祈りの価値は

 マーマンの一団をやり過ごし、岩陰を伝って先へ進んでいく。

 やっぱりレッサーフロッグの血に魔物が引き寄せられているみたいだ。現地で救助を待たずに移動して正解だった。


「……大丈夫?」


 すぐ荒くなる呼吸を整えていると、エレーナが後ろから手を当てて回復してくれた。

 回復というか、なんかあったかい、程度のものだが。


「なんだ、空っぽだったんじゃかったのか」

「うっさい。簡易の祈りでほんのちょっとだけ補充したの。この杖、祭壇代わりにもなるから効率良いのよ」


 そりゃ朗報だ。

 どこか安全な場所を見付けたら、祈って補充して貰う方がいいだろう。


「本当に大丈夫……? 私…………知ってる、かも、だけど……ゼルディス様とかにキャリーされて昇格してるだけで……あんまりヒーラー仕事には慣れてないのよ……」


「下手くそな回復だった」


「っ、……」


「けどお前に命を救われた。必死にやってくれたのは分かるよ。だから、本当に感謝してる」


 言うとエレーナはむっとした顔でそっぽを向いた。

 その様子を笑おうかどうかという所で、不穏な足音を聞いて岩陰に身を潜めた。反応の鈍い彼女を引っ張り込み、無理矢理押し込む。


「っ、っ!?」

「静かに」


 口を塞いで言うと同時、複数の足音が岩の向こうから連なって来た。

 十は居るか。

 腰元に鉄の擦れる音。触れているのは皮は皮でも、鱗の類だ。極めて硬質で厄介な奴らの鎧。足は湿った岩場を掴む様にして身体を支え、その後に尾を引き摺ったり、地面を叩くような音が続く。


 リザードマンだ。


 アラーニェのように鋼鉄の皮膚とは言わないが、刃の通り難い鱗を持ち、極めて機敏で頭も良い。膂力も相当なもので、斧の一振りで岩塊を砕いたのを見たことがある。

 こいつらの厄介な所は鉄製の武具を所持している事だ。

 コボルドも上位になればその手の装備を持ち始めるが、リザードマンは総じて装備が充実している。

 群れで行動し、発見されれば集団で襲ってくる。

 魔法を使うのも居るし、幾つかの魔物を使役して乗り回しまでする。


 本来低層に居る様な魔物じゃないが、もしかするとこの地底湖は未発見の中層への通路があるんじゃないのか? だとすれば考えていた以上に危険度が高い。


 一匹のリザードマンが脚を止めた。

 そうなってからようやく気付く。

 くそっ、エレーナの持つ杖の端が岩陰から露出している。同じく察した彼女が杖を引こうとするのを止め、目で静かにしろと指示した。

 この場合、動いた方が致命的だ。


 呼吸を浅く、同時にもう片方の手でパイクを掴む。


「……………………」


 先制攻撃をするか?

 いや、見付かればどの道終わりだ。リザードマンの集団相手に血の足りないタンクと魔力切れの神官が一人ずつ、逃げ切るのすら困難だろう。


 エレーナの呼吸が荒くなってきている。

 落ち付けと背中を擦るが効果は今一つ。


 来るか……? いっそ一気に逃げれば反応が遅れてくれる? いや、奴らの装備に弓があったらどうにもならない。俺が盾になって時間を稼ぎ、エレーナを先へ……駄目だ、彼女一人じゃ迷宮なんて碌に歩けやしない。


「――――」


 先頭を行くリザードマンが何かの声を発した。

 すると他の奴らも応じ、一斉に走り始める。


 なんだ? いや、そうか。レッサーフロッグの肉だ。奴らも匂いに釣られてやってきたなら、狩猟目的なんだろう。なら別の魔物に先を越されて食われたくはない。


 しばらくそのままで様子を伺った。

 周囲に足音はない。

 大丈夫。

 大丈夫、だよな?


