冒険者の女

 三人ですっきりした後、折角だからとフィリアに魔術で湯舟を張って貰った。

 地形を変化させ、お湯を出し、魔術師ってのの便利さを噛み締めながら三人で風呂へ入る。

 当然の様にフィリアも入ってくるが、もう今更突っ込む気にもならない。


 女の裸が二つ。


 普段なら見事な光景だと思えるのに、今はもう疲労感しか残っていなかった。

 それを溶かしてくれる湯舟の素晴らしさよ。


「あぁ……これは…………駄目、溶けちゃう……」


 湯舟初体験らしいエレーナが俺のすぐ横で、縁へしがみ付いて溶け出していた。

 いい具合の湯加減だ。このまま何もかもを忘れて眠っていたい。特に、少し前までだらしなくアヘアヘ言ってた自分の記憶とかな。


「湯加減はいかがですか?」

「いい具合だ。ちょっと魔術を学びたくなった」

「あらあら、でしたら特別に教えてさしあげましょうか?」


 オリハルコン級魔術師の指導とは豪華だな。


 笑っていると、対面に居たフィリアが立ち上がってこちらへやってくる。無論、隠すものなど何もない。

 均整の取れた、美しい肢体。

 俺の腰元はすっかり落ち着いているが、これはこれで眼福だな。

 エレーナの反対側で腰を下ろした彼女が、やや低い位置から見上げてくる。


「それくらいのお礼はしても良いかと思っているんですのよ。報酬に色を付けるだけじゃ足りませんわ。ふふっ、それとも」


 湯の中から伸びてきた手が、俺の胸元を撫でる。


「別のお礼の方がよろしいかしら?」

「何されるか分からないから遠慮しておく」

「うふふっ、警戒されてしまったかしら。でも、気持ち良かったでしょう? もっともっと、色んなことを教えて差し上げられますわ」


 だったら、と話を始める前に、俺は完全に寝落ちしたエレーナを見た。

 しがみ付いていた縁から落ちそうになっていたから、腋下に手をやって引き上げる。湯舟で溺れるのは案外ある事故だしな。思っていたらそのまま寝惚けて俺へ抱き付いてきた。それなりにある胸がこちらの胸板で潰れる。と、ずり落ちていったので尻に手をやり、持ち上げてやると顎が肩へ乗って来た。

「んん……すけべぇ……」

 寝息が耳元を掠め、つい笑う。


「この状態じゃあな」

「ふふ。そうですね」


 また少し間が出来る。

 眠るエレーナを支えつつ、僅かな水音へ隠すみたいに問うた。


「どこまでわざとやっていた」

「殆どが偶然です」


 返答に淀みは無い。問われること前提か。


「レッサーフロッグが襲ってきたこと。貴方達が崖際に居て、避難が遅れたこと。そこからの生還も全て」

「だが、手を抜いた。万全とならないようにした。あるいは起きてくれればいいかと、そんなことを考えながら俺達を観察していた」

「はい」


 ため息が出る。


「儲け話に嘘はありませんわ。隙を作ってはいましたが、クエストの危険度は適正なものにしましたし、起こり得ることに際しては全て前以って共有していたつもりです」

「神官の実力を偽った」

「それは……貴方も他の方には言わなかったでしょう?」


 確かにそうだ。

 己の才覚で勝負できない内は三流、彼女の言葉だ。

 リディアを信用しない訳じゃなかったが、すべては自分の目で確かめてからと考えていた。クエストも確かに、難易度は中層を想定されていたから問題無い。その先の事は事故、とするならば彼女に非があるとは言い切れない。


 あの状況で崖際の危険性を注意するより、エレーナとの会話を優先したのも俺だ。


「万一に備えて、回復の出来る護符も用意していましたわ。死んでさえいなければ半日は延命出来るっていうものまでね。それを作る素材費用だけで、今回の私の取り分は吹き飛びますわ。また、その子にも装備だけは十分以上に揃えさせました」

「ゼルディスの企みが頓挫するとお前は最初から分かっていて同意したんだろう?」


 急に飛んだ話を受けて、フィリアは満足そうな笑みを浮かべる。

 なんとも落ち着かない目だ。

 最初に会った時から、ずっと彼女は俺や、他のタンク達を値踏みしていた。


「成果を出せないことが分かっている計画を、上からの命令で実行しなければいけなくなった場合、まずやるべきは何かしら」

「被害を減らすことだ」

「そう。ですけど大きな事業には必ず、それが失敗したとしても儲けの出る所が出てきますわ。そこをしっかりと定めてあげることで利益を回収し、次へ繋げる。金銭だけの話じゃないわ。私達へお金を流し込んでもある程度は保証する者が居る、そういう信用も決して無視できない。ですけど、今回私が得られた最大の利益は、エレーナの成長と貴方との出会いかしら」

