甘味が、幸せを教えてくれる。

 自分だけ食べるのも申し訳なくて、ジュードと半分こした。


「さ、歯を磨いたら寝ましょうか」

「ええ……同い年なのに、ジュードったら物語の母親みたいね」

「お嬢様の母親代わりなんて光栄ですね」

「冗談よ」


 その日の夜は、とてもよく眠れたのを、よく覚えている。



 いつのまにか、私はジュードに慣れてきているようだった。

 ジュードはよく私に三時のおやつとか軽食を作ってくれる。


「今日は何を作ってくれるの?」

「そうですねー、いい卵が手に入ったそうなのでプリンとか?」

「プリン! 嬉しいわ」

「……もうすっかり素直に言えるじゃないですか」


 そして、その頃には、ほぼ会ったこともない殿下との婚約も決まった。



「もう学園に入学なんて早いですよね」

「本当ね……というか、その格好は何?」


 立派な校門の前で時の流れを実感しつつ、気になっていたことをついに聞いた。

 ジュードは制服を着崩し、ピアスをたくさんつけていた。髪もいつものもっさりじゃなくて無造作のようにスタイリングされていて……なんだか、女性に言い寄られそうな雰囲気。


「こうすれば、お嬢様に虐められている執事になんて見えないでしょう?」

「わ、私、虐めているの?」

「いや、全く。念には念をということです」


 ジュードがあんまりにも真剣に言うものだから、私も少し心配してしまう。

 正直、私はいまだに人が苦手なままだった。


「お嬢様、何したんですか?」

「……何もしてないわよ」


 教室に入れば、何やら品定めのような敵意のような視線を向けられた。

 ジュードの考えでは、まだデビュタントをしていないご令嬢方は基本舞踏会には参加できない。つまり殿下の婚約者である私をまじまじと見る機会は今が初めてだからではないか、ということだった。


「さっそくひとりぼっちになってしまったわ」

「大丈夫ですよ、俺がいます」

「……それもそうね」


 なんて中庭で話していると、遠くから殿下が歩いてきた。どうやらこの先の植物園に用があるご様子で。


「久々だね、グレース嬢」

「お久しぶりです殿下」


 一応婚約者として、また侯爵家として、スカートの裾を軽く持ち上げ、挨拶をした時だった。


「きゅるるぅ」


 お腹が、鳴って……しまっ……。

 一気に頬が熱くなったけれど、ジュードが袋の中のドーナツをちらりと見せてくれたことで冷静になる。

 ああ、よかった。この後の授業でもお腹が鳴り続けたらどうしようと……。


「お腹が空いているのかい? 確かキャンディーが……」

「お見苦しいところをお見せしてしまいましたわ。お気遣いなさらず。軽食は持ってきております」


 何事もなかったかのように、上品に微笑む。殿下はお優しい方ですのね。

 ですが、忘れてくださると嬉しいわ……。私のお腹の音を覚えているのはジュードだけで十分です……そんな淑女の恥を……。

 それからしばらくして、転校生が入ってきたり、喜ばしいことに婚約破棄の申し出を受けたりと、いろいろありつつも基本穏やかに、相変わらず二人ぼっちで、学園生活は続いていた。



「お嬢様、今日のおやつはカップケーキですよ」

「まぁ、本当……ハッ!」


 ここは、教室の、はずでは……。

 周りを見ると、クラスメイトはざわめいている。そしてしたり顔のジュード。これはまさか……。


「嵌めたわねジュード」

「お嬢様は可愛いってクラスメイトにも知ってもらいたかったんです」


 急いで中庭に移動して問い詰めればこの始末だった。私の積み上げてきた侯爵令嬢としての評判が……別に何もないじゃない。逆に孤高と恐れられていたのがなくなってよかったわ。

 なんて思えてきた私を差し置いて、何やら熟考しているジュード。


「何をしているの?」

「お嬢様の婚約者候補のリストアップを……」


 私の、婚約者候補の、リストアップ?


「旦那様が候補を教えてくださったので……」

「必要ないわ」


 そう断言すると、きょとんとした顔のジュード。どうしてそんな顔しているの?


「だって、貴方が婿養子に来ればいいだけの話じゃない」

「は?」

「私のことを、私以上に知っているのは貴方でしょう?」


 私は、貴方以外と結婚なんて嫌よ。

 当たり前にわかっていることだと思っていたのだけれど。それこそ婚約破棄の申し出が来た時に二人で喜んだじゃない。


「お、俺とお嬢様が……!? それは解釈違いでっ……えぇ!?」


 ジュードの悲鳴のような驚きのような声が中庭に響いた。


         *


『ジュード、お前は借金の形としてグレース・ハワード侯爵令嬢に仕えることとなった』


 まだ十二歳の時、そんな衝撃的なことを親から突然告げられたショックで、俺は前世を思い出した。

 え、嘘だろマジかと言いたくなったのをよく覚えている。

 ここは、前世で愛読していた少女漫画、“わた聖”の世界だった。そして俺は、超一般的な家庭で育った、グレース様推しであり料理が趣味の、普通の男子高校生だった。SSを手に入れた喜びで浮かれて、信号無視のトラックに気付けず死んだが。


『頑張って仕えるんだぞ』

『よろしく頼むわよ!』


 対して今世の俺ときたら、まさかの没落寸前な伯爵家の次男。両親が借金の返済のために新事業を始め、より多くの借金を負ったという最悪な事態である。

 確か、作品内で執事の立ち位置はグレースに虐げられている被害者だった。

 そうか、こんな流れで執事となったのか。正直両親はクソだがグレース様に仕えられるのは最高だ。俺が生まれ変わったからには、絶対にグレース様を幸せにしてみせる!


『それにしても、王子に惚れた理由がお菓子もらったからなんて……可愛すぎないか?』


 めいっぱい作って食べさせてあげよう。

 死ぬ直前まで何度も何度も読み返していたSSを思い出して、思わずそう呟きつつ決意したのだった。



「初めて聞いたわ、そんな声」


 なんて一瞬飛ぶくらいキャパオーバーな俺のことは全く気にせず、グレース様は軽やかに笑う。ふわっと、花が舞うように。暖かい空気と柔らかな声で。


『どうして、私が、貴女のために、好きを諦めなければなりませんの! 私は、私を守ります。道理も弁えず奪っていった泥棒に、私の恋心まで消されてたまるものですか!』


 孤独に苦しみ、一途な恋を邪魔され、捨て台詞を残して物語から退場した悪役令嬢は、もう存在しなかった。

 全然状況は違う。けど、好きなものを邪魔や否定されても、気高く自分の好きを守った彼女に、前世の俺は恋に堕ちた。もちろん、今も堕ちたままだ。


「可愛い」

「え?」

「グレース、可愛い」


 だけど、今度は笑顔にも射抜かれた。


 ────あの殿下凸イベントが、破滅への分岐点だったことを、ジュード安住悠人はすっかり忘れていた。

 あれだけ破滅フラグを折ろうとしていたのに、まさか関係ない餌付けによって回避してしまっていたのは、誰も知らない。

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