第68話 by me, for me
ヴォイドさんとお話ししたあと、ノルド様からもお手紙が来た。
舞踏会の支度は全てマクラウド老に頼んであり、本人も快諾してくれているから何も心配ないこと。城で共に誕生日を祝ってくれたら嬉しいこと。これまでの誕生祝賀会では昼餐や帝都のパレードはやったことがあるが、夜会は初めてということ。ノルド様にとって、公式な場で女性と踊るのは初めての機会で、是非私と踊りたいこと。最後に、私が舞踏会に来られなくても、他の女性と踊ることはないし、ノルド様がマクラウド邸に行くので、気負わなくてもいい、と書かれていた。マクラウド邸にはボウルルームはないけれど、庭で踊るのも楽しそうだ、と。
招待状とお手紙を並べて前に、私はずっと考えていた。あれだけヴォイドさんにいわれても、広大な帝国の皇妃になるというのはどうしたって恐ろしい。でも、何度考えても一番恐ろしいのはやっぱりノルド様を、前世を入れても初めてかなった恋を失うことだ。
逆算して考えてみる。この状況から逃げ出して、果たして次に誰かを好きになれるのか。その人も私を好きになってくれる確率は? そこが上手くいったとして、新しい恋には困難がない? そんなわけがないのだ。恋愛事に限らず、自分以外の誰かと密接に付き合えば、面倒ごとは必ず起こる。それはわかってる。前世の“私”は、“お母さん”や“みう”のことで疲れてしまって、就職してからは友人関係に重きをおかなくなっていた。新しい友人もできず、以前の友人とは疎遠になって。失うわけにはいかない職場では、なおさらトラブルを恐れて当たり障りのないように努めていた。波風立たず静かだったけれど、楽しくはなかった。
どうしてだか、こうして異世界に転生して前世を思い出す前も、思い出したあとも。私はいつもどうにかして困難を避けることばかり考えていた。時々辛いことや悲しいことがあっても、自分が我慢していれば、それはいずれ通り過ぎて終わってしまうから大丈夫だと思っていた。
でも、実際にはそれらは終わっていなくて。どんどんと積み重なって、大きく重たくなって。避けることも受け止めることもできず。結局、私は逃げるしかなくなってしまった。我慢の繰り返しの上に乗っかっているだけの関係など、親子でも、婚約者でも、簡単に崩れ去ってしまうのだ。いや、最初からそこには何もなくて、私があると信じていたかっただけかもしれない。
ヴォイドさんのいう通り。私は今まで私を踏みにじる人達に認めてもらいたくて努力をしてきた。最後のほうは、今にしてみると、きっと認めてもらえないと薄々わかっていたと思う。現実の不毛さを私が受け入れられなかっただけで。それでも、惰性というか逃避というか。変わらないどころか悪化していく状況を食い止める方法もわからないまま、気休めに努力をしていたようなものだ。王妃様はそれが見えていたんだ。私だけが気づかないままでいた。でも。だから。
そういうのは、もうやめよう。誰かに好かれたいという動機で努力をするのはやめる。気持ちや望みを隠し、「相手が望む私」を探り出してはそうあろうとする。ノルド様に「自分の物差しを持て」といわれて当然だ。私は今まで、誰かの物差しで、どうやったらなるべく大きく測ってもらえるかとそればかりを考えてきた。こうすれば評価される? これならば減点されない? と、人の顔色ばかり窺ってきた。誰かの望みを叶えれば、その分見返りとして私に好意を向けてくれるのではないかと歪んだ期待をしてきた。
前世でも、前世を思い出す前も、空回りしていた私を、もう繰り返さない。ここは日本からも生国からも遠く遥かな帝国。“お母さん”も、お父様も、王妃様もいない。自由になったつもりだったのに、私はいつまでも古い物差しからはみ出してしまわないように自分で縮こまっていた。囚われていた。それももう、おしまい。
これからは、私自身のために。私が、私の望みを叶えるために努力をする。そして、それを良いといってくれる人の、自分のために頑張る私を受け入れて好きといってくれる人のそばにありたい。それがノルド様なんだ。
世界を超えて掴んだ恋を手放さない。ノルド様にも、その地位を手放すような決断はさせない。ノルド様は皇帝になりたいと思ったことがないといっていたけれど。私のことがあるまでは、皇帝になりたくないとも思っていなかったのだから。私の『これまで』を認めてくれたノルド様に、皇帝になるべくして積み上げてきた『これまで』を無駄にしてほしくない。いつか、ノルド様が皇帝にならないと決める時がきたら、その時は「これまでお疲れさまでした」と答えればいい。
たったこれだけのことに気が付くのに、そして決心するのにとても長くかかってしまったけれど。私による、私のための努力。言葉にすると陳腐で、でも、とても楽しい気持ちになる。これはそう、私と“私”が。家を出るために準備を重ねていた頃と同じ気持ちだ。それぞれが、それぞれの人生で初めて自分のためにした努力が家出の準備というのがちょっと皮肉にも感じる。でも、今度は逃げるためじゃない。今ある私の全てで、精一杯。ノルド様のお誕生日を祝いに行くのだ。
今の私はマクラウド家の居候で、屋台の売り子。身分は失ったけれど、公爵令嬢だった頃に身に付いたもの、身に付けた全ては今でも私のものだ。帝国貴族から見れば、イルメリアなど辺境で。そこの元公爵令嬢なんて一顧だにもされない存在だろうけど。侮られてなるものか。身に付けてきた全てを武器に、私はお城に行く。ノルド様に差し出されたその手を取るために。
