いけおじカフェ

つきしろ

第1話 喫茶店

 

 週に一度、土曜日の昼に向かう場所がある。


 扉を開けば、からからと艶やかさの抜けた鈴の音が店内に染み入るように流れていく。いらっしゃいませ。重なる声に体の緊張が解け頬が緩む。色濃い木々で囲まれる店内、少し古風な柱時計がゆったりと秒を刻む音が聞こえる。


 ここは古民家風の喫茶店。休日の昼間だが店の中に人は少なく幾つかのテーブル席には一人、または二人が腰を下ろして静かに時を楽しんでいる。


 今日はどこに座ろうかな。扉を閉め、適当に壁際のテーブル席へと足を伸ばす。すると足早にカウンターの向こうから小走りで駆けてくる音が聞こえて視線を上げる。


 見慣れたエプロン姿に笑みが溢れる。


「こんにち、今週も来ちゃいました」


 店のウエイターであるその人は自分よりもずっとずっと満面の笑みを浮かべると抱きつかんばかりの勢いで両手を広げた。


「もう! いつでも大歓迎って言ってるじゃない!」


 体格が良いこの人は間違いなく自分よりも年上の「男の人」。この人の口調に慣れたのはこの店に何度か訪れた後のことだった。最初こそ戸惑ったが今では違和感もなく薄く化粧をしたその顔も可愛らしく控えめなフリルが付いたエプロンも間違いなく「似合っている」といえる。


 店で大きな声を出さないでください。


 カウンターの向こう側でグラスを拭き上げるマスターの低い声に両手を広げていたウエイターはそのくらい良いじゃない、と大きな声で言い返した。いつ来ても変わらない様子の喫茶店に笑ってしまう。


「あ、そうだ。今日はカウンターにしましょ。というかいつもカウンターで良いのよ?」


 壁際のテーブル席に向かおうとした道を阻むように前に立たれ、ウエイターの言うままカウンター席の少し高い椅子へと腰を下ろした。カウンターの向こう側には数え切れないほどのカップとソーサーが並び、マスターが皿を拭き上げて何かを温める火を止める。


 この店のマスターはあまり喋らない。そんなマスターと向き合うようなカウンター席は少し苦手だった。


 何も話しかけられない時間を誤魔化すように水の入ったグラスを両手で抱えてゆっくりと持ち上げる。


「ちょっとマスター、何か世間話くらい振りなさいな」


 メニューを渡したウエイターが頬を膨らませる。


 そんなこと言わなくてもいいのに。慌てて問題ないことを告げようと視線を上げると初めてマスターと目が合った。


「今日は良い天気、でしたか?」


 え。思わず声を出して後ろにある窓を振り返った。今日の曇天。降水確率が高く自分の鞄の中には折り畳み傘がある。雨が好きだっただろうか。水の入ったグラスを持つことも忘れてマスターへ向き直ると既に視線は合わなくなっている。


「どれだけ話題振るのが下手なの……。ごめんなさいね、このマスター顔が良いだけで話が下手なのよ。話を聞くのは好きなくせに」


「あ、そうなんですね。あの、私もそうなんです。自分からは中々」


「え、うそー! あたしとは話してくれるじゃない!」


 それはウエイターさんが話しかけてくれるから。そう言うのは失礼かと少し言い淀むとソーサーを棚に戻したマスターは小さくため息を吐いた。


「大体はあなたが話しているだけでしょうに」


 正解を言われ呆気にとられているとウエイターがそんなことないはずだ、と大きな声で迫ってくる。どちらの味方をするのが正解なのだろうか。当たり障りない言葉を探す。


 すると視界を遮るようにカウンターの向こう側から開いたメニューがウエイターと自分の間に差し込まれた。何になさいますか。静かで低い声の助けに縋るように差し出された二枚目のメニューを両手で受け取るとウエイターはひどーいと笑いながら食事を終えた客の精算に向かった。


「騒がしい従業員ですみません」


「いえ! いつも元気もらっているので」


「それは良かった」


 小さく、確かに笑ったマスターから視線を外していつものメニューを見る。


 どこかで見たような文字の形、簡素な四角い写真。デザインなんて感じられないけれど分かりやすい商品の並び。


 温かい紅茶と、何か甘いものを食べようか。


 紅茶と。


 そう声に出すと自分の背後で、あっ、とウエイターの声が聞こえて思わず言葉を止める。振り返ればテーブル席を片付けていたウエイターが皿をシルバーに乗せたままテーブルに置いて自分の隣からカウンター向こうへ身を乗り出した。


「今日試作品入ってたでしょ、それ食べてもらいましょ」


「ああ、それは良いですね」


「決まりね! じゃあ今日は飲み物だけにしときなさい」


「え、あの」


「試作品に合う紅茶ひとつねっ」


 何も言わないままに注文が決まり二つあったメニューは回収されてしまう。


 しばらく待っていると目の前に赤みの強い紅茶とケーキが一つ出される。華の香り高い紅茶にショートケーキのような白いケーキ。ケーキの上には大きな赤い花びらが一枚。花びらと同じ色のクリームが間に挟まり彩りも鮮やかなケーキだった。メニューの写真の中には無かったはずのケーキ。


「試作品なのでお代は要りません。ただ、感想をいただけると嬉しいです」


 お礼を言いながらも少し困った。紅茶もケーキも好きだけれど詳しいわけではない。そんな参考になる感想なんて言えるだろうか。フォークを持ちながら迷う。いつもの紅茶とケーキのセットだが敷居が高く思える。


 意を決してケーキを少しだけ刺し取り口に運ぶ。


 ショートケーキよりも抑えられた甘みに少しの酸味が重なる。スポンジの間にあった赤いクリームだろうか。美味しい。思わずそうつぶやいて一口目よりも大きく取ったケーキを再び口に入れる。


 思い出したように紅茶を一口飲む。果実のような甘味と酸味が一瞬、口の中に広がりケーキの甘さと共に喉の奥へと流れていった。美味しい。意図せずもう一度口に出す。


 黙々とケーキを食べ進め、気づくとケーキは無くなり紅茶も残り少ない。


 あ、感想。


 美味しくて言い忘れてしまった。顔を上げると目を細めて笑うマスターが居た。


「そんなに幸せそうに食べていただければ十分ですよ、ありがとうございます」


「ほんとにねえ」


 いつの間にかカウンターの向こう側で皿を洗っていたウエイターもマスターと同じ顔で笑っている。


「こっちが食べたくなるくらい幸せそうな顔してたものね」


「……恥ずかしいです」


 顔を隠すように紅茶が僅かに残るカップを両手で持ち上げた。

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