第31話 ペリドットの真実➁
「蛍さんの……ご両親に?」
「はい。ペリドットのペンダントが見つかったと、報告しに行きました」
「それで、どうなったんですか」
警察に盗難届を出していたのだから、一緒に警察に行ったんだろうか。
「蛍の……実家に行くと、お父様はすでに仕事に出かけられていて、お母様だけがいらっしゃいました。それで、そのペンダントを見せたんですが……私は開口一番、警察に行くのは少し待ってもらいたいと頼みました」
「えっ。どうして……」
「窃盗だったのか、そうじゃなかったのか――。それは、当事者たちがもう亡くなっているので、いまさら証明しようのないことです。警察に言ったところで、どんなに調べても真実はわからないままでしょう。ですが万が一、ということもありえます。被疑者死亡のままでも夏さんが……窃盗犯の汚名を被る、ということもありえるかもしれません。そうなったらよくないと思ったんです」
「ハンナさん……」
わたしはそばにいた葉子さんと顔を見合わせた。
「あんた、夏のことを、そんな心配してくれてたのかい」
「……。普通は被疑者死亡の場合は、捜査が打ち切られるようです。だから、私の危惧した通りにはならない……とは思いましたが、一応、蛍のご両親の意向も確認しておきたかったので。そう言ってみただけですよ」
「それで、お母様はなんておっしゃってたんですか?」
「もとはあなたから贈られたもの、だからあなたの好きなようにしてください、と言われました」
「えっ……」
ハンナはじっとわたしの手の中にある宝石を見つめている。
薄緑色のペリドットを。
「ペンダントは、受け取ってはもらえませんでした。蛍のものなのに。蛍の形見となるはずのものだったのに。私は複雑な思いでいましたが、お母様はさらに意外な事実を教えてくれました」
「何を……」
「実は、盗難届はずいぶん前に取り下げていたのだそうです」
「えっ。どういうことですか」
「私もそう思って訊いてみたんですが……。まずは、これを見てください」
スマホを操作して、ハンナはとあるSNSの画面をわたしに見せてくる。
「これは、蛍のスマホをお母様がいじっているときに見つけたものらしいです。鍵垢で、入院中につぶやいていたものの記録です。私のスマホからは見られないので、一部写真に撮らせていただいてきました。ここには、ペンダントが無くなったときのことや、夏さんへ譲渡したときのことが書かれています」
「えっ? 譲渡?」
わたしと葉子さんはその画面を食い入るように見た。
―――
検査に行って帰ってきたら、ハンナさんからもらったペンダントが無くなっていた。どこを探してもない。どうしよう。
3月5日
―――
今日はハンナさんがお見舞いに来る。なんとか気づかれないようにしないと。
3月6日
―――
ハンナさんが帰ってから、隣のベッドの女の子がわたしたちの関係をからかってきた。一か月前から入院してる子だけど、ハンナさんが来るたびになんか言ってくる。ついに「女の子同士で付き合ってるのおかしい?」って言っちゃった。でも、言い返してきたりはしなくて、黙っちゃった。変なの。
3月6日
―――
隣のベッドの女の子に、後輩と思われる女の子がお見舞いにきた。
すごく仲良さそう。
帰ってからそのことを言ったら、あんたたちはいいよね、と言われて気づいた。この子も、女の子が好きなんだ。それであの後輩ちゃんがきっと好きなんだ、と思った。
3月7日
―――
隣のベッドの女の子は、ずっと後輩の子が好きなんだって。
やっと話してくれた。
わたしたちはどうやって知り合ったんだとか、どうやって付き合えたのかとか聞かれた。うーん。どうやってだっけ。とにかく勇気を出すしかなかった気がする、と答えたらずっと考え込んでいた。
3月8日
―――
隣のベッドの女の子が、ペンダントを返してくれた。
わたしとハンナさんを見てたらうらやましくなってつい盗っちゃったんだって。謝られたので、いいよと許した。隣のベッドの子も、後輩ちゃんとうまくいくといいな。
3月9日
―――
中略。
―――
なんか病院内で変な風邪が流行ってるみたい。
3月20日
―――
変な風邪は新型コロナウイルスだったらしい。なんだかわたしも咳と熱が出てきた気がする。
3月24日
―――
全身が痛い。つらい。
病院内でクラスターが発生してしまったので、面会が制限されてしまった。
