レシートは縦読みで

渡貫 真琴

レシートは縦読みで

スーパーデカップ 180円

キリットカット 356円

デニッシュパン 120円

するめいか 108円


 この人はいつも決まった時間にやってくる。

 私はレシートにお釣りを載せて、彼に手渡した。

「764円のお買い上げになります~。

 今日も同じ商品なんですね」

「新しい組み合わせが思いつかなかったもので……」

「組み合わせ?」

 どちらにせよ、食い合わせがよさそうなラインナップには見えないけどな。

 首を傾げた私に、彼は慌てたように首を振った。

「な、何でもないです!

 そ、そうだ、佐藤さんに教えて貰った小説読みましたよ。

 すっごく良かったです、けど……」

「けど?」

「最後のオチはいただけないですね。

 ビームはないでしょ、ビームは」

「えぇ~、そこがいいんじゃないですか!」

 私、佐藤栞里はこの寂れたスーパーでパートとして働いている。

 入り組んだ路地を抜けた先にあるこの店は近くの大学生ぐらいしか利用していないため、夜間になると暇になるのだ。

 それを見越してこの時間帯に働いている私には、よく話す常連のお客さんがいる。

「それを言うなら、私だってオススメしてもらったアニメに物申したいです!

 なんですかあの壮大に何も変わらない作品は!

 アクションは良かったですけど」

「あれはアクションを見る作品ですよ!」

「んな横暴な」

 このお客さんと会話するようになったのは、本当にふとしたきっかけだった。


 数か月前、彼が会計を済ませ、商品を仕舞おうと開いたバッグの中から覗いた一枚のパッケージ絵に私は思わず声を漏らした。

「え、えっと、どうかしましたか?」

 困惑の声に、私は黙っているわけにもいかず正直に話す。

「その小説、面白いですよね。

 見てる人少ないですけど好きな作品です」

 焦りと――ほんのわずかな期待。

 彼は、ぱあっと明るい表情になると、こちらに身を乗り出した。

「この本を読んでらっしゃるんですか!?

 いいですよね、特にアステロイドベルトの中に作られた文化の独特な社会風俗が……」

「そこいいですよね!

