仄暗い穴の底へ

 迷宮低層は自然洞窟のようになっている。

 広さのある場所、狭い場所、様々だが、それだけに入り組んでいる場所も多くて敵の奇襲を受け易い。

 人間が通れないからとつい軽視した場所から小型のゴブリンが出てきたり、スライムなんかの厄介な生物が頭上から染み出して降ってくる場合もある。


 特にゴブリンの奇襲は厄介だ。

 連中は馬鹿だが考える頭を持っている。

 不意打ちでは真っ先に頭や首を狙って即死させてくるし、仕留められないと分かれば一時退却し、距離を取って延々と追い回してくることもある。

 ここは連中の庭だ。

 おそらく何度も低層へ潜っている俺よりも遥かに抜け道を知り尽くしているだろう。


「はいここは塞いで……っと。見落としは無いかしら?」


 フィリアが軽く指先を振れば光の網が穴を塞いで通れなくする。

 かなり長時間持つものらしく、興味を持った一人が鋼鉄製の防具を掠らせたらあっさりと断ち切れてしまった。


 他にも謎の水膜を天上へ張り付けてスライムの大軍を融解させたり、神官がうっかり罠を鳴らしてコボルドの大軍を呼んだ時も光体一つ飛ばして一気に殲滅していた。


 驚いたのはその光体から放たれる光の筋が、迷宮の壁面なんかには一切傷を付けていない点だ。


 未熟な魔術師ほど派手な攻撃に頼って迷宮内を破壊する。

 結果として退路をふさいだり、生き埋めになったりもするが、彼女の攻撃はすべてがそれを避けている。

 挙句後方からの襲撃時も咄嗟に射線上の味方に防護陣を張って無理矢理攻撃を通すと来た。


 正直オリハルコンの魔術師を侮っていたというか、ここまで出来るとは想像が追い付いていなかった。


「待て。二匹見付けた」


 斥候をしていた戦士の一人が声を潜めて言う。

 全員が素早く身を屈め……いや一人遅れていたので頭を掴んで屈ませた。


「なにす――――むぐっ!?」


 煩いので口も塞ぐ。

 ここまでで十匹は狩っているのに流れも掴んでいないのか。


「静かに。冷静に。いいな」

「っ……! っっ!!」


 駄目そうだ。

 だが俺が彼女を抑えている間にフィリアが目標を視認し、掌に生み出した泡を口で吹いて飛ばした。音も無く飛んだソレはふわりと通路の向こうへ消えていき、


「良し。確認してくるが、周囲にまだ居るかもしれんから静かにな」


 男の言葉と同時に皆が周囲の警戒を強化する。

 長い事冒険者をやっていれば、役割を兼用する事はざらにある。彼はその中でも盗賊としての技能を磨いているらしい。

 タンクの戦士で盗賊も出来るとは、実に渋い。


「大丈夫だ。こっちへ来て良い」


「っぷはあ!? っ、アンタねえ! 私にこんなことしてゼルディス様が黙ってないわよっ!」

「迷宮内で無駄に叫ぶな。敵を呼ぶ」

「はあ! そんなのアンタら雑魚の理論でしょ! フィリアが居るんだからっ、こんな低層の魔物なんて相手にならないわよっ。普段深層でどんだけ怖いの相手にしてるか知らないでしょ!」


 そりゃ知らんが、低層には低層での危険がある。

 こんなでもギルドのメンバーだからと思ってきたが、迷宮内でもこの振舞いとは、普段のリディアの苦労も分かる気がするよ。


「魔物の怖さを知っているのなら警戒しろ。お前は自分じゃ何一つ倒せないって事実をしっかり考えるんだ」


 神官の仕事はパーティを支える事。

 ヒーラー仕事に集中する為、極力攻撃に魔力を消費すべきじゃない。大抵の場合は神聖呪文より加護の方が消費を抑えられるからな。

 だからこそパーティとの連携は重要だ。

 不必要に揉めるんじゃなく、ちゃんと向き合ってみろと言ったつもりだったが、彼女には侮りに聞こえたらしい。


 まあ俺も、つい言葉足らずになった自覚はあるが。


「シルバー程度が粋がっちゃってっ。私ミスリルなのよっ」

「なら少しはミスリルらしい実力を見せて欲しいもんだな」

「っ、っ…………」


 だんまりか。

 さっきからフィリアがやっている奇襲対策は、半分以上が本来神官がこなしているものだ。いや、深層でも低層と同じかは分からないが、彼女はこうして騒ぐだけで未だに何一つ仕事をしていない。

