懐かしい言葉を、あなたに

第1話

「あのさあ、シシ君さあ。これからもう、隊長と、会話しないで欲しいんだよね」

「――は?」

 施設警備の夜勤パートに出勤するなり、年輩の同僚から意味不明な言葉を放たれ、シシ・ダーンは間抜けな相づちをうちながら、額にある3つの目を飛び出させた。

 シシの反応に構うことなく、相手は7本のうちの6本の腕をぶんぶんと激しく振り回してしゃべくり続ける。

「だいたいさ、あの隊長、社長にも部下にも同僚にもみんなから嫌われてるんだよ。知ってる? 清掃担当の若い社員の子いるじゃん、あの子が先週から休んでるのも――」

「ええっと、嫌われてるのはともかくとして……仕事の指示仰いだりトラブルの報告とかは、隊長にしなきゃいけないんじゃないですか? 現場責任者と一切会話しないっていうのは無理では……」

「でもさ、みんなに嫌われてるんだよ?」

「うーんと、それと仕事の内容は関係なくないですか」

「でも、みんなに嫌われてる人とは、話さない方がいいじゃない。僕、シシ君のために言ってあげてるんだけど」

「ええと、私を気遣ってくれてるのはありがたいですけど……」

 本当にこの同僚はめんどくさいな、と思いながら、シシは今日の警備巡回ルートを確認するため、館内監視モニターのスイッチを切り替えた。

 シシの勤務先は、あらゆるものを預かる巨大倉庫のような施設だ。施設内で事故や火災が起きないか、外部から窃盗犯が進入しないか、など、館内の安全を守っている。

 その業務内容にはもちろん、使用中のレンタルスペースに異常が発生していないかの監視も含まれる。

「ええっ! 先輩、大変です! 動物保管ゾーンから、保管中の生き物が逃げてます!」

「あー?」

 シシはモニターの一つを指さす。前日までは確かに銀河系太陽系第三惑星の生き物が収容されていたスペースが、もぬけの殻になっていた。

 シシは慌てて、スペースのレンタル記録を確認する。動物達を預けた利用者が、昨日から今日の間にそれらを引き出した記録はない。

「脱走ですよ! 大変だ、隊長に連絡しなくちゃ――」

「やめてよ!」

 突然、同僚が大声をあげて、思わずシシは口を噤んだ。驚きで体温が下がり、肉体が凝縮する。対して相手は興奮で体温が急上昇したようで、スライム状の表皮をぐつぐつとさせながら、全身を膨張させている。

「隊長と話さないでって言ってるじゃない!」

「いや、だって、お客さまからお預かりしている動物が脱走したんですよ。責任者に報告しなきゃ――」

「隊長に言ったら叱られるでしょ!」

「報告しない方が問題だと思うんですけど――」

「シシくんは知らないでしょ! 隊長、来月いっぱいで退職して、その後は本社から別の人が隊長になるんだから!」

「ええっと、それ、今関係なくないですか? 今の責任者は隊長なので、とりあえず現場で起きたトラブルは報告しないと――」

「でも、隊長はみんなに嫌われてるんだよ!? 僕もいっつもいっつも叱られてばっかりでさ、ほんとにやな奴なんだから!」

 こうやっていつも現場のトラブル隠蔽しようとするから後から叱責されてるんだろ、とシシはうんざりしながら心の中で毒気付いた。

 同僚の身体は刻一刻と沸騰寸前になって、小さな守衛室の気温と気圧が上昇していく。

 シシは身の危険を感じた。ポポロン星人には色んな体質の個体が存在するが、熱に過剰に強いこの同僚とは正反対で、シシは加熱と加圧が極端に苦手だった。このままここにいると、全身が液状化してしばらく身動きがとれなくなってしまいそうだ。

「……わかりました。すみません、先輩が好意で忠告してくださってるのに、余計なことしようとして」

「わかった? ほんとにさ、シシ君、そういうとこだめだよね。僕さ、前職は広告代理店で営業やってたでしょ? だから人間関係うまく切り抜けるのが仕事だったわけ。その辺さ、隊長とかもすっごい下手くそだよね。この前もさあ、聞いた? 本社の総務担当の子いるじゃない? あの人が――」