そう決めたことを報告すると、おじいさまは。そうかとだけいって、微笑んだ。優し気で少し悲しそうな笑顔はやっぱり、ヴォイドさんと似ている。
「実はもうドレスは仕立て始めているんじゃ。前にいくつか室内着を仕立てた時に採寸は済んでおるからな。色や形は商会の衣装部と相談して決めてしまったから、ローリの希望はきいてやれない」
すまんな、とおじいさまが眉尻をさげた。
「こちらの流行の生地やデザインもあるでしょうから、私の希望より、帝国で指折りのマクラウド商会のお見立てが安心です」
ありがとうございますとお礼をいうと、おじいさまが破顔した。
「ナタリーが伯爵家に入る時は、しきたりだの家格だの持ち出されて、向こうのいいなりで支度を整えたんじゃ。孫は男ばかりじゃし。こうして孫娘の支度をしてやれるというのはいいもんじゃのう」
おじいさまがうっすらと涙ぐむので、私はありがとうございますとしかいえなかった。
「わしに、マクラウド商会に任せておけ! ドレスも宝飾品も馬車も、城に来るどの貴族にだって負けやせん。最高の支度で飾り立て、坊主の嫁御はここにあり! と見せつけるんじゃ。貴族どもの鼻を明かしてやろうぞ!」
気勢をあげるおじいさまに、メリンダさんが頷いた。
「旦那様、帝都屋敷から何人か女性の使用人を呼んでください。それだけのお仕度を整えるというなら、髪や肌の手入れも念入りに仕上げなければ。本店から化粧品をいくつか都合していただけますね?」
「もちろんじゃ! メリンダ、そっちは頼んだぞ」
「お任せください!」
私は、頼りになる心強い二人にお礼をいった。それから、おじいさまにダンスの女性教師を手配してくれるように頼んだ。生国でも習ってはいたけれど、こちらに来てからは全く練習をしていないし、帝国には帝国の流行りのステップやターンがあるはずだ。おじいさまとメリンダさんに負けていられない。
私には、お母さまやフロレンツィアのような貴族らしい色彩や華やかな美貌はない。お城に行けば、私より綺麗な人、私より身分の高い人がたくさんいるだろう。貴族の物差しで測れば私は負けだ。でも、私は貴族令嬢としての価値の優劣を競いに行くんじゃない。「自分史上一番綺麗な私」で、ノルド様の誕生日をお祝いに行くのだ。あの日の答えを、“私もあなたと共に生きていきたい”と告げるために。
その日から三人で、ああでもない、こうでもないと必要なことや準備などを話すのが日課になった。その様子をノルド様にあててお手紙に綴ったりもしている。私とノルド様と、それから応援してくれる人達がいる。私ははじめて、恋というのは楽しいものだと思った。
そして。とうとう、ノルド様の生誕祝賀会が行われる当日になった。お昼前からメリンダさんを筆頭に、マクラウド本邸から手伝いにきてくれた女性達が私の支度に心血を注いてくれた。髪を結いあげ、イブニングドレスに二の腕まで長いオペラグローブをはめる。
「とてもお綺麗です」
「ありがとうございます」
「この家に来た時からとても可愛らしかったけれど、今日は本当に特別お綺麗ですよ」
「メリンダさん達のお陰です」
メリンダさんは薄っすらと涙のにじんだ瞳で、私の二の腕あたりをさすってくれた。温かく、柔らかい手だ。
ドアがノックされた。
「旦那様がお見えです」
おじいさまが入室してくる。後ろには、宝飾品を載せたトレイを持った女性がついていた。
「支度は整ったようだな。さあ、よく見せておくれ」
「おじいさま、素敵な支度を本当にありがとうございます」
「嬢ちゃん、綺麗じゃあ。立派な妃がねじゃ」
おじいさまも涙目になっている。
「旦那様ったら、今日は祝賀会に行くだけで、まだお嫁にいくんじゃないんですから」
「そういうメリンダこそ、湿っぽい顔しておるぞ」
二人が互いに茶化して、部屋に笑いが満ちた。
「さあ、仕上げじゃ。嬢ちゃん、そこに座りなされ」
鏡台の前の椅子に座ると、おじいさまが私の後ろに立った。女性の持つトレイから、ネックレスを手にすると、私の首に飾ってくれた。キラキラと胸元を飾る美しい宝石。
「あとはメリンダに頼む」
「お任せください」
メリンダさん達が、手際よく髪飾りや耳飾りを整えてくれる。
「天下のマクラウド商会じゃからの、本当はもっともっと立派な宝飾品も用意できるんじゃぞ。でも最高のものをわしが贈ってしまったら、坊主に怒られてしまうからのう」
貴族どもはともかく、皇家よりも立派なものではあとがうるさそうじゃ、とおじいさまがぼやいた。
「十分に素敵です。本当にありがとうございます。とても嬉しいです」
自分でいっていて、なんてありきたりなのかと思ったけれど。それ以外に返す言葉はなかった。インクの染みが目立たないようにとか、妹と被らないようにとか。どんなに立派で予算がかかっていても、公爵家では消去法で選ばれた衣装ばかりだったから。私の晴れ姿を整えたいというおじいさまやメリンダさんの気持ちがこもった今日の全てが、とても心強く嬉しかった。
おじいさまが鏡越しに笑いかける。
「どこのご令嬢にも負けやせん。さあ、胸を張っていっておいで」
“首を伸ばして、俯かないで。あごは引く!”。公爵家で厳しく教えてくれた教師の声がふと頭によみがえる。先生、ありがとうございます。しっかり身に沁みついています! いやというほど練習させられた“優雅な微笑み”で、私も鏡越しに頷いた。
「はい、いってきます」
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