第13話 喫茶店でテイクアウト
翌日、涼からまた連絡があった。
「例の常連さんだが、今日はたぶん来ない。いつも来る時間をとっくに過ぎてるからな。お前……警戒されすぎだ」
「そうだろうね」
「そうだろうねって、お前なあ……。まあ、また連絡するわ」
「うん、ありがとう」
通話を終えて、私はスマホをバッグにしまった。
さて。じゃあどうしようかな。
いつもは手作りのお弁当を持ってきていたのだけど、外食すると決めていたから今日は何も持ってきてなかった。仕方ない。コンビニで買おうかな。と、思ったけど、ふと思い出した。そうだ、涼の喫茶店ではテイクアウトもやってたっけ。
「ちょっとお昼買ってきます」
他の講師たちに一言告げてから外に出る。
K駅の東側に広がっている公園は、どこも桜が満開だった。風が吹き、桜の花弁が道路を挟んだこちら側にまで飛んでくる。
私はそれを横目にK駅の駅ビルに入った。
エスカレーターで二階に上がり、喫茶「オリーブ」に向かう。
「いらっしゃいませ~」
聞き覚えのある声が聞こえてくる。
通路に面した店のショーケースの中には、さまざまなパンとドーナツが並んでいた。それをのぞき込む数人の客。そしてそれに対応する早苗ちゃん。笑みがあまりないが、それで客が減ることはないようだった。どんな接客でも美味しさがずば抜けていれば人はそれを求めるのだ。
私の番がやってきた。
「いらっしゃいま……って、ハンナさん!?」
「どうも」
「今日は、例の常連さんは……」
「ああ、もう涼から聞いてるよ。やっぱり来てない?」
「はい」
「じゃあ、これとこれ、テイクアウトで」
「かしこまりました」
私はチョコをかけたオールドファッションとウインナーロールパンを選んだ。
会計をしてもらっていると、店の入り口から窓際のあの席が見える。そこはぽっかりと空席になっていた。やはり「彼女」は来ていないようだ。
「テイクアウトの客は多いのに、店内はわりといつも空いてるんだね」
紙袋を受け取りながら私は思ったことを口にする。昨日も今日も、満席にはなっておらず、外まで列ができてもいなかった。
「うちはWifiも入れてないですし、コンセントも客席に設置していないので、ノートパソコンやスマホをよく使う方は他のお店に流れていっちゃうんですよ。そのおかげか、そういうのを使わないお客さんからは騒々しくなくて落ち着けるって好評なんですけどね」
「なるほど……」
「前の店長——涼さんのお父様の夕月さんは、ずっと店内提供だけで勝負してたんですけど……亡くなられて、涼さんが引き継がれてからはテイクアウトもしなきゃダメだって、こうして改築して。で、今のオリーブになったんです」
「そうしないと、やっていけなかったんだろうね」
「はい……」
折しも涼の父親が亡くなった三年前はコロナ過全盛期で、前年の緊急事態宣言のせいで外食を避ける人や、補助金が打ち切られたせいで経営をつづけられなくなった飲食店が次々と閉店しはじめていたころだった。
涼の父親は、過労で亡くなったと聞いている。
「お父様が亡くなられただけでも大変だったのに、このお店を引き継いでいただいて。涼さんには本当に頭があがりません」
「早苗ちゃん……」
「このお店は、わたしにとってもとても大切な場所でしたから。こうして残していただいて、本当に感謝しているんです」
ご利用ありがとうございました。
と早苗ちゃんに軽く頭を下げられる。私は微笑みを返して駅の東口へと戻った。
早苗ちゃんも、涼も、そして「彼女」も、あのお店がとても好きなんだろうなと思った。たしかに落ち着いていて、いい喫茶店だ。店内はチェーン店のように照明がギラギラしていなく、自然光をできるだけ取り入れている。流れているBGMも流行りの曲ではなくクラシックだ。
駅ビルに入っているにしてはかなり古風なお店。
けれど、根強い地元のファンがいる。
そんな居場所を無くさないために奮闘した涼は、自慢の友人だと思った。
「まったく、私が私じゃなかったら惚れてるところだよ」
あいにくと私は女性しか恋愛対象じゃないのだけど。
エスカレーターを降りて、東口のロータリーに出る。
昼食は職場に持って帰って食べようとしていたけど、ふと公園に足が向いた。いまいましい桜がそこにはたくさん咲いているのに。不思議と行きたくなった。
「まあ、外で食べるのも気持ちがいいかもしれないね」
本当に。桜さえなければ。
絶好のピクニック日和だった。
そういえば、なんであの女性は桜が好きじゃなかったんだろう。
歩きながら昨日の「彼女」との会話を思い出す。
珍しいこともあるものだ。
私は悲しくなってしまうから嫌いなんだけど。こんなにきれいな花を愛でられないのは、かわいそうだ。そんなの私だけでいいのに。
公園内に入って、手近な場所のベンチに腰掛けた。
そこからは広い原っぱと、大きな噴水が見える。さっそく紙袋を開けて、私はドーナツを食べた。
「うううっ! 美味しい……! やっぱりドーナツは神。この糖分が脳をとろけさせる!」
チョコと砂糖の甘さに悶絶していると、通行人が驚いたように私を見ていた。
まずい。
人目を気にせずに陶酔してしまった。お上品に、センス良く食べなければ。
ドーナツの次は、ウインナーロールパンだ。
「んー。たしかに、ジャスパーの言うとおりかも」
パンもすごく美味しかった。とくにこの大きなウインナー。肉汁があふれるほどジューシーで、マスタードとブラックペッパーが効いている。存分に味わっていると、また通行人がじろじろと見てきた。
今度は若い男性二人。
その視線は少し前とは違う。
「何?」
ギロリと睨み返すと、男たちはニヤニヤと笑いながら去っていった。
はあ、だる……。
あいつらきっと私がウインナーを頬張っていたから、下品な想像をしたんだと思う。ほんと嫌。美味しいものを食べてるだけだというのに、余計な邪魔しないでほしい。
バッグに入れていたペットボトルのお茶を飲む。
「ふう……。蛍と、またピクニックしたいなあ」
この公園にふたりで遊びに来た日のことを思い出す。
英会話教室の人たちと偶然会ってもバレないように、変装したりして。原っぱでバトミントンしたり、 キャッチボールしたり、レジャーシートを広げてそれぞれ持ち寄ったお菓子を分け合ったり。
「すごく楽しかったな。蛍……」
暖かい風が広場を吹き抜けて、満開の桜の枝を揺らしていった。
ひらひら、はらはらと花弁が落ちる。
蛍の記憶が嫌でも呼び覚まされていく。
笑顔。匂い。くちびるの感触。
「ああ、会いたいな」
でも私の傍らには誰もいない。 誰もいないのだった。
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