「あ、あの、巡回時間なので、私、一旦館内見回ってきますね!」

「あのさあ、シシくん、僕が話してるのに仕事するとかどうかと――」

 同僚が尚も続けようとしていたが、聞こえないフリをして、シシは部屋を脱出した。巡回ルートを足早に周り、動物管理エリアにたどり着く。

 監視モニターにエラーが発生していたということはなく、やはり太陽系の生物を保管していた一室は空っぽになっていた。

「……めちゃくちゃに破壊されている……」

 痕跡から見て、外側から誰かが進入したのではなく、保管している動物が暴れ回って、檻を壊して脱出したと思われた。

「荒々しい動物だったもんなあ……」

 保管していた動物は2種で、その内の体の大きな4本足のほ乳類の方が、かなり凶暴だったことを覚えている。

「……どうしよう」

 こっそり私用の携帯電話を使って、本社にいる隊長に現状を報告するのが最適かもしれないが、その後、同僚との関係が益々悪化することを考えるとかなり憂鬱になる。

「……自分の手で、捕まえられるかなあ」

 ダメもとで、ちょっとだけ挑戦してみてもいいかもしれない。万が一、シシが脱走した動物達を取り戻して元の場所に納められれば、本社に報告せずに同僚の機嫌も損ねずに済む。

 シシは手元の携帯端末で、脱走した生き物について検索してみた。

 自分の星以外の生物についてあまり知識のないシシだが、かつて読んだ、雑学を集めた雑誌のコラムに、太陽系第三惑星の生物は、音声を使って仲間とコミュニケーションを取ることが多いと書いてあった記憶がある。

「まずはどっちかというとひ弱そうだった方を探した方が良いよな。一匹だけだったし。なんて種だったっけ。ホモ……ホモ・サピエンス、鳴き声、検索……っと……」


 ***


 どこにでもいるごくふつうの日本人大学生、佐藤大和は、夏休みに東南アジアを旅行しているさなか、突然、宇宙人にアブダクションされてしまったのだった。

 そんなSF映画みたいなことが自分の身に起こるとは思ってもみなかったが、直前に屋台で飲んでいたサトウキビジュースが実はドラッグなどの類で自分が深刻な幻を見ているというわけでないのだとすれば、やはり今いるここは地球以外のどこかの星で自分は水牛と一緒に拉致されたのだとしか思えなかった。

 一緒に拉致されたのが乳牛じゃなくて水牛なのが少しだけ腑に落ちなかったが……。

「SF映画ってあんまり見ないんだけど、宇宙人に拉致された後って、どうなるもんなんだろう」

 大和のつぶやきは、無機質な部屋の中でむなしく響いた。一緒に拉致された水牛たちは人語を理解してくれないので会話相手もおらず、時間の流れも感じられない中で、正気を保つのが難しくなってきた。

「どっちにしろ、良いようにはされないよね。一か八かで、なんとか逃げ出した方がいいよな……」

 逃げ出したところで、ここが地球ですらないのなら、無事でいられるのか未知数だが、このままじっとしていて異星人に食べられてしまうとか、人体解剖されてしまうよりはマシかもしれない。

 大和は、水牛たちが空腹のせいか段々と気が立ってきたタイミングで、彼らを閉じこめていた檻の扉を破壊した。

 地球から大量の水牛を一気に拉致する科学技術がある割に、大和たちを閉じこめている檻や部屋は地球にもありそうなレトロな作りだった。

 急に狭い空間から解き放たれた水牛たちは、咆哮を上げて走り出した。大きなツノを振り回し、突撃し、あらゆるものを破壊しながら突き進む。大和はその後ろをついて行こうとしたが、元々どちらかというとインドア派だった彼は破壊衝動を湛えた水牛たちのスピードに着いていけず、すぐに置いて行かれた。

「それにしても広い施設だな……」

 レトロなSF映画に出てきそうな、いかにも近未来の建物、という場所だった。白っぽい壁に囲まれ、窓はなく、天井のあちらこちらに監視カメラのようなものが設置されている。