「こいつは分かるが、俺なんざただのシルバーだぞ」


 適当に返す。

 フィリアもただ笑うだけに留めた。


「お前は、冒険者なのか」


 問いかけを受けた彼女は僅かに眉尻を下げ、湯舟の縁に背を預けて力を抜いた。


「高ランクの冒険者ばかり集まっていると、色んな所から口だの槍だのが飛び出してきますの。今のその子の表情を見て、それが少し重荷に感じられましたけど」

「……そうか。すまん、馬鹿なことを聞いた」


 シルバーには分からない苦労だ。

 ザルカの休日一つ取っても、高ランクパーティは防衛線への参加が強制されている。雪山への救助もそうだ。ギルドの、より政治的な理由に振り回され、気ままに行動出来ない事も増えてくるんだろう。

 ゼルディスを見ているとそうは思えないが、アレで苦労してるのかねぇ。


「今度は三人で冒険しましょうか。楽しくなりそうだわ」

「こっち二人のやる事はなさそうだがな」

「いいじゃないですか。終わった後でまた湯に浸かりながら、思い出話なんて出来れば十分です」


 その内な。

 などと言って、また少し俺達は湯の中で疲れを溶かしていった。


    ※   ※   ※


 女と懇ろになってしばらくすると、黒子ほくろを数えだす奴が偶に居る。

 腕、足、背中や首元、本人の見えない所まで探し回って、こんな所にもあったぞなんて報告してくる。

 今ちょっとそんな気分だ。


「よーしっ、次はこっちねー。腕あげて、腕っ」


 風呂あがりでさっぱりした様子のエレーナが、戻って来た安全地帯で俺に纏わりついて、魔力が補充できる度に回復を掛けてくる。


「あいたっ、痛たたっ、もうちょっと優しくしろっ」


 淀みを見付けると強引に押し流そうとするので、時折筋肉が攣ったみたいになる。


「あーんごめん……こんくらい?」

「あー、まだ強引だがマシにはなった」

「むずっかしいなぁ……っ」


 完全にエレーナの練習台だ。

 まあ後は戻るだけだし、出口までは他のタンクらも居るから平気なんだが、改めて疲労感が強いのを自覚する。


「うふふ。他の冒険者に頼んで回復して貰うというのもありですよ。依頼料は私が持ちますし」

「駄ー目っ。折角の練習台なんだから、私がやるの」

「そうねぇ」

「………………もうっ」


 なんで俺が叩かれるんだ。

 痛くも無いがな。


「よし! ちょっと補充するから、そのままね、そのまま待っててよ!」


 杖を手に祈りを始めるエレーナを、フィリアと一緒に眺めながら苦笑した。

 熱心なのはいいことさ。

 ただ、エレーナ自身も疲れが溜まっている筈だ。

 適当な所で諦めさせて、練習はまた後日にして貰うべきだろう。


 説得しようとして、拒否されて、宥めて誤魔化して、乗せてやろうとしたが、どうにも我儘姫はやりきらないと気が済まないらしい。

 他の冒険者達も暇そうにしつつ、どこか微笑まし気にそれを眺めていたら、迷宮の奥側から騒がしさがやってきた。


 ゼルディスだ。

 どうやら戻って来たらしい。


 などと思っていたら。


「お……」


 俺や、フィリアや、エレーナや、他の冒険者達の身体が次々と光に包まれた。

 身体が急激に澄んでいくのを感じる。

 疲労や怪我、そういったものがあっという間に掻き消える。

 その感覚には覚えがあった。


「あーっ!!」


 エレーナが叫ぶ。

 俺達は少し離れた場所に天幕を張っているから、おそらく彼女は相手が誰かまでは気付かなかっただろう。

 迷宮のどこまで潜っていたかは分からないが、ゼルディスにやや遅れて、この場を照らす神官が歩いて行く。

 リディアだ。

 彼女からすれば余った魔力で協力者を癒そうとしただけで、むしろ善行と呼ぶに十分過ぎるものだったんだが、少々間が悪かった。

 すっかり回復し切った俺を見て、エレーナがむっとした顔で俯く。


 その頭を、俺は遠慮なく撫で回した。


「はははっ、拗ねるなよ! ここまで俺を助けてくれたのはお前だろ。一緒に大冒険したじゃねえか。ほらほら、なあ?」

「んっ、っっ、わか、分かったから! 頭ぐちゃぐちゃにすんなよおっ、あああん、もうっ、馬鹿あ!」


 ぺちぺち叩かれたって痛くもかゆくも無い。

 騒いで笑って、軽くなった身で少し遅ればせながら迷宮を出た後は、苦楽を共にした連中と生還祝いだ。


 乾杯、ってな。


 新たな冒険者の誕生に、いや、生まれ直した冒険者の未来を讃えて。

 朝まで飲み明かして、ぶっ倒れた。

 一番大騒ぎしていた奴の倒れっぷりたるや、皆揃って大笑いしていたくらいだ。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る