卒業ライブでつかまえて

あまたろう

本編

 アイドルを推していて一番つらいのは、卒業ライブである。

 字面こそ「卒業」という門出を祝う表現にはなっているものの、ライブに出なくなってしまう、見られる頻度が減ってしまうことに他ならない。

 普段なら楽しみであるライブまでの日々だが、この時だけは行きたいようなその日が来ないでほしいような複雑な気分になる。

 私は、抽選で手に入れた唯一無二のゆーりんグッズであるサイン入りカウボーイロープを手に、卒業ライブ会場に向かった。


 ゆーりんは、輝いていた。

 イメージカラーであるピンク色の衣装はその日いちばんの装飾がなされ、持ち味である綺麗な長い黒髪をいっぱいになびかせていた。

 同じ女性としても惚れ惚れするほどの可愛さは、これぞアイドルというものを地で行っている。

 他のメンバーにも慕われていることがよくわかり、各メンバーと濃密なコラボパートもあった。

 卒業ライブとしては私が見てきたほかのメンバーのそれと比較しても段違いの満点に近い出来で、彼女の軌跡がうかがい知れる渾身のセットリストだった。

 ……もっとも、最推しなので若干の補正は入っているだろうが。


 長いようであっという間だったライブ本編が終わり、アンコールもしっかり3曲熱唱したあと、いよいよゆーりんの卒業セレモニーの時間を迎えた。

 今までの思い出、つらかったこと、そこから立ち直ったきっかけなど、聞いたこともあれば想像でしかなかった彼女の想いを言葉にして聞くことができ、彼女の推しは例外なく号泣していた。もちろん私は今まで生きてきた中で流した涙の総量をはるかに超える滂沱の涙を流していた。……ヤバイ脱水症状なってまう。


「……というわけなんだけど、このまま涙でお別れするのは嫌だな、と思ったんですね」


 ゆーりんの言葉に皆がキョトンとする。


「そこで、『わたしをはなさないで』チャレンジをおこないます!!」


 周りがザワつく。

 明らかにおかしな空気感だ。


 ゆーりんに代わって、司会が説明をする。

 挑戦は有志で、斜面に設置されたロープを各自掴み、終了の合図があるまで落下しなければなんとゆーりんのプライベートSNSアカウントのIDがプレゼントされるということだ。