ハンナさんに会いたい。お父さんお母さんにも会いたい。
3月25日
―――
かなり咳がひどくなってきた。もともと抗がん剤治療をしていたから、免疫が低下していた。このままだと死んじゃうかもしれない。いやだ。ハンナさん……。
3月26日
―――
体調がかなり悪化してしまったので、部屋を移ることになった。
隣のベッドの女の子もコロナにかかってしまったみたい。
わたしはもうダメかもしれないから、ペンダントを彼女に託した。この宝石には、前向きになれるという石言葉がある。どうか、彼女が好きな人に思いを打ち明けられますように。
3月27日
―――
ハンナさん、ありがとう。
お父さんお母さん、ありがとう。
ごめんね。
3月28日
―――
そこまでで記録は終わっていた。
おそらく、以降は無いのだろう。亡くなるまで昏睡状態にあったのかもしれない。
「これを見つけてすぐ、お母様はお父様と相談したうえで盗難届を取り下げに行ったそうです。でも、私へは混乱させてしまうかもしれないからと、ずっと明かさずに……」
「そんな。この記録が本当なら……」
「ええ。蛍が、譲渡していたんです。自分よりも、もっとその石の力を必要としているかもしれない人に。託していたんです」
「夏先輩は最初、本当に盗んでしまっていた。でも、ちゃんと返して謝っていた。その後、蛍さんから譲り受けて……わたしへ」
――この宝石には、前向きになれるという石言葉がある。
その力か、それとも強い思いを蛍さんから受け取ったからか、夏先輩は自らも新型コロナウイルスにかかりながら、わたしに必死でラブレターを書き遺してくれた。そうして想いを、最後に届けてくれた。
「蛍さんが、そんな風に夏先輩を応援してくれていたなんて……。夏先輩も、そんな風に応援されて、わたしに想いを伝えてくれていたなんて……」
胸が熱くなって、あとからあとから涙があふれてくる。
葉子さんも隣で涙ぐみながら、わたしの背中を優しくなでさすってくれていた。
「だから、そのペンダントは、今のモエさんが持っているのが一番だと思います。蛍の気持ちを汲んだら、夏さんの気持ちを汲んだら……それが一番いいです」
顔を上げると、ハンナが少し寂しげに笑っていた。
「ハンナさんは、それでいいんですか」
「はい」
「ハンナさん、ハンナさんだって……ずっとっ」
わたしは彼女の胸に、ふたを閉じたジュエリーケースを押し付けた。
「探していたじゃないですか。このペンダントを!」
「それは……そうですが」
「ペンダントを探していたのは、なぜ無くなったかの理由も探していたからじゃないですか? あんなに愛していた人が、なぜ自分の贈った物を失くしてしまったのか。信じたくなかったでしょう。悲しかったでしょう。今の話を聞いたって、なんで勝手にほかの人に託しちゃったんだって……そう思ったはずですよ」
「そんな……そんなことっ」
声がわずかに震えていた。
「当たり前でしょうっ。ずっとずっとっ……なんでって、そればかり考えてて。ふたを開けたら、他の人に譲ってた、なんて……。私のことを、もっと、もっと大事にしてほしかっ――」
「蛍さんはハンナさんを大事に思ってましたよ」
「わかってます。そんなの誰よりわかってますよ。でも、それでも……このペンダントは! 蛍のためだけに……贈ったんです。それを、それを蛍は……!」
蛍さんはきっと、最後まで彼女のことだけを大事に思っていたと思う。でも、それ以上に、報われない想いを同性に抱きつづけている隣人を放っておけなかったんだ。自分は生きている間に相手と想いが通じ合えた。でも、隣人は――。
死ぬ前にできること。
それを蛍さんは最後に成し遂げただけだったんだ。
「ハンナさん、 このペンダントは……わたしからあなたへ、贈りますね」
「えっ、モエさん?」
「贈られた物は、贈られた人が自由にしていいと思います。だから、わたしは、あなたに贈ります」
「いや。いや、モエさん」
「はい。屈んでください?」
「……」
ジュエリーケースからペンダントを取り出すと、わたしはその金具を外して、ハンナの首にかけようとした。
ハンナはしばらく動かなかったが、やがて観念したように身をかがめる。
わたしは王様に冠を授ける聖職者のように、うやうやしくハンナにペンダントをつけた。
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