”狼女”は訝しむ

プロ♡パラ

第1話


 世を儚んだ皇女は、ある晩、おつきの者たちと連れ立って、幽閉されていた屋敷を抜け出した。月もない闇夜のなか、湖のほとりにたどりついた皇女と付き人たちは、そのまま入水を果たしたという──

 もとより処刑を待つ身だったこの皇女の自殺は、共和派にとっては好都合だったのだろうか? ……いや、そうとはいえない。少なくともこの地方の実権を握った臨時政府の高官は、皇女が莫大な隠し財産のありかを知っていると睨んでいたのだ(あるいは、そう思いこんでいた)。これを拷問にかけて白状させようと計画していたのだから、その秘密が永遠に失われてしまったことになる(あるいは、その秘密というものは最初から存在しなかったのかもしれない)。

 さて、しかしこの高官の存在するかもわからない莫大な隠し財産に対する妄執は、消滅するどころか、かえって強くなる一方だった。彼は何か証拠が残されていないか、必死になって捜索の命令を出した。

 そして、皇女が幽閉されていた屋敷には、ヴィルマという名のひとりの少女がいた。



 いまや共和派の本拠地となった帝都からこの地まで派遣されてきた特務魔道士”狼女”は、ケチな捜査任務を滞りもなく終えた。その才能を見いだされて、共和派政府に取り立てられた彼女からしてみれば、とるに足らないような仕事だった。──これならば、森の中で密猟者を追跡していたときのほうが、よっぽど大変な仕事だったと言えよう。

 さて、このイオキア地方の臨時政庁として使っている、元イオキア伯爵城内でのことだった。

 任務を終えてあとは帝都に帰還するのみとなった"狼女"を、この地方を管轄する高官が呼び止めた。

 しまったな、と"狼女"は思った。こういう場合、どうするのが正解なのか、分からなかった。もともと人里離れた森の奥で暮らしていた彼女にとって、どうも、人間社会の階層だとか礼儀だとかいうものは苦手だった。

「その……任務が終わったら、すぐに帝都に帰るように言われているんです」

「なに、そのついでだ」と高官はにべもなく言う。

「きみが帝都に戻るそのついでに、ある一人の人間を一緒に帝都まで連れて行ってほしいんだ。それだけだ。問題ないだろう。ある意味では、もともと君に下されていた帰還命令の通りだと言える」

 高官は、高圧的に睨みつけるような顔の小男だった。この男と話すとなると、大柄な”狼女”は身体を屈めざるを得ない。

「はあ……」

 彼女は釈然としていなかったが、高官は気にもしていなかった。自分の命令はすべて受け入れられて当然、という態度を隠そうともしない。

 高官は懐から封筒を取り出すと、それを"狼女"に押し付けた。

「この封書と、その一人の人間の身柄を、その宛先にまで届けてほしい。宛先は帝都にいるわたしの手の者だ」

「あの、これはつまり、帝都の共和派にも通っている話なのでしょうか」

「なに、心配することはないさ。首班直属の特務魔道士である君がいえば、向こうもいいように計らうだろう」

「……」

 それはつまり、話が通っていない、ということなのではないか? 狼女は訝しんだが、この小男が放射する威圧的態度の前では、なんだか委縮させられてしまった。

「それとひとつ、一応、聞いておこうか。──君の同僚である特務魔道士の中には、人間の精神を自由に操ったり、記憶を暴くことができる魔術師がいるというのは、本当かね?」

「……魔術師は普通、自分がどのような魔術を使うことができるのかをやすやすとは明かしませんよ」

「なるほど」

 高官が興味深そうにうなずくのを、狼女は不信の目で見つめていた。



 明朝。

 人目を忍ぶように用意されたその馬車にのる直前、狼女は高官にくぎを刺された。

「いいか、特務魔道士"狼女"、心して聞けよ。──こちらの見立てでは、ヴィルマという死にぞこないの端女は、とんだ悪女だ。きみは女だから心配はないかもしれないが、しかしヴィルマは男相手なら、どんな浅ましい手管で抱き込もうとするか、わかったものではない。その点に留意したまえ──決して、ヴィルマから目をはなすんじゃないぞ」

「……」

 狼女は、朝っぱらからげんなりさせられていた。

 ──この男は、世界は全て自分の思い通りになるべきだと考えているのだ。そして自分の思い通りにならないことは許せないのだ。なんて幼稚な世界観なのだろう。都市生活というものは人間をここまで堕落させるものなのだろうか。少なくともその自己中心的な世界観は、現実の世界とは合致していない。不合理とさえいえよう……

 やがて、馬車は発車した。

 薄暗い街道を馬車は進んでいく。車内には向かい合って座る二人。

 狼女は、そっとヴィルマの様子を伺った──存外に、普通の若い女。少女と言ってもいいかもしれない。利発そうで、その目は、好奇心の光に満ちて、こちらに向けられている──

