第78話 それから
私は騒動のあと、療養の名のもとにノルド様の宮に引きこもっていた。前世や不思議な部屋のことを思い出したり、“私”と再会したりと盛沢山で。舞踏会で魔法を連発したことはもうすっかり優先順位の低い記憶になっていた。あの場にいた貴族への説明や根回しは、すっかりヴォイドさんにお任せ状態だ。ノルド様も、ヴォイドさんはそういうことが得意分野だというし。ここぞとばかりに、飴や鞭や隠し玉などが飛び交っているらしい。
ノルド様がお見舞いにきてくれるときに、後ろに立っているヴォイドさんがすごくいい笑顔で圧をかけてくるけど。ノルド様が控えよっていうと、ヴォイドさんは引っ込むので。良い言い訳や説明をいろいろ考えてはいるのだけど、どこまでをどう話したものか決められなくて。それに。私はまだ、ただのマクラウド家の居候だから。ノルド様とヴォイドさんにはいずれ話さないといけないけれど、今はまだ貴族のことは貴族に任せておけばいいかなって思ってもいる。現実逃避ともいう……。
結局、そんな風に。魔法連発事件について誰かに何かを話すこともないままに、ノルド様と中庭で過ごしたり、護衛として部屋にいてくれるユミと、商隊時代の話やシュヴァルツさんの、まさに“同担”トークをして数日をゆっくり過ごした。
「このまま城で暮らせばよい」
「殿下、それではご令嬢の外聞が傷つくのです。まだ正式に婚約すらしていないのですから」
ノルド様とヴォイドさんのこのトークは何度か繰り返されている。そうして、ようやく今日、私はマクラウド老の隠居屋に帰ることになった。行きに乗ってきた豪華四頭立て馬車では目立つので、マクラウド商会の制服を借りて、お城に納品にきた帰りの馬車にこっそり混ぜてもらうことになったのだ。
「オレも通用口まで送ろう」
「殿下がご一緒では内密になりません」
今も、ノルド様の希望をヴォイドさんが笑顔で却下した。
「殿下、私がマクラウド邸までお送りしてきます」
「仕方あるまい。ユミ殿、頼むぞ」
ユミがにこりと笑って、それからノルド様の後ろにいるシュヴァルツさんに頷いてみせた。シュヴァルツさんも、目礼を返している。とても無口だけれど、こういうやりとりでシュヴァルツさんがユミを大切にしているのが本当によくわかって、私も思わず顔がほころんでしまう。ユミが元の自分だというのが、ちょっとむずがゆいというか、気恥ずかしいところもあるけれど。
でも、私には私の大切な人がいる。私はノルド様に改めて、辞去の挨拶をした。
「ローリ、この部屋はいつでもお前のために整えてある」
「ありがとうございます」
ノルド様がじっと私を見つめたあと、ぎゅっと抱きしめてきた。
「ここ数日、共に生活ができたから湖の頃のようでとても楽しかった」
「私も、お傍にいられて嬉しかったです」
あの中庭以来、ノルド様は当たり前のようにこうして私に触れてくる。大きな体や包み込む体温、耳元で話される声にも。私は全く慣れることができずにドキドキしてしまう。
それに。ノルド様にとっては、ヴォイドさんやシュヴァルツさん、近衛さんたちはそこにいて当たり前だから見られても気にならないのだろうけれど。私にとっては、やはり人前でこういうことをされるのは恥ずかしいものだ。次代の皇帝として育ってきた人との違いを感じる瞬間だった。
「この部屋を出たら、この宮からお前の気配がなくなってしまうのかと思うと気分が悪くなる。前はそのように暮らしていたのに」
「また来ます。マクラウド商会の納品の馬車に紛れて、こっそりと」
「……離したくない」
抱きしめる腕が、さらに強い力でぎゅっと締め付けてきた。
「殿下、あまり馬車を待たせては怪しまれます」
ヴォイドさんが止めに入ってくれた。ノルド様は小さく息をついて腕を解くと、そっと頬に口づけてくれた。
「一人というのは、寂しいものなのだな」
「ノルド様……」
ノルド様は一瞬目を閉じて、それからカラリと笑った。
「行け、ローリ。オレがここで見送ってやる」
だから私も、笑顔をみせる。
「はい、いってきます!」
私たちはお互いにそうやって殊更に明るく振舞って。それから、湖の時のように、ノルド様達に見送られて私は部屋を後にした。
「おかえり、嬢ちゃん。倒れたと聞いて心配しておったぞ」
「もうよろしいんですか?」
マクラウド邸につくと、おじいさまとメリンダさんが心配そうに出迎えてくれた。
「もうすっかり大丈夫です。緊張したりしたから、貧血のようなものみたいで」
ご心配かけました、と謝ると、二人は破顔した。
「大事ないならええんじゃ」
「ええ、無事ならいいんですよ」
ようやく、二人の笑顔を見ることができた。メリンダさんに二の腕を辺りを擦られて、張っていた気がふっと抜けたのが自分でもわかった。家に帰ってくるって、本当はこういうことなのかもしれない。ユミも私も、マクラウド商会でお世話になっているというのも不思議な縁だなあ。
