第15話 喫茶店での再会

 翌日、涼から電話があった。

 「彼女」が店に来ていると。


 私はスマホをしまうとすぐに立ち上がり、職場を飛び出した。自分でもなぜ走っているかわからない。でも、一刻も早く「彼女」に会いたかった。


 いや、彼女が所持しているであろうペンダントにだ。


 決して人間の方に会いたいわけではない。もう二度と見ることが敵わないと思っていた宝石に、もう一度会いたいためだ。

 蛍の遺品となるはずだったペリドットのペンダント。

 それはあの入院のさなか、どこかに行ってしまった。それが無くなっていることに気づいたのは、蛍の葬式でだった。私が蛍のために特注したものだったのに。悲しみにとらわれていて、遺族の誰も所持品にまで意識を配ることができなくなっていた。


「はあ、はあ……はあ……」


 店に到着すると、すぐに窓際の席を見やった。そこには、たしかにあの小柄な女性が座っていた。

 私はつけていたマスクを外す。

 本当は怖い。屋内で、しかも飲食店でマスクを外すのは。でも私の顔を相手にさらさないのは、武器を持たずに戦うに等しかった。見ず知らずの人間から少しでも好ましく思ってもらうためには、自分でも自覚しているこの「整った顔」を見せなければならない。


 勇気を出して店内に入る。

 すると、厨房からちょうど涼が出てきた。


「おい、あんまり無茶するなよ」

「……わかってるよ」


 私は窓際のカウンター席に向かった。

 早苗ちゃんが、こちらに近づいてくる。 たった今「彼女」に料理を提供してきたようだ。


「ハンナさん、頑張ってください」

「うん、ありがとう」


 視線がそう物語っていた。私も、視線だけでそう応える。

 「彼女」のそばに行く。カウンターの上にはナポリタンが置かれていた。


「すみません、お隣いいですか?」

「えっ」


 デジャブかと思った。

 我ながら、声掛けのレパートリーがない。

 振り返った「彼女」はたしかに三日前に見た女性と同じ人物だった。良かった。また会えた。


「な、なんで……」

「また会えましたね。最近いらしてなかったみたいですけど」


 動揺している彼女に、つい余計な一言を言ってしまった。

 これじゃ、ストーカーだ。毎日ここで彼女が来るかどうかを待っていたみたいに聞こえる。ああ、なんでこんなことを言ってしまったんだ。これじゃ、相手の警戒心をまた強めるばかりだというのに。


「ええと……いや、申し訳ないけどここじゃない席にしてくれますか」


 案の定、彼女に苦笑いされて明確に拒否されてしまった。

 また失敗だ。

 でも、私は諦めない。逆にわざとおどけてみせる。


「ええ~。どうして、ひどいなあ。私何か嫌われるようなことしましたか?」


 好かれなくてもいい、嫌われてもいい、ただ「彼女」の印象に残る人物でありたい。一日中、私のことを考えてしまうような、そんな相手の心に寄生してしまうような、強く惹きつける人物でありたい。

 私はそのためにはどんな役でも演じる気でいた。

 

 彼女は伺うように私を見る。

 上から下まで。この人はどんな人物なのだろうと、探るような目つきで。

 私はそんな彼女を、右手をカウンターに置いてのぞき込むようにして見ていた。


「ナン……いや、勧誘してきたでしょう、この前。困ります」

「勧誘?」


 私は嬉々として彼女の隣に座った。

 断られたけど構うものか。今「ナンパ」と言いかけた。たしかに。わかっているのだ、この子は。私がどういうつもりで話しかけたかを。

 勧誘なんて。

 そうであってほしいという願望の表れだろう。私がいまさら英会話教室の生徒なんかに誘うわけがない。それをわかっていて、あえて言っている。そうして牽制しているのだ。これ以上近づいてくるなと。


 女性は、私が隣にいるのにもかかわらず、ナポリタンを食べはじめた。

 前回と違い肝が据わっている。面白い。私も注文しよう。


「あ、すみませーん。こちらの方と同じものを」

「はい、かしこまりました~」


 声をかけると、早苗ちゃんは淡々と返事をして厨房に戻っていった。一方、女性はキッとこちらを睨みつけてくる。同じ料理を注文されたことが不快だったのだろう。私はまあまあとなだめるように言う。