 光源の確保すらやろうとしないんだから、普段どれだけ仕事をサボっているのかが分かろうというもの。


 そのフィリアがこちらを振り向いて、楽しそうに笑っている。

 お前の連れてきた荷物だぞ。まあ、俺も現状何もせず歩いているだけだから、そうエレーナのことは言えないが。解体を手伝おうにも、自分よりよっぽど上手い奴が居ると出しゃばる気にもならないからな。精々が荷物を引き受けるくらいだ。


「少し休憩にしましょう。この先に落ち着ける場所があるわ」


 フィリアの提案に従い、俺達は水音のする方向へと進んでいった。


    ※   ※   ※


 そこは地底湖を望む崖の上だった。

 かなりの広さがある。しかも湖に何か魔術的な力が篭っているのか、青白く発光していた。おかげでここもかなり明るい。

 洞窟の天井を水面を通した光が揺れていて、幻想的な雰囲気がある。


「こんな場所があったとは知らなかったな」


 低層は地形の複雑さから、完全に把握している者は居ないと言われている。

 ゴブリンなんかは穴を掘って道を増やすし、ワーム類も同様。


「私も調査をしていて偶然ね。あぁ、そこの水、そのまま飲むと死ぬから」


 湖へ流れ込む湧き水の一つに寄っていったエレーナへ、フィリアからの指摘が飛ぶ。

 可愛らしい装飾のある、小さな水筒一つでここまで来た彼女は、すでに中身を飲み尽くしている。うんざりした声が来るが、一人熟練の冒険者が寄っていって唸った。


「こりゃ水脈内部でヘルワームが繁殖してるな。沸騰させても飲めん」


 物騒な名前を聞いた。

 確か成体のワームそのものは煮沸で殺せるが、身体に張り付いてる卵は熱に耐えるんだ。迂闊に飲むと腹の中で孵化して内側から人間を喰らう、昔は迷宮の呪いだなんて言われていた最悪の魔物だ。


「それが湖に流れ込んで、アレの餌になっているんだろうな」


 斥候の男が崖上から身を潜めて地底湖を見ていた。

 なんだと目をやると、水面を何かが跳ねた。と、話から外れて周辺へ目をやる。


「なんだアレ」

「レッサーフロッグだな。ここいらじゃあまり見ない」


 なるほど蛙か。

 たしか、小麦粉を塗して油で揚げると旨いって聞いたことがある。そこの水同様、何があるかも分からない魔物を食べるなんて狂気は御免被りたいが。


「お金にならない魔物は放置でいいわ。どうせここから狙っても遠過ぎるし、回収も困難でしょうからね。無視して休みましょう。ここまでは上がって来れないわ。ただ、魔法には気を付けてね」


 周辺警戒、よし。


 フィリアが片っ端から付近の抜け穴を塞いでくれているおかげで、未だに奇襲らしい奇襲を受けた試しがない。

 高ランク冒険者一人居るだけでこうも変わるんだから、エレーナが迷宮を舐めてかかるのも分かる気がするな。本来ならここへバルディやグロースなんかのミスリル級が複数名と、リディアまで加わるんだ、確かに怖い物無しに思える。


 それでも喉は乾くみたいで、見張りを無言で引き継いでくれた戦士に後を託し、俺は不貞腐れた様子のエレーナに水筒を差し出してやった。


「…………ありがと」

「いいや」


 遠慮なくがぶ飲みする様に苦笑しつつ、折角なんで近くに腰を落とした。


「なによ」

「お前はどうして冒険者になったんだと思ってな。雑談だ」


 正直今までは他所の話だと思っていた所もある。

 リディアへの心配はむしろパーティ内の問題より、溜まった不満を抜いてやることが重要だと思ってたからな。バルディやグロースみたいなのが居ると分かってからは、尚の事下手なことにはならないと信用している。ゼルディスについては、わからないことも多いが。