 あれだけ水牛が暴れ回ったなら、サイレンでも鳴って警備員が駆けつけてきそうだったが、廊下は無人で、なにも起こる気配がない。

「とりあえず水牛の足跡を追っていこう……」

 小走りで駆け出す。水牛の姿はすでに全く見えなくなっていた。不気味なくらいの無音の廊下を黙々と歩いている。孤独と不安と緊張がない交ぜになり、大和は発狂寸前だった。

 だからそのとき、その、ありえない言葉を聞いた瞬間、思わず反応してしまったのは、しょうがないことだったのだ。

 大和の背後から、明朗なだみ声が響いてきた。

「Make America Great Again!!」

「トランプ大統領!?」

 大学のキャンパスでよく聞いた、ずっとバカにしていた陰謀論が、即座に脳裏を過ぎった。

「ディープ・ステイトは実在して、本当に宇宙人と繋がっていた……ってコト!?」

 大和は思わず、ドナルド・トランプの声がした方へ走り出した。大和はテイラー・スウィフトのファンで、トランプは政治的に指示はしていないし、陰謀論者には関わりたくないと思っていたし、そもそも英語は苦手で多分アメリカ人と接触しても会話が成り立たないが、それでも、この未知の世界で、地球人と接触できるかもしれないと思うと、安堵感に包まれて今にも泣きそうだった。

 だが、そこにいたのは、ドナルド・トランプではなかった。

「ひっ……宇宙人!」

 メタルスライムみたいな見た目の気味の悪い生き物が、スマホのような機械とスピーカーをこちらに向けて、大和を待ちかまえていた。

「罠……だったのか!」

 緊張から安堵、そして裏切られた期待。感情の激しい起伏は、大和を激しく疲弊させ、そして今、絶望させた。

「もう……だめだ……」

 彼は膝から崩れ落ち、気力を失った。


 ***


 シシはレレリプロポン州立オンライン図書館からダウンロードした「ホモ・サピエンス音声復元アーカイーブ」を再生しながら、ようやく発見したホモ・サピエンスの一体を、距離をとりながらよく観察した。

(最初の音声に反応してこっちに走り寄ってきたのに、続くスピーチ内容には無反応だな……時代が違うのか?)

 ホモ・サピエンスがこっちに走り寄ってきたときに発していた短い鳴き声を、音声検索で解析する。

(使用言語が違う? めんどくさい種だな。まあ、でも、情報が割とあるみたいだから……)

「ヘイ、KETSU。太陽系第三惑星20世紀生まれのヤマト民族の警戒心を解いてうまく捕獲する方法を考えて」

「すみません。警戒心を解く方法は特に思いつきませんでした。ですが、比較的穏便に捕獲する方法があります。試してみる場合は、本館の施設管理プログラムに接続してください」

「オッケー」

 その瞬間、ゴゴゴゴゴ、と辺りに轟音が響き、地面が大きく揺れた。


 ***


 気が遠くなっていた大和だったが、突然地震のような揺れに襲われ、我に返った。

 声も出せず、慌てて辺りを見回す。それと同時に、絶叫マシーンが急降下するときのような感覚に襲われた。

(落ちる!)

 その瞬間、彼の心を支配したのは、シンプルな感情だった。

(死にたくない!)

 生きたい。こんなところで、わけのわからないまま死にたくない。

 そう思ったから、彼は、目の前に伸びてきたそれを、咄嗟に、強く、掴んだのだった。

 それは、ぬるっとしていて柔らかく、妙な弾力があり、しか冷たく、およそ生き物とは思えない感触だった。だのになぜか、大和の頭はそれを「手」だ、と認識した。宇宙人の手が、崩れた地面から落ちそうになっている大和の腕をつかみ、支えてくれているのだと、確信した。

「は……放さないで!」

 今、強く芽生えた、大和の生への渇望が、その言葉を発させた。

 崖の上からこちらを見ている宇宙人の姿を、気味が悪いと思うことはもうなかった。

 なぜなら、宇宙人の口から、トランプ大統領以上に馴染みのある言葉が響いてきたからだ。

 宇宙人は、力強い声で、大和に向かって、こう言った。

「ファイトー!!!!!!」

 エネルギーが伝わってくる。大丈夫だ、自分は、生き延びられる。この宇宙人に、身をゆだねるのだ。

 大和は応えるようにして、叫んだ。

「いっぱーーーーーーーつ!!!!!」

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