「ねえ、あなたが噂の特務魔道士さん? "狼女"っていうのはあなたの暗号名?」とヴィルマ。

「……そうだ」

「ああ、やっぱり。直接そうだっていわれたわけじゃないんだけど、聞かされていた話の端々からすると、そうなのかなって」ヴィルマは人懐っこい笑みを浮かべて見せた。「あなたたちも魔術師も大変よねえ。革命が起きる前だったら、呪い師として平和に生きていけたでしょうに。それがわざわざ徴用されて、革命のためとかいってこき使われるんだから」

「……」

 狼女は、面食らっていた。なにもあの高官の言をすべて信じていたわけではないが、しかしわざわざ精神魔道士に引き合わせようとするくらいだから、なにか秘密を抱えてた陰惨な雰囲気を想定していたのだ。

 けれど、実際に向かい合ったヴィルマという少女は、あけすけで、俗っぽい少女だった。

 狼女のいぶかしむ視線を感じてか、ヴィルマは苦笑いする。

「ねえ、狼女さん。あなたがあの男からなにを吹き込まれているかはしらないけどね……」

 こう前置きすると、ヴィルマは自分の身の上を語りだした。

 そもそも、ヴィルマ彼女は、皇女の付き人でもなんでもなかった。このイオキア地方には皇族の避寒地があり、ヴィルマはそこのお屋敷に働きに出る一人の下女でしかなかった。

 それがひょんなことから、避寒にやってきた皇女に気に入られてしまい、以来、皇女が避寒地にいる間は付き人のように扱われることになってしまったのだという。(「まあ、実際のところ、いけ好かないお嬢様、って感じよね! こっちは余計にお金もらえたからいいんだけどさ!」とヴィルマはケラケラ笑ってみせた。)

 そして、今年もまた皇女は避寒地にやってきたが──帝都では革命が起きた。皇帝は失脚し、帝都を含む帝国西側は、共和派に掌握されることとなる。イオキア地方も共和派の支配下となり、そこで皇女は避寒地にそのまま幽閉されることとなった。

 そして、帝都から届いた、伝え聞くもおぞましい処刑方法による皇帝刑死の報である。

 世を儚んだ皇女は、侍女連中を引き連れて、入水自殺を果たした──

「まあ、わたしは正式な侍女でもなんでもなかったからさ」とヴィルマはあっけからんという。「付き合って死んでやる義理もなかったしね。だから、もう、あとはもう取り調べでも全部洗いざらい話したんだけどね──それなのに、あの男!」

 ヴィルマが、皇帝や皇族に対する忠誠心なんて一切持ち合わせていないといくらうったえても、それが逆に怪しいとみなされて、結局今に至るまで屋敷に幽閉されてきたのだという。

 ヴィルマの取り調べに対する従順さも、むしろそれは釈放されるための方策であり、皇女から託されていたなんらかの命令──たとえば、隠し財産に関する何らかの命令──を遂行するために釈放されようとしているのではないか、という疑いをかけられてしまったのだ。

 そんな中、帝都の共和派に召集された魔道士の中に、天才的な精神魔道士がいる、という知らせがこの地方にもたらされたのだ。

「あの疑い深い馬鹿はさ、その精神魔道士のことをちらつかせて、それでわたしに観念させて白状させようと思ったんだろうけど、そんなの、こっちからしたらむしろ願ったり叶ったりよね! だってわたしからしたら、自分にやましいことがないもないってようやく証明できるんだから。だから、そこではじめて、わたしとあの男の利害が一致したってわけ。……ふう」

 堰を切ったようにしゃべり続けていたヴィルマは、事の顛末を説明し終えて、そこでようやく一息ついた。


「でも、よかったわね、狼女さん」

「なにが?」

「だって、簡単な任務でしょう。ただこの馬車にのって、わたしと一緒に帝都に戻るだけなんだもの。これ以上楽なことってないでしょう」

「……ひとつ、懸念点があるな」

「懸念点?」

「正直、わたしからすると、あの男の疑いとか、君の話とか、それらが正しいかどうかなんていうのはどうでもいい。隠し財産があるだとかないだとか、皇女が君に託したとかどうかとか、関係ないしな」

「だからわたしは本当になにも知らないんだってば!」

「そうだとしても、あの男が君が何か重要なことを知っているんじゃないかと疑ったように、その噂を聞きつけた他の連中も──」

 その時、馬車の御者席から悲鳴が上がった。そして御者が転げ落ち、馬が嘶く音──

 狼女の反応は素早かった。馬車が傾きつつある中、彼女はヴィルマの手を掴むと、強引に抱き寄せた。状況を把握できずにあっけに取られているヴィルマに一喝する。

「──わたしの身体にしがみついて、はなさないで!」

 横転する寸前に彼女は馬車を飛び出した。

 外には、馬車を取り囲もうとする人影。しかし狼女は、ヴィルマを抱えたまま、それらを悠々と飛び越えて見せた。

 

 目を白黒させるヴィルマを抱えたまま、狼女は身を隠すために街道をはずれ、木立に向かって疾走する。

 これは厄介な任務を抱え込んでしまったな、と狼女は忌々しく思った。


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