ディナ戦記

ニドキ

“ディナの日記”(サーヴェ・ジンスル邸で発見)

 「ディナ!良かったら野菜をウスルさんに届けておくれ!」

 野菜売りのおばさんから受け取った根菜を枕に河口近くの河川敷で寝転ぶのが最近の私とミセラのもっぱらな時間の使い方だ。寝息を立てるミセラの横で私は今この日記を書いている。

 街の長であるウスルさんは人気がある。そのおかげか街の人々はウスルさんの奴隷である私とミセラにも優しい。

 ウスルさんは私たちに豊かな暮らしを与えてくれた。私たちは奴隷という立場にありながら何一つ不自由なく、幼い頃から周囲と変わらない環境で育ってきた。学校に通い、友達と遊び、毎日の食事のあとは書斎の本を読みあさる。奴隷の子供がこのような環境にいることが特別ということを私たちは知る由もなかった。

 特別というのは”奴隷の子供たちの中で”という意味に限らない。このヴィドゥ・ビギ国に生まれる子供たちのうち、最も早い者は14歳で兵士となる。またあるものは15で鍛冶屋に弟子入りし、あるものは商人として小さな屋台を持つ。そしてより裕福な子供は大学で勉学に励み、弁護士や裁判官、神学者になるための修練を積む。私の最初の友達が兵士になって3年が経つ今も、ウスルさんは変わらない庇護を私たちに与えてくれている。もはや私の友人の中では未だ仕事を持たない者は数えるほどしかいない。そんな中、奴隷にすぎない私が今もこうして家庭教師から逃げ出し、大通りの賑わいを横目にたそがれるのは贅沢なのだろう。

 ウスルさんほどの待遇は特別といえど、そもそも奴隷の地位はこの国ではさほど低くない。この世界に於いて国々に関係なく変わらないものが二つだけある。唯一の慈愛溢れる神を信じる心と奴隷身分である。

 大陸全土で信仰される唯一の慈愛神。無益な殺生を嫌い正しさの象徴であり続ける女神を信じるこの世界の人々はその寵愛を失わないためにおおよそ自律した生涯を送る。全ての罪は償うことで赦されるというのが慈愛神信仰の考えであり、その愛は罪人にすら赦しを与える。神話の時代、彼女に逆らい世界を戦火の渦に晒した5人の愚かな人間。捕らわれた彼らが慈愛神の赦しを受けるために負った責めこそ共通奴隷の起こりだった。

 それ以来、罪を犯したものは大陸全土に於ける共通奴隷へと落ちることで赦される。共通奴隷は国境を超えて奴隷身分が定められた者であり、この広大な世界のどこにいても人権が保障されないことを意味する。例えば市民が奴隷を殺してしまっても罪には問われず、奴隷はどのような搾取にも抗えない。しかしどこまで落ちようと慈愛の光は差す。共通奴隷となった者は誰かの所有奴隷となることで命を脅かされる危機から一旦は逃れることとなる。

 所有されている奴隷に対して危害を与えることは所有者を害することと同意であり、通常の法と同じように裁かれることになる。奴隷達は自身を所有してくれる者を求め、その結果大陸の多くの国で最も所有奴隷を保持しているのはその国の王となる。各国の王は奴隷を所有できる数を厳密に定めることで実力者の台頭を防いでいるのだ。

 奴隷といえど重罪人はほんの一部である。一般的に慈愛神を信仰する人々は晩年に自らの罪の贖罪として自らに奴隷紋を刻む。それは法では裁かれない犯罪。例えば、自らの落ち度で他人を苦しめた罪悪感がある者たちだ。政治家や裁判官など国から保護を得られる職業柄の理由から、浮気者や乱暴者が悔い改めるためという場合まである。また、国同士の戦争に駆り出される兵士は奴隷として戦場に赴く。国のためにやむを得ず人を殺める彼らは、罪を償わぬまま戦地で死ぬことがないように王の奴隷として奴隷紋をその左腕に刻む。退役軍人が占める奴隷の割合が最も大きいのはこのためである。それ以外の割合を占める奴隷は正式に裁かれた罪人であるが、罪の重さによって奴隷紋を刻む位置が決まっている。盗みや喧嘩などの小さな罪で捕まった者は衣服で隠せる場所に奴隷紋を刻むことになり、大きな罪になるに連れて体の目立つ場所に奴隷紋をつけることになる。そして、

 この国は世界有数の港を持ち、貿易の最重要国である。世界中から珍しい逸品のみならず有能な奴隷達もこの国に集まる。奴隷の所有数は法律で定められており、正式な所有関係にない口約束の奴隷労働者たちがこの国には溢れることとなった。その結果、全人口に占める共通奴隷の数は他国では考えられない規模となり、犯罪を抑えるための兵士雇用と合わせて世界一の奴隷国家であるヴィドゥ・ビギ国がある。奴隷に対して比較的寛容なこの国では共通奴隷も国民の一人として働く。そんな姿を一般市民たちも認めているため一応の共存を可能としているのだ。

 通常、私やミセラのような子供が奴隷となることは少ない。共通奴隷が子供を作った場合も子孫に奴隷身分が受け継がれることはない。罪を犯していない子供達が親の責めを負うということは慈愛神の御心に背くと考えられているからである。子供達が盗みなどの小さな罪を犯した場合も大抵のことは子供のいたずらに過ぎず奴隷と落ちるほど大層なことにはならない。

 しかし私とミセラは数少ない例外である。私たちは生まれながらに罪を犯した。いや生まれることが罪だったのだ。前権力者の子供。この国は16年前に生まれ変わった。政治下手な前王は他国との貿易で国の富を奪われ続けた。その結果、反乱分子によるクーデターを引き起こし戦火の中で王とその兵士たちは燃える屋敷と運命を共にした。王の子供であったミセラと側近の兵士長の娘である私。私たちは生きているだけで前王軍の残党による報復戦の神輿となりかねない。その罪深い生まれが私たちの頬には奴隷紋として刻まれている。

 ウスルさんがクーデター時に現政権に属し、私たちの本当の親の死に関わったことを教えてくれたのは10才になる頃だった。私たちは裕福な暮らしを送っていることは間違いない。それはあくまでウスルさんの庇護下の話だ。実際に周囲が職を持ったり、大学に行く中でも私たちには未だに監視がつけられている。生まれた時から自由のない私たちには一生鎖が付きまとうのだろう。


 

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