 他の人間に漏らしたら法的処理云々の誓約書を書いていただきますが、などの説明もあったので結構ガチめのやつだと思う。

 有志とはいえ参加資格は「ゆーりんグッズを身に着けている」とあり、多少のファンはその資格を満たさず参加不可となってしまったが、卒コンということでやはり大半は残る。

 ただし、「多少危険なので怪我をされるのが困る方および未成年の方はご遠慮ください」と言われた。何をする気や。


 ざっと周りを見回す。

 私を含め、チャレンジに参加するのは100人前後という感じか。

 メジャーなアイドルではないので、いい意味でも悪い意味でも精鋭揃いである。

 ……というか、大体知った顔やな。

 何ならゆーりんに認知されているまである。


「では、『わたしをはなさないで』チャレンジスタート!」


 ロープを掴んだファンの立つ地面が少しずつ傾いていく。斜面の一番下にはネットが張られ、クッションも準備された。

 ロープを離すと斜面を滑り落ちて脱落ということである。

 これだけのセットをよく準備できたなと少し感心する。


 斜面の角度はおよそ45度ぐらいだろうか。

 早くも脱落するファンがちらほら出てきた。

 私はというと、カウボーイロープの練習でロープの扱いには慣れているので、まだまだ全然余裕だ。


 しばらくすると、斜面の上から何かが転がってきた。

 ピンポン球だ。

 なるほど、こういう邪魔も入るわけか。

 だがさすがに精鋭揃い、この程度ではほとんど脱落する様子がない。


「こんなのも用意しました!」


 見覚えのあるものが流れてくる。

 ゆーりんグッズだ。

 ゆーりんトートバッグ、ゆーりんプロマイド、ゆーりんアクスタなど、生産したものの売れ残ったのであろうグッズが滑り落ちてくる。


「今回、グッズにはけっこうな数のサインを書いたので、もしよかったら持って帰ってね!」


 何でも、滑り落ちてもその時に持ったまま離さなかったグッズに関しては持ち帰ってもいいらしい。

 最後まで残る自信がなければ、欲しいグッズを離さず持って脱落すればそれはそれで満足かもしれない。

 ファンの心が揺らいだのがわかる。

 だが私の目的はひとつ、ゆーりんのSNSアカウントである。


 目当てのグッズを手に入れて脱落するファン、欲張って取ろうとして誤って滑落するファンを横目に、私は無になってグッズの波をやり過ごす。

 そこに、とんでもないものが転がり落ちてきた。

 かなり初期に発売されたはずの、ゆーりん等身大石像である。

 限定10個生産されたはずだが、5個転がってきた。5個売れ残っとるやないか。

 運悪く石像の直撃を食らったファンはあえなく脱落する。……〇んでないことを祈る。


 戦慄する残りのメンバー。

 そして私は、ゆーりんグッズであとは何が来るのかを冷静に考えていた。

 等身大石像があったということは、あと厄介なのは2種類。

 その2種類がコンボで来たらかわせる自信がないな……。

 ……というか、アレの数によっては〇ぬ可能性まである。


 その後も小物からまあまあな大物までのグッズをかわしながら、残ったファンの数を数える。

 ……残り10人……。

 そして、参加しなかったファン、脱落したファンがそれの登場にざわめいた。

 ……やっぱり来たか……!


 まずは、ゆーりんが浸かった「ローション風呂のローション」だ。

 これをロープを持つ手に浴びたら終わりだ。

 ……というか、風呂の容量に比べてローションの量多くないか?


「今回特別に、プールサイズのローション風呂に入れてもらいましたぁ」


 ……いやいや、落とす気マンマンやないか。

 とはいえ、ローションの登場を予測していた私は手とロープだけローションに濡れないように上着をカバー代わりにロープに巻き、手への直撃を避けていた。

 予測できなかった6人はその波に呑まれて脱落していった。あと4人。


 そして、来た。

 最後の大物。


 限定発売の「8/1スケールゆーりん人柱」、約12メートルである。

 パルテノン神殿の柱を模した、ゆーりんが人柱になっているモデルであり、置く場所ないやんということで当時ネットニュースにもなった商品だが……。

 ……ヤバイ、4本も売れ残ってるやないか。5本しか生産されなかったはずやのに。……というか、買った1人誰や。


 その大きさに命の危険を感じたファンが2名脱落した。

 私ともう1人はというと、順調に3本をかわした。

 だが、最後の1本の直前に再びローション。

 完全に予想外だった私ともう1人はローションの直撃を被った。

 顔面に浴び、視界が奪われたところに最後の人柱が転がってくる……音がする。

 まずい、2人とも脱落する。

 ……っていうか、○ぬ。



 ……と思ったが、私は直撃を受けなかった。

 人柱生産の時に少し盛っていたという、ゆーりんの大きな胸の下にあった空間のおかげか。

 ほかの3本の時に胸の位置を把握していたおかげで、無意識にそこにポジショニングすることができたのだ。

 あれだけの大きさなので、ランダムに位置を変えて転がすのは無理だと思ってよかった。

 私のほかに残った最後の1人は、最後の人柱を待たずにロープを離したらしい。


「おめでとう! あなたが最後の1人です!」


 なんと、ゆーりん自らが斜面の上から声をかけてくれた。

 あまりの驚きに、私はロープを掴む手を緩めてしまった。


「ああ、まだ終了まで10秒ありますよ!」


 司会の声が会場にむなしくこだました。

 チャレンジ成功者は、出なかった。




 ――それから数時間後。




「……まさかこのロープを持っていたのがまゆちゃんだったとはね」


 さっき自己紹介をしたばかりなのに、ゆーりんが親しげに話してくれる。

 ライブ主催者のはからいでシャワーを浴びさせてもらった私は、それに舞い上がって口をパクパクさせている。


 チャレンジ成功はしなかったものの、私は最後の瞬間、カウボーイロープでゆーりんを捕まえ、一緒に落下したのだ。

 SNSアカウントはゲットできなかったものの、あろうことかゆーりん自身をグッズとして持って帰ることになってしまったのだ。


「これからはお友達としてよろしくね。……それとも、まゆちゃんは私でも大丈夫な感じ?」


 ……ぱくぱく。

 これからのことを思うと、幸せすぎて何も言えなかった。


(おわり)

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