「いいじゃないですか。あなたが美味しそうに食べてるから、私も食べたくなっちゃったんですよ」

「ここへは、休憩に来ているので。邪魔しないでください」

「邪魔はしませんよ。はいはい、じゃあ離れます」


 拒否感がひどいので、仕方なく私は席を一つ移動する。

 女性は距離が開いて安心したのか、またナポリタンを食べはじめた。


「美味しいですか?」


 しかし、懲りずに話しかける。

 無言の返事。


「もう、つれないなあ」


 ぼやくと、また彼女は睨みつけてきた。本当に小動物みたいだ。ハムスターか、ウサギか、はたまたネコか。


「あの。邪魔しないでって言いましたよね?」

「ええ、邪魔はしてませんよ。なのでこれは独り言です」

「はあ?」


 勝手すぎる自論に、我ながら笑ってしまう。

 でもそういうことにしておけば話も遮りづらいだろうと思った。私はまた話しかける。


「あなたは、私がなんで連絡先を渡したと思ってます?」

「……」

「気に入った人に渡すって、どういう意味があるのか考えませんでしたか?」

「……」

「勧誘、ね。まさか私の生徒になってほしいって、そういう意味だと思ったんですか? 違いますよね?」


 すべて無視される。

 窓の外では、風が強く吹いていた。公園の桜はその風によってたくさん花弁を散らしている。


「もうけっこう散ってきちゃいましたね。ああ、桜お好きじゃないんでしたっけ。私もです。あんな花、早く見られなくなってほしいですよ」


 思わず本音が出てしまった。

 見ると、彼女が複雑そうな表情を浮かべて私を見ていた。なぜ、私たちは桜が好きじゃないんだろう。それを考えているような顔だった。


「お待たせいたしました~」


 早苗ちゃんが私の料理を運んできてくれた。カウンターテーブルの上に彼女と同じナポリタンが並ぶ。


「わー。これもすごく美味しそう! いただきまーす」


 私はさっそく腕まくりをした。

 くるくるとパスタを巻き、一口でそれを食べる。


「は~っ! やっぱり美味しい~!」


 マスクを外している恐怖感も吹っ飛ぶ美味しさだった。

 丁寧に炒めたケチャップが絶妙な香ばしさを発揮している。ウインナーやピーマンのうまみも濃厚だ。私はむさぼるようにしてどんどん食べていった。


「ここの店がやっぱり一番だなあ。あ、あなたも、だからよくここに来てるんですか?」


 当初の設定は「お昼の食事処を開拓する女」だ。

 だから他の店も食べ比べてみた、という体にする。でもここの店が一番美味しい、と。さすがにこの話には共感してもらえるんじゃないだろうか。


「独り言じゃ、なかったんですか?」

「ふふ。独り言ですよ」


 ちくりと指摘されてしまったので、「独り言」という建前を再度伝える。

 しばらくお互いナポリタンに夢中になった。

 やがて、先に食べ終えた私がまた口を開く。


「連絡、くれなくてもいいです。またここに来てください。私もここに食べにきますから」

「指図、しないでください」

「ふふ。別にいつでもいいですから。同じ街で働く者同士じゃないですか」

「……」


 彼女の手が止まった。

 彼女はゆっくり食べる人だったので、今ようやく食べ終えたところだった。空になった皿にフォークが落ちる。


「っつ……!」


 何か呻いて口元を押さえている。

 あわてて水を飲む女性。

 なんだ、どうした、何が起きている。


「どうしました?」


 異変に驚き声をかけたが、女性は口元を拭った紙ナプキンを見て固まっていた。

 あの赤は……。

 ナポリタンのケチャップだろうか、それとも血の色? だとしたら口の中を切っているのかもしれない。


「違うよ……」


 それは、とても小さな声だった。

 血のことじゃない。

 なにか別のことを指している。なんとなくそう思った。

 彼女はトレーを持ち、うつむいて、どこも見ないようにして立ち上がった。一瞬、髪の毛の隙間から彼女の目元が見えた。それは眼鏡の奥で涙を湛えていた……。


「あの、待っ……」


 泣いていた。

 私が、泣かしたのか? どうして。

 心臓がバクバク言っている。そんな、傷つけたつもりなんてなにも……。


「違うよ」


 何が違ったというのか。口を切ったこと、じゃない。いや、その前の……同じ街で働く者同士。これが違ったのか? それとも……。ああ。わからない。


 うんうん考え込んでいると、ポンと肩を叩かれた。

 涼だった。


「お客様。常連のお客様を泣かすとは、いったいどういう了見ですか?」


 目が笑っていない。

 私は必死で弁解した。


「ち、違うんだ」

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