「…………はぁぁ、っ」

「死ぬかと思ったぁ……」

「はは、まあ、迷宮探索なんざこんなもんだ」


 魔物が群れ成せば、低層だって中層以上の脅威が発生することもある。あるいはネームドなんて呼ばれる変異種が出ると、多額の討伐依頼が出てギルドが賑わう。


 ミスリル以上の戦闘職に囲まれてると実感し辛いのかも知れないがな。


「急ごう。肉を抱えた連中が戻ってきたら、今度こそ見付かっちまう」


 青ざめた顔でエレーナが頷き、しっかりと杖を抱えて俺に続いた。


    ※   ※   ※


 途中、リザードマンの村を発見し、大きく迂回する事にはなったが、どうにか上層へ続くと思われる坂道を発見した。

 その途中で見付けた横穴の入り口に白い花が咲いていて、エレーナの強い要望もあって中を確認したんだが。


「祭壇っ! やったっ、ここなら安心して休めるわ!」


 奥まった場所に、ルーナ神を祀った祭壇が安置されていた。

 結構古ぼけていて、欠けた所もある。昔誰かが設置したものなんだろうか。今回みたいな大規模な迷宮攻略時、神殿は大喜びで祭壇を運び込むからな。


 手拭いを取り出し、それを拭き上げながら騒ぐエレーナへ一応は忠告しておく。


「大きな声は」

「あっ、はぁい。ごめんなさいごめんなさーい。でももう安心よ、ここはルーナ神の領域、魔物なんて近寄って来れないわ」


 偏愛と狂乱を司ってもいるらしい慈愛の女神様は、魔物嫌いで有名だ。

 なんでも時折月が赤くなるのは、ルーナ神が地上で魔物を裁いている時に受けた返り血なんだと。

 魔物滅ぶべし慈悲はない、それが神官達の信仰する女神様である。


「よし。これで後は祈りを捧げれば……」


 エレーナが杖を構え、祭壇の前で跪いて頭を垂れる。

 すぐの変化は無かったが、次第に祭壇へ光が注がれて、それがじんわりと広がっていく。

 迷宮を探索していれば時折目にすることがある、冒険者達にとっても安堵の瞬間だ。


 ようやく気を緩められる。

 そう思った途端に身体が重くなって、俺は地面に座り込んだ。ちょいと身体が傾ぐ。


「あっ、ちょっと……大丈夫?」

「少し寝る。何かあったら起こしてくれ」


 流石にここまでキツ過ぎた。

 寝る前に、と自前で用意しておいた非常食を齧り、水を飲む。ついでに丸薬も飲んでおいた。旨くも無い代物だが食べれば血になるし、身体を修復する支えになってくれる。


 一息ついて、改めて、と思った所で祈っていた筈のエレーナがじっとこちらを見ていた。近くないか。


「お前、自前で水筒以外に何も持ってきてないのか」

「だ、だってそんなの……荷物持ちの仕事だし……」

「熟練者は常に一日分程度の水と食料は自前で携帯しているもんだ。俺は食料だけなら三日分持ち歩いてる」


 過去に仲間とも逸れて延々と彷徨ったことがあったからな。


「三日分あるなら……半分にしても大丈夫とか思わない……?」

「思わないが、まあいいか。味に文句は言うなよ」

「やった!」


 案の定不味い不味いと文句を言われたが、エレーナはそいつをしっかり食い切って、ついで俺の水筒から水をぐびり。

 ただ、崖上でしていたみたいに好き放題飲むんじゃなく、本当に含む程度だった。


「はぁ……こんなんでもお腹が膨らむと安心するわね」

「そりゃよかった。じゃあ俺は改めて寝させてもらう」

「私もちょっと眠たい……もしかしてもう夜だったりするの……?」


 どうだろうな。

 迷宮入りしたのが早朝で、低層第三層まで降りてきたのは昼前、構築された安全地帯で昼食を食って、十分に休んでから出発した。まあ、落ちてからのことも考えると、もう夜になっていてもおかしくはないか。


「お前は尚の事祈っておいてくれ。明日また魔力切れの神官をお守りするのは御免だからな」

「はぁぁっ……! これだから戦士は! 自分は寝てて私には祈れって何様よっ。大変なのよっ、しんどいのよっ、ルーナ神って滅茶苦茶厳しいんだからっ。神官舐めんな!」


 ぶつくさ文句を言っていたが、俺が眠りに落ちるまでの間、エレーナは本当に真剣な表情で祈りを捧げ続けていた。


 確かにありゃあ、大変そうだ。



















――――――――――――――――――――――――――――

ちょっと間延びしてるので、次話を本日18時頃に更新予定。

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