 それ以上、深層を知らない俺がヒーラー仕事に対してどうこう言えることはない。


 エレーナはしばらく黙り込んでいたが、俺が催促するでもなく待っていたら、小さな声で応じてきた。


「アンタには分からないわよ……」

「分からなくてもいい。雑談なんだ。適当に話してみろよ」

「そんな風に軽く扱われるのも嫌」

「だったら吟遊詩人に負けないくらい壮大に話してみればいい。生い立ちからクルアンの町へ来て、冒険者になって、今やミスリルだ。中々に波乱万丈な詩が出来上がりそうじゃないか」

「うるっさい」


 彼女が何も考えていない筈はないだろう。

 馬鹿にしか思えない行動を取る奴が居たって、話してみれば当人なりの思惑があったりする。

 パーティリーダーとデキてた神官が恋愛感情から贔屓していたかと思ったら、実は特別仲の良い幼馴染だっただけで、未熟故に視野が狭まって失敗をしただけってこともある。


 分かった顔をしている俺も簡単に見誤る。

 失敗は誰にだってあるものだ。問題は、本人はそれを自分の内でだけで正当化してしまっている場合だ。

 一時的に気持ちを和らげることが出来ても、ものの見方は歪んでしまう。

 敵を待ち構える時と同じく、姿勢も心もゆったりと、平坦であった方がいいと俺は思う。


「俺は馬鹿みたいに昔気質な親父と喧嘩してな。家の稼業を放り出して逃げてきた」


 返してもらった水筒に自分も口を付け、生温い水を胃袋へ送る。


「逃げた先で一旗揚げてやろうって足掻いて来たが、見ての通りのシルバーだ。けどまあ、なにもかも諦めてるつもりはない。折角今日まで繋いできた命、ちょっとは張り通して上を目指したいって思うよ」


 恰好付け過ぎか?

 いいや、これくらいでいいか。

 命懸けの行動を笑う奴がいたら、こっちから笑い返してやればいい。


 どうだ、最高に馬鹿馬鹿しくて楽しそうだろうってよ。

 冒険者の血と肉は酒で出来ている。

 語る夢は酔っているくらいでちょうどいい。


「…………なんにも知らないだけよ」


 だがエレーナは素面のまま、俺の言葉を笑うことはせず、抱えた膝に顔を埋める。


「アンタも名前くらいは知ってるでしょ」

「誰をだ」

「リディア=クレイスティア。冒険者ギルド『スカー』の誇る最高の神官」


 思わぬ名前に少し驚いた。

 彼女がリディアの名前を口にするなんて思いもしなかったからだ。


「上には上があるのよ。私や、他の神官がどれだけ頑張ったって、あの女には敵わないわ。フィリアだって……ゼルディス様だって、とんでもない人達なのよ。そんなの、私にどうすればいいってのよ……」


 彼女が何も考えていない筈はない。

 その通りだ。


 俺だってリディアの戦う様を見たのは二度だけだが、アレと同じものを要求される神官の気持ちってのを考えたことは無かった。


「シルバー……、いいじゃない。凄いじゃない。自分の力で手に入れたんでしょ。そんなの、私は一つだって――――」


「全員崖から離れろっ!!」


 男の声に弾かれるようにして立ち上がり、従った。

 が、それが出来ない奴が一人居る。

 状況について行けず、呆然と周囲を見渡している神官が、ぼんやりと俺に目を留めた。


「っ、くそ!」


 駆け寄ったところで崖下から凄まじい速度で巨大な水球が飛来した。

 一つは頭上、一つは届かず崖際の少し下へ着弾し、そして、


「っっっ、きゃあああああああああああああああああああああああ!?」


 崩れた崖に巻き込まれて、俺達は地底湖へと落ちていった。





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