第70話 舞踏会
それぞれの爵位や性別、年齢で三々五々に寄り集まり、会話が交わされていく。私は同じ派閥の下位の令嬢たちの輪の中に立っていた。
「アダリンド様、本日はことさらにお美しいですわ」
私の今日の装いの素晴らしさを口々に讃えてくれるけれど、先ほど白いドレスの令嬢を見てしまった私には響かない言葉だった。私は曖昧に微笑んで辺りを見渡す。どの派閥の集まりの中にも、先ほどの令嬢の姿は見えない。やはり、皇族の控室にいるのかしら。
個々の会話は聞き取れないざわめきが会場を満たす中、皇族方のご入場が告げられた。上手に設けられた皇族用の出入り口から、皇太子殿下の弟妹方が入ってこられた。参集した貴族がそれぞれに礼を取りながら、辺りを伺う。どうやら皇帝陛下と皇妃殿下はいらっしゃらないようね。
帝国において、皇帝陛下と皇太子殿下が同じ場所に姿を現すことは滅多にない。統治者と次代の統治者が同じ場にあって、万が一にも何事かが起こった場合に最悪の事態を避けるために、危機管理の一環としてそうなっているということだわ。
でも、先帝陛下の御代にはそれほど厳格ではなかったという話もあるの。だから、皇帝陛下と皇太子殿下は仲が悪いのでは? とまことしやかに噂をする者もいる。年かさの者にいわせれば、皇帝陛下は元々あまり人前に姿を現すような公務を好まれず、皇太子殿下が出るなら自分はいいとお休みする口実に、古事を便利に持ち出しているのではということだわ。いずれにしても、陛下も妃殿下も今日の祝賀会はお休みのようね。
皇帝としてはともかく、親として晴れ姿を見たいとは思わないのかしら? でも、もしも我が家でお兄様の誕生日を、お父様とお母さまが大喜びで祝っていたらと考えれば理解できる気もするわ。20歳も過ぎた大きな息子相手にはしゃぐ親というのは少し、いえ、かなり痛々しいわね。
皇族方が壇上の席につくと、改めて皇太子殿下の入場を告げる声がした。再び皇族用の扉が開くと、騎士団の礼装姿の皇太子殿下が、彼の令嬢の手を引いて入場してきたわ。大方の予想通りね。貴族たちが礼を取る前を、令嬢の足元を気遣ってか、小さな歩幅でゆっくりと中央に進んでいらしたの。いつも近衛と連れ立って、公務の他には訓練だ狩りだという猛々しい噂しか聞かない皇太子殿下だけれど、あのご令嬢にならあのように優し気にエスコートされるのね。
さすがに緊張したのかしら? ふと、令嬢が殿下を見上げたの。そうしたら、殿下が。滅多にお見掛けしないけれど、見かけるときはいつも仮面を載せているのかしらとい思う程に表情のない殿下が、令嬢に微笑んで頷いてみせたのよ!
会場のあちらこちらから、女性陣がほおっと小さく息を吐く音がするわ。はしたないわね。でも、少しわかるわ。なんだか、子供のころに見た絵本の挿絵が動き出したようなんですもの。初々しいというか、清々しいというか。まあ、お似合いっていうことよ。お父様とお兄様は『何と引き換えにどこと縁を結ぶのか』なんて話をしていたけれど。私から見たら、そういう関係ではなさそうですわ。なんだか毒気を抜かれてしまった感じ。ちょっと前までは、『私こそが殿下を射止めてみせるわ!』と意気込んでいたというのに、嘘みたいね。でも、あの様子を見るとね。割って入れるような仲には見えないんですもの。
私が殿下を射止めようと思っていたのは、あくまでも殿下に意中の令嬢がいないと聞いていたからであって。お相手がいる方に横恋慕するような真似はとてもじゃないけれど、私にはできないわ。他家に比べれば多少格が落ちる扱いを受けていても、我がリンドバーグはれっきとした公爵家。私は、公爵令嬢なんですから。でも、ちょっとだけ残念だわ。殿下のお妃になれば、ヴォイドをぎゃふんと言わせてやれたはずなのに。
「面をあげよ」
殿下の声が広間に響いて、貴族たちが顔をあげた。ようやくこっそりと上目遣いでなく、ちゃんと正面から見ることができるわ。あれが噂の真珠の首飾りね。確かに素晴らしいわ。
