流星ちゃんはきらめかない

月見 夕

乗っ取られた学校

 大切な桜の枝を切っちゃったのに怒られなかった人の話、あれ誰だったっけ。

 罵詈雑言飛び交う一年二組の教室の天井を仰ぎ、私はぼんやりと意識を空想の世界に飛ばした。言葉の矛先は全部私に向いているはずなのに、どうも現実味が湧かない。

「ちょっと吉川さん、聞いてるの!?」

「無視とかウザ」

 机を蹴る女子の目に、私はどう映っただろう。少なくとも生意気には見えたかもしれない。横にいた子たちは畳み掛けるように言葉を連ねる。

「責任取りなよ」

「皆が楽しみにしてた桜折った罰」

 そう言って私の机に転がしたのは、一本の桜の枝だった。肘から先ほどの長さのそれはチョークのように細くてか弱い。枝の先端にはこれから咲こうとしていたであろう、緩み始めた蕾がひとつだけついているが、残念ながらもう咲くことは叶わないだろう。

 無残にも折れてしまったのは、確かに私のせいだった。

 昨夜の突風で校庭の桜にビニール袋が引っかかっていたから、取ってあげようとしたのだ。脚立で登り手を伸ばすと、枝先は乾いた音を立てていとも簡単に折れてしまった。

 呆然と手にした折れ枝を見つめていた私を、同級生たちは見逃さなかったのだった。

「罰として生贄な」

 窓の外を指す女子につられてそちらを見ると、黒板一枚分はあろうかという巨大な瞳と目が合った。

 無機質で昏い瞳孔に、教室の喧騒が静かに映っている。中心の私は周りの声に頑なでいようと決めていたのに、思わず身震いしてしまう。

 ようやく私が竦み上がったと見るや、それまで騒いでいた同級生たちは面白そうに鼻で笑った。

 はこの世界の生き物ではない。なかった。少なくとも、先月までは。



 ◆



 私の通う中学校では「こっくりさん」が流行っていた。それはもう大人の手の付けられないほど、爆発的に。

 右の席でも左の席でも隣のクラスでも上の学年でも、とにかく休み時間になると皆手製の紙と十円玉を持ち出して集まり、「こっくりさん、こっくりさん」とやりたがった。

 人差し指を乗せた十円玉はあらゆることを教えてくれる。今日の天気は、誰それの恋の行方は、明日のテストの範囲は――不確定な未来でさえも占ってくれるこっくりさんに、皆して夢中だった。

 対して私は、そんな同級生たちを敬遠していた。心の中では馬鹿にもしていた。何がこっくりさんだ、参加者の誰かが面白がって意図的に動かしているに決まってる。

 元々友達もあまりおらず、クラスの中でも浮いていたがために誘われもしなかったのだけど、どれにしても教室の皆の熱狂ぶりにはついていけなかった。


 こっくりさんへの「お伺い」は次第に「お願い」にすり替わり、だんだん暗く黒いものも混じるようになっていった。

 期末テストで満点取らせてください、隣のクラスの誰々くんへの告白が成功しますように、気に入らないあの子を痛い目に遭わせてください、ウザい先生を休職させてください、虐めてくるあの子を消してください――中にはぞっとするほどの怨嗟のこもったものもあった。五十音の紙に祈る様はまるで神社の願掛けのようだったけれど、もうそれは願いというより呪いだと思った。

 不思議なことに、皆のお願いが成就する確率は日に日に上がっていった。すべては叶わなかったようだけれど、その中のいくつかが叶い、同級生たちの興奮は一層熱を帯びていった。

 

 そんなある日のことだった。

 銀の毛並みが輝く美しくも巨大な狐は、突如として空の彼方から昼休みの校庭に舞い降りた。

 地響きのような振動で、バレーボールに興じていた数人が校庭の隅に転げていたのをよく覚えている。

 恐らく校舎を見下ろすような大きな化物だったのだろうが、全身から迸る神々しさというか、神秘的な美しさを見上げ、皆一様に悲鳴を上げることなくただ言葉を失っていた。

「こっくりさんだ」

 誰かがふとそう言って、やがて皆口々に言いだした。

「多分そうだよ」「本物のこっくりさんだ」「すごい」「誰が呼んだの」「こっくりさんだって」「え、うそ」「先生呼んでくる」「大きいね」

 こんなのがこっくりさんなわけがあるか、と内心思いはしたが、私はあまりの恐怖に声も出せなかった。大狐は校庭に座り込み、全ての教室の窓を舐めるように見回し、そして耳まで裂けそうに口の端を上げた。多分、笑った。

「コレマで叶えタ願いと引キ換えニ……いけニエだ……イけにエを……よコせ」

 声は全生徒の脳髄に直接響いて、私たちはその超然とした存在を認めざるを得なかった。生贄って何を、と怯えた眼差しで見返したが、狐は舌なめずりして目を細める。それは間違いなく、私たちのことを言っているのだと分かって誰もが震えた。



 ◆



 誰かを生贄に選ばなければ、食われるのは自分たちの誰かになるかもしれない。

 こっくりさんは大人には見えなかった。だから先生や親に何をどう説明しても理解を示してくれることはなかった。

 だから皆血眼になって差し出しても良い人間を探した。生贄を選ぶ基準なんて、きっと皆何でもよかった。それはどんなことでも良かったのだと思う。スクールカーストの最底辺、目立たないガリ勉、友達がいない暗い奴から、苛烈な虐めをして逆に浮いていた不良まで、とにかく「いなくなっても困らない人」や「周りにとって害をなした人」はどんどん生贄に指名されていった。

 生贄に差し出された人たちは、文字通り消えてしまった。

 指名は多数決で、しかも全員で選ばなくていい。つまり数人にでも後ろ指を差されてしまえば、その時点で一発アウトなのだ。

 私たちは皆互いが互いを監視するという、異様な緊張感に包まれて生活することを余儀なくされた。

 そんな中、私は桜の枝を折ってしまったのだ。

 きっとこの教室で私を糾弾している人間は誰も、校庭の桜だなんてどうでも良かったはずだ。いつ咲くのか、もうすぐ咲きそうかなんて一切気にしていなかっただろうに、ただそれが私を生贄にする格好の動機になるから責め立てているだけだ。内心自分が差し出されずに安堵しているのだろう。だから皆ほっとしたように、心置きなく私を責め立てるのだ。

 それが分かっているから、私は怯えて見せたくはなかった。友達のいない私はいずれこうなってしまうのだろうと、大狐が現れてからずっと思っていた。けれどはっきりと「いらない人間だ」と言われてしまうと、大して思い入れのなかったはずの一年二組の風景が滲んで見える。

 そんなに私がしたことはいけなかったかな。私とあなた達のどちらが正しいのかなんて考えるのはもう無駄なのだろうけど。

 ああ、私は蛾になりたい。

 ごめんなさい。皆の言う通り、私はここにいる皆と一緒に人間をやる資格はないです。暗がりでひっそりと息を潜めています。人目のない夜にだけ羽ばたいてここじゃないどこかへ飛んでいけるなら、私はもう私でなくていいから。

 そう心から願うと、窓の外の目玉が笑った気がした。

 瞬く間に私の身体は空気に溶け出して、ああ白湯に紅茶葉を浸したみたい、だなんて考えているうちに視界が眩む。腕だったはずの羽が灰色の鱗粉を纏い、靴下を履いた両足がなくなって三対の脚が生えたあたりで、ふつりと意識は途切れてしまった。


 気が付いたら辺りはすっかり夜で、私は見知らぬ街灯の下で飛んでいる、帰り道の分からないひとひらの蛾になっていた。

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