Largo(6)

 夜が深まるにつれ、かがり火に集う星たちが、地上から噴水のように絶え間なく湧き上がってくる。あるものは点滅を繰り返しながら恋しい人を探し求め、あるものは光の尾を引きながら家路へと消えていく。サークルボックスの屋上で目にした流れ星をふと思い出した。あの星の欠片は宙で消えることなく無事に地上へと辿り着いたのだろうか。人の化身となって、この星たちの中にこっそりと紛れ込んでいるんじゃないだろうか。この地球でも愛する人と巡り会い、幸せに暮らしているといいのだけれど。


「人生ってね、今はどうしてもダメだよって、神様が自分の大切にしている時間をパッと取り上げるときがあるのよ。自分の心がしっかり成長するまで、しばらくの間お休みしなさいって。そういうときにはね、取り上げられた辛さを引きずるんじゃなくて、代わりに与えられた時間の湯船に浸かって、それに甘えてゆっくり休んだらいいのよ。本の中にも、スマホの中にも、コンサートにも、テレビにも、いろんなところに音楽はある。好きな歌を口ずさむことだけでも音楽を楽しむことはできるからね」


 母の声が下界のかがり火へ消えていく。青いかがり火、地球色に染まるトーチ。トーチの先端に光る白い星は、優しさの波動を周囲に放っていて、僕の道に開けられた暗い穴ぼこにも仄かな明かりを授けてくれるようだ。


「でもこれだけは忘れないで――亜琉の演奏を一番楽しみにしていたのはお母さんだよ。本当言うとね、おじさんのビデオを見て、やっぱり亜琉の演奏聴きたいなあ、演奏会に行けばよかったなあってずっと寂しく思ってた。亜琉が嫌がろうが何だろうが、亜琉のクラリネットの音を、今の音を、ちゃんと聴いとけばよかったなあって。亜琉が大好きな音楽をしていて、楽しそうにクラリネットを吹いてる姿が、お母さんはすごく好きだから」


 横で立っている母の影が再びうん、うん、と二回頷いていて、自ら出した何らかの答えに納得しているようにも見えた。


「いつか心が強くなって、神様が大丈夫だよ、もういいよってニッコリ微笑んでくれたら、亜琉の音楽を、オーケストラを、ホールでお母さんにも聴かせてちょうだい。もし亜琉が音楽を続けるっていうんだったら、次は絶対に聴きに行くからね――ほら、上向いて、背筋伸ばして、頑張れ男の子!」


 母の腕が掲げられ、僕の背中をバンッと強い力で叩いてきた。あまりにも強すぎて、前に二、三歩よろけてしまい、隣のカップルから密かな含み笑いが漏れてくる。こんな人前で何すんだよと文句も言いたいところだけれど、母の笑顔でそんな不満もすぐさま引っ込む。母はいつもこうやって、すぐにグズグズになる僕の道へ橋渡しをしてくれるのだ。底の見えぬ断崖へ架けられた、足ひとつ分の幅しかない、一本のか細い橋。けれども三日月のように綺麗な湾曲をした、美しく輝く虹色の橋だ。母が与えた虹の橋、足を踏み出して向こう岸へ渡るべきか、それともここで止まるべきか。歩く勇気は自己責任、踏みとどまるなら別の橋、どれも正解で答えはない――僕は青い松明トーチを手に掲げ、虹の橋へ片足を乗せながら次の一歩に逡巡する。

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