「オレの誕生を祝い、集まってくれたことにまず礼をいう。そして、改めてここに皇帝陛下と国家への忠誠を誓い、次代を担う者として、この帝国をより偉大な国にしていくことを皆に約束しよう」
皇太子定番の挨拶ね。男性貴族から「帝国万歳」「皇太子殿下万歳」という掛け声がかかる。それに頷いて、殿下が小さく手をあげると会場に静けさが戻ったわ。
「そして、今日。ここに集まってくれた皆に、オレの伴侶を紹介したい。ローザリンデだ」
彼女は小さく一歩前へ進み出ると、微笑みを振りまくように居並ぶ貴族たちをゆっくりと見渡した。焦げ茶の髪に焦げ茶の瞳。華やかな色彩はないけれど、不思議ね。それが逆に気品と清楚さを醸し出しているようだわ。頭を下げることも、膝を折ることもない。本当にどこかの王族なのかもしれないわね。もしくは皇族に等しい扱いをしろというのが殿下のご意向を示しているのか、ね。そして小さく頷くと、彼女はまた一歩下がり、殿下を見上げる。殿下もまた、満足げに彼女に頷き返した。あらあら、御馳走様ね。
「正式な発表や今後の手続き、儀式などについては、追々伝えていく。まずは、オレが身を固める決意をしたことを、この機会に皆に報告したまでと思ってくれればよい」
殿下が、少し茶目っ気らしく告げた。不愛想な仮面を外せば、こんな顔もできるのねえ。未来の主君が、噂通りの四角四面な冷血漢でないことがわかってよかったわ、ということにしておきましょう。
「殿下、せめてローザリンデ様のご家名をお伺いできませんか」
会場の中ほどから、そんな声が飛んできたわ。集団の中からならば目立たないと思ったのかしら? 勇気があるわね。殿下はどうされるのかと思っていたら。
「後日、正式に発表いたします」
殿下から少し離れた場所で気配を消していたヴォイドが答えた。
「そうはいっても、お祝いを申し上げるにもせめてご家名くらいは伺わないと……」
「本日はあくまで殿下の生誕祝賀会。婚約発表の儀ではありません。一足先にご紹介されましたのは、皆様の日頃の忠誠に応えた、殿下からの余興の一つとお考えください」
ヴォイドは貴族らしいすました笑顔で返答すると、話はここで終わりとばかりに楽隊に向かって小さく手を振った。すると小さく音楽が流れだす。殿下が彼女に向かって礼をして手を差し出す。応えて彼女が預けた手に、殿下が口づけてから引き寄せた。はあっ……とまた小さなため息が会場を満たす。
二人がホールドを組むと小さな音楽が止んだ。そして、一時の静寂のあと。先ほどの何倍かの大音量で流れ出した音楽に乗って、二人が踊り始めた。誰もが目を離せないまま、場所をあけるように壁際へと下がっていく。
最初はゆっくりと旋律に合わせて揺れるように、それから段々とステップやターンのスピードがあがっていく。細身でストンとしたラインに見えた彼女のドレスだったけど、素敵! くるりと円を描くと、重ねたシフォンの裾がマーガレットの花びらのように広がるの。あのドレス、とても手が込んでいるんだわ。シャンデリアの光を反射して、銀のような生地がキラキラしてる。二人はじっと見つめあい、音に乗って近づいて、遠ざかり。くるりくるりと輪を描く。時々、殿下がかすめ取るように彼女の手にキスを落として。ダンスのせいか、頬を薄っすらと上気させた彼女が、僅かに目線を落として恥じらうのよ。ああ、本当に。幼い頃に見て憧れた、絵本の挿絵が飛び出して、今、目の前で踊っているようだわ。その場にいる誰もが息を殺して、その夢のような光景に釘付けになっていたのよ。私が結婚して子供ができたら、そして将来おばあちゃんになったらきっと自慢するわ。皇帝陛下と皇妃殿下のファーストダンスに立ち会ったのよ、って。ずっとずっと眺めていたい、なんて美しい夢。だけど。
夢は一瞬で悪夢に変わった。どこから飛んできたのか、殿下の肩に矢が突き刺さり。私は、殿下と彼女と、そしてヴォイドが驚愕に目を見開くのを見たの。
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