「舞踏会ではとても立派な振る舞いだったって、知り合いの貴族がいっておったよ。坊主とのダンスもとてもよかったと」
「おじいさまの準備してくださったお仕度で、心強く振舞えました」
「そうか、そうか。よかった。次は嫁入り支度を始めんとなあ」
「旦那様、少し気が早くはありませんか?」
「衣装だけでも何十着じゃろう? それに調度類や宝飾品、食器だって持たせてやらにゃならん。時間が足りないくらいじゃ」
「まあ、そんなに。それじゃ急がないといけませんわね」
「そうじゃ。それにただの嫁入り支度ではないからな。坊主の嫁御になるんじゃ。天下のマクラウド商会の名にかけて、歴代のどのお妃よりも立派な嫁入り行列にするんじゃ!」
「負けられませんわね!」
おじいさまとメリンダさんが気勢をあげる。
「あの、そこまでお願いできません。今回だけでも嬉しかったのに。嫁入り支度だなんて、その、お金がすごくかかるものですし」
「わしらがやってやりたいんじゃ。うちの孫娘として送り出すといつもいうておるじゃろう? それに支度金はちゃーんと坊主からぶん獲るから、嬢ちゃんは気にせんでええ」
「おじいさま……」
ありがとうございます、と私は深く頭を下げた。二人は少し不思議そうな顔をしたけれど、感謝の気持ちが少しでも伝わればいいと思う。
それからはまた、自室で小物類を作ったり、屋台に出たり、ノルド様にお手紙を書いたり。以前と変わらぬ暮らしを送っている。変わったことといえば、時々お城に“納品”に行くようになったこと。それからノルド様がマクラウド邸に“巡回”に来たりする回数が増えた。祝賀会で矢を受けたこともあり、用心のためにタビーを街の外に遠乗りに連れて行ってあげることはできなくなってしまったことだけが残念だった。あれっきり魔法を使う機会もなく、皇妃になるのが恐ろしいと、ノルド様を諦めようと悩んでいたことが嘘みたいな、穏やかで幸せな日々。
その日もこっそりとお城に“納品”に行った。マクラウド商会の納品の馬車で通用口から倉庫に行って、そこでお城の侍女の制服に着替えてからノルド様の宮にいくというのが手順だ。いつもの中庭にいくと、ノルド様が待っていてくれて。あの四阿で少しの時間を過ごす。侍女の制服を着ている私がノルド様の隣に座り、ヴォイドさんにお茶をいれてもらうという、知らない人が見たらびっくりするような光景だろう。
今日は、なぜかお茶を入れた後もヴォイドさんが四阿の中にいた。何か嫌な予感がする。魔法のことを追求されるのか。そわそわした私の気配を感じ取ったのか、ノルド様が口を開いた。曰く。
「ローリ、イルメリアに行くぞ」
「イルメリア、ですか?」
「そうだ、お前の国、お前の実家に行く」
「どうしてでしょう?」
せっかく逃げてきて、今ここで幸せに暮らしているのに。そんな不満が言外に滲んでしまったかもしれない。
「お前と結婚することを、お前の親に挨拶に行く。許可ではない。反対されても聞く気はない。だが一度、挨拶だけはしておこうと思うのだ」
嫌か? と、ノルド様が気づかわし気な顔をしてくれた。
嫌か? って考えると、どうでもいいという答えしか出てこない。今、とても幸せだから。ただ、イルメリアに行くとなれば、片道でも10日以上かかるはず。それが面倒だなっていうのが正直な気持ちだ。それを素直にノルド様に話した。
ノルド様はニヤリと笑った。
「だからいいのだ。往復と滞在期間でひと月くらい、おまえとずっと一緒に過ごせるであろう?」
え? そんな動機で皇太子が長く国を空けてしまっていいの? 私は伺うように四阿の隅に控えていたヴォイドさんを見た。
ヴォイドさんはとてもいい笑顔で頷いた。
「いろいろ準備も整いましたのでね、いつ仕掛けてくるかと警戒するよりも、こちらのタイミングで機先を制するほうが主導権がとれますので」
不思議だなあ。ヴォイドさんの話だけ聞くとなんだかすごく物騒で、結婚とか実家への挨拶とかいう言葉にはどうにも繋がらない。
「地形や行程、所要時間などは、実際にある程度まとまった人馬を動かしてみるのが一番ですからね」
「この機会に野営地の候補も見繕わねばな」
ノルド様とヴォイドさんは楽しそうに話しているけれど、どんどん、結婚という単語からは遠ざかっている気がする。なんだか不安なんだけど……。
それでも、ノルド様とヴォイドさんが組んだら、もう止められる人などいないのだから仕方ない。それに、私だって理由はともかく、ノルド様とまた一緒に旅に出られるというのはとても嬉しかった。置いてきた人達にどう思われるだろうとか、今頃何をしているだろうとか。そんなことは不思議と全く思わない。もう、私は変わったんだなあと思った。だから。
「私もとても楽しみです」
と答えた。
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