 でも、そこで出て来た歌舞伎の内容ってちょっと変でしたよね……」

 この時間帯になると、客が来ることはほとんどない。

 私と彼は、暫く話し込んだ。


 そこから、彼と私はレジのたびに話すようになった。

 今日も変わらず彼との時間はすぐに終わる。

「あっ、それじゃあ……」

 彼は時間を見て、そそくさとレジを去っていく。

 ジャスト10分、彼がレジに留まる時間はたったそれだけだった。


 閉店直後に転がり込んできた客を忌々しく思いつつも作り笑顔で捌き、私の今日の労働は終わった。

 ロッカーにエプロンを仕舞って、居眠りしている初老の店長に一声かけながらバックヤードを後にする。

 深夜0時、街も寝静まる頃合いだ。

 胸に入り込んできた冷たさに身震いしながら、意味もなく十字路の真ん中を渡る。

 私は現在26歳、就職もせずにパートで生活費を稼ぎながら小説家を目指していた。

 一次選考ですら突破できずに2年の時が経過している現状に、私はいよいよ現実と向き合わざるを得なくなって来ている。

 友達は就職してから私の小説を読んでくれなくなり、疎遠になった。

 親は「やりたいことをやりなさい」なんて口では言うものの、定期的に就職の話や結婚の話を持ち出してくる。


 私は小石を蹴り飛ばして排水溝に落とした。

 なんでこうなっちゃたかなぁ。

 これ以外にやりたいことないじゃん。

 大学卒業後、幾度となく繰り返した自問自答は飽きもせず脳内で響き渡る。

「よ~し……」

 私は腹に気合を入れて角を曲がった。

 そこには一つの踏切があり、信号はちょうど赤く光っている。

 私はそこでぎゅっと手を握ると、目を瞑って待つ。

 電車の音が遠くから聞こえる。

 私の頭の中で、前に進め!飛び込め!という声がこだまする。

 息を止めて、私はじっと全てが過ぎ去るのを待った。


 電車が通り過ぎ、私はようやく息を吐く。

 今日も私は死にたかった。


あんまん 200円

いくら丼 980円

シーチキン 120円

テリヤキチキン 200円

ルマインド 162円


「おお~、今日は奮発しましたね」

 私の言葉に、彼は目じりを下げて笑った。

「たまには内容を変えてみようかと」

 彼にレシートを手渡す瞬間、私は何かの違和感に手を止める。

 レシートの文面に引っかかりを憶えたのだ。

 おつりをレシートの上に載せて、彼の手を握るような形になってしまった私は慌てて手を離す。

「す、すみません、ちょっと考えごとしてて……」

「い、いえ、お気になさらず」

 顔を赤くしながら、彼はこちらを伺う様な目をした。

「何か悩み事ですか?」

 私は思わず固まった。

 悩み事は確かにある。

 ここで彼に打ち明ける悩みが、私と彼の関係を引き裂きやしないだろうか。

 名前も知らない彼との希薄な関係は、客と店員以外のつながりはないのだ。

 しかし、私の疲弊した精神は彼に寄りかかってしまう。

「応募した小説の賞の結果発表が今日なんですよね……」

「すごい、小説を書くんですか!?」

 純粋な反応に、私は苦笑いを浮かべる。

「え、えぇ、小説といっても上手いものではないですけど」

「書けるだけで尊敬ですよ。

 ネットとかに上げてるんですか?読んで見たいです」

 彼の表情に他意は感じない。

 だが、考えるよりも早く、私の口ははっきりと拒絶を示していた。

「ごめんなさい。人にはあんまり見せたくないんです」

 彼が固まった。

 我に返った私は、慌てて空気を溶かしにかかる。

「いや、ほんと下手なんですよ、はは……。

 そういえば、お勧めしてもらった小説なんですけど……」

 なんとかその場をごまかしたものの、会話はいつものように盛り上がらず。

 10分も経たずに、彼は帰ってしまった。


 ふわふわとした足取りで私は帰宅する。

 いつもは私を悩ませる踏切も、今日は随分と大人しく見えた。

 現実感のないまま、私は家のドアを開く。

 いつもは気に留めない静けさが今日はやけに耳に堪える。

 沈んだ気持ちのまま応募した小説の特設サイトにアクセス、自分の作品のタイトルが掲載されていないかひたすらスクロールする。

 やっぱり、ない。

 私は机に突っ伏した。

 目の奥から熱いうねりがこみあげてくる。

 小説は私にとって自傷行為になってしまった。

 ひたすら私を傷つけるのに、私はこれを辞められない。

 静けさが私の心臓を叩く。

 彼の声が聞きたくなって、私はただこの痛みが耐えるのを待った。


 すき焼きのたれ 450円

 きり餅 460円

 

 珍しく、今日のレシートは短いものになった。

 彼はあからさまにこちらの表情を気にしている。

「あの、昨日はすみませんでした。

 無遠慮でしたよね」

 案の定昨日の話だ。

 なんとか無難に話を着陸させたい私は、へらへらと笑って見せる。

「いや~、こちらこそ気を遣わせちゃって……。

 やっぱり小説落選してました。

 わかってはいるんですけど、どうしても期待しちゃうんですよね」

 鈍い痛みに知らんぷりする私に、彼は真っすぐとこちらを見つめる。

 胸の内を見透かされているような気がして、私の空元気はトーンダウンしていく。

「小説、諦めた方がいいんですかね」

 私は俯く。

 何言ってんだろう、店員にこんなこと言われたって困るでしょ。

 私は彼の表情を見ることができない。

「僕は、何をやっても後悔してきました。

 失敗したら苦しくって、他の道を選ばなかったことを後悔します。

 けど、多分他の道を選んだって後悔すると思うんです」

 私は驚いて顔を上げた。

「だから、どうしたって後悔するなら好きなことをする方がいい。

 僕は……そう思うんですけど……すみません、急に語っちゃって……」

 私に見つめられてトーンダウンする彼に、私は思わず噴き出した。

「ありがとうございます。

 もうちょっとだけ、頑張ってみます」

 それから、彼と私はいつもどおり10分だけ本と映画の話をした。

 私は彼と過ごす時間が好きで――どうやら、彼の事が好になってしまったらしかった。



 ラード 300円

 ブルドックソース 200円


 ラードって何に使うんだろう、炒飯?

 私は首を傾げる。

「佐藤さんの小説、読みましたよ」

 彼の声に、私はおつりを取る手を止めた。

 私はついこの間、ネット小説の賞を受賞していた。

 スーパーの店員とその客が時間をかけて恋を育む恋愛小説で、受賞にはその赤裸々な内容が高く評されたんだとか。

 彼の顔は、それはもう真っ赤になっていた。

「お返事を聞かせて欲しいです」

 彼のなら、きっと私のメッセージを読み取ってくれているだろう。

 この思いが例え受け取ってもらえなくても、私は好きな方を選んで後悔するのだ。

 心臓の音にうんざりしながら、私は彼と見つめ合った。

「――レ」

 れ?

 彼のつぶやきは、まるっきり予想外のもので。

「レシートに返事はかいてますからぁあああ!!!」

「あ、ちょっと!?おつり受け取ってませんよ!?」

 逃げるようにして店から去っていく彼に驚きつつ、私はレシートを見つめる。


 ラード 300円

 ブルルドックソース 200円


 縦読みで、ラブ。

 私はあんぐりと口を開け、暫し固まった。

 必死になって今までの彼の買い物を思い出す。

 まさか、彼は私にずっとアプローチしていたとでもいうのだろうか?

 ……遠回しすぎるでしょ!?


 嬉しさ半分、呆れ半分の複雑な感情で目を白黒していると、誰かが私の方叩いた。

「追いかけて来な」

「店長!?」

 何やら訳知り顔で頷いている店長。

 どこまで私達の関係を知っているのか問い質すのを我慢して、私は走り出した。

 名前も知らない彼の待つ、赤信号の交差点へと。

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レシートは縦読みで 渡貫 真琴 @watanuki123

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