第59話 誰がために


「ローリさん、この間ぼっちゃんは結局何を買ってくれたんだい?」

おかみさんがしたり顔で訊いてきた。

「なんですか?」

「ほら、ぼっちゃんがローリさんをうちの店に連れてきたときさ。うちの店のあとに買い物にいったんだろう?」

わかってるんだよ、とおかみさんがいう。あの時か。


「ちょうど髪をまとめるものが欲しくて、リボンをいくつか買ってもらいました」

今も使っているんです、とおかみさんにちょっと首をかしげて見せた。

「ああ、かわいらしい。いつも大事に使っているんだねえ。ローリさんによくお似合いだ」

「特にお店に立つときは、これを使うと頑張れるんです」

「そうかい、そうかい。頭の後ろのリボンまでは見えなかったんだねえ」

「見えにくいですか?」

私は腰をひねるようにして、おかみさんに首元を見せた。おかみさんがにっこりと笑う。


「あんた、ぼっちゃんが好きなんだね」

「え? いや、そんな。あの……」

突然過ぎて言葉にならない。声がひっくり返ってしまった。

「いいよいいよ、隠さなくたって。女同士じゃあないか。わかるよ、そんな嬉しそうな顔で自慢げにリボンを見せたりして」

「え? 私、そんな顔してましたか?」

私は思わず、両手で頬を隠してしまった。


「ああ、もう、とろけそうな顔してたよ」

そういうおかみさんだって何かとろけそうな顔してますよ、とはいえなかった。

「そうかい、そうかい。それならいいんだ。安心したよ」

なにが?

「あの、違うんです。困ります、私」

「心配ないよ、ぼっちゃんには内緒にしておくから。こういうのはね、自分できちんといわないといけないからね」


「そうじゃなくて、その、好きだなんて。考えたことなくて。私、わかりません」

私はついつい俯いてしまった。

「かー、何まだるっこしいこといってんだか。誰が見たってねえ、あんたの顔に大きく“好き”って書いてあるよ。うちに帰ったらよーく鏡を見てごらんよ」

本当はわかってるんだろ、というおかみさんの突っ込みに、私は答えられなかった。


「まあ、いいさ。若い娘なんだからそういうこともあるもんさ。わかるよ、あたしだって二十云年前はあんたみたいに初々しかったからね」

それから、おかみさんはひどく優しく微笑んだ。

「はっきりさせたら、その先が怖いんだろう? だから自分の気持ちをうやむやにしておきたくなるんだよ。それがもう好きっていう証拠なのさ」

その言葉がグサリと突き刺さって、私は何も言えなくなってしまった。

「ああ、なんてかわいいんだろうねえ。昔のあたしを見ているようだ」

今じゃこんなだけどねえ、とおかみさんがお腹をひとつ叩いてみせる。お道化た様子に、私はつい笑ってしまった。


「いつ頃からだったかねえ。ちっこいぼっちゃんが大きな騎士連中を何人も連れてやってくるようになったんだ。あたしの胸にも届かないようなチビが、えらそうな口をきいてさあ」

おかみさんは懐かしそうに目を細めた。


「いつだってちっこい体でふんぞり返って、お付きの騎士連中に傅かれてたのがいつの間にか大きくなって。ローリさんを連れてきた時には驚いたよ。肉を買って飲み物を買って、あんな甲斐甲斐しく他人の世話を焼いたところなんて一度だって見たことがなかったんだから」

「そんな小さい頃から来ていたんですか?」

「ああ、まだ馬に一人で乗れない様子でね、あの熊みたいな騎士様の前にちょこんと乗っかって、そりゃあかわいかったもんさ」


シュヴァルツさんと二人乗りの子どもノルド様、見たい~。久しぶりにファン心が蠢いてきた。

「今じゃあの熊騎士様に負けないくらい大きくなって、あたしに何ていったと思う?」

「“ぼっちゃんというのはやめてくれ”、ですか?」

「ああ、それもいつもいうね。でもね、その時は。お嬢さんを連れてきたときはこういったんだよ。“ローリを喜ばせるにはどうしたらいいか、教えて欲しい”ってさあ」


おかみさんが少し声を低くして、どうやらノルド様を真似ているらしい。

「あの綺麗な目で、真剣にあたしに訊いたんだよ。だからあたしはいってやったんだ。今日の記念になるようなもの、今ここでしか手に入らないものを買ってやれってね。女ってのは値段や価値じゃないんだ。あとからお高いご立派なものをもらうよりも、今、この場で思い出の依り代になるものをもらうほうがグッとくるんだって」

「それで、あの時……」

急にお土産を買おうなんて言い出したんだ。


「ねえ、ローリさん。ぼっちゃんは不愛想だけど気持ちは優しい人なんだ。いや、あたしだって串焼きを売るだけで大したことは知っちゃあいないよ。でもね、あんたが来てからこの街は随分と良くなったんだよ。元々は石畳なんて街門からの大通りと、奥のほうの金持ちの家の周りにしかなかったんだ。今じゃあご覧よ。そこの噴水広場からこの市を通って下町の奥まで、あっという間に石畳になったんだ」

「そうなんですか」

私はあまりマクラウド邸から出ないので、全く知らなかった。


「お嬢さんにはわからないかもしれないけどね、石畳ってのはありがたいもんさ。雨が降っても雪が降っても、道がぬかるまなくなったんだよ。靴も傷まなくなって、砂埃が洗濯物をダメにすることもなくなった。ぞろぞろ走る乗合馬車に泥をかけられることもなくなったんだ」

おかみさんがしみじみという。街で日々の暮らしを営む人の言葉には、とても説得力があった。


「今度はね、街の外にもう一周石の囲いができるって話だ。ここは行商人と乗合馬車ばっかりの宿場で、お貴族さまなんかいやしないのに。街を二重に囲おうっていうんだよ。一体、何を守るっていうんだい」

健気なもんじゃあないか。そういったおかみさんの目が、少し涙ぐんで見える。


「あたしはただの串焼き屋でさ、えらそうなことはいえないよ。だけどね、できれば。あんた、できたらぼっちゃんのそばにいてやっておくれよ。あの人は定めの重たい人だから、そばにいる人も大変な思いをするだろうけど。でも、あんただけなんだよ。十年以上も店に通ってきてさ、騎士様たち以外でぼっちゃんと連れ立ってきたのはあんただけだから」


頼んだよ、といって。お菓子を山盛り買ったおかみさんは帰っていった。私はまたエディさんと二人、店番に戻る。


「随分と盛り上がっていたようですね」

「そうですか?」

「何を話していたんです?」

「大したことじゃないです」

エディさんの探るような目線を避けて、私は顔を伏せた。小物類を並べ直したりして、平静を装う。ああ、どうして今日はまだお菓子が売り切れないのだろう。帰って、部屋で一人になりたい。おかみさん、なんて爆弾を落としていってくれたのだろう。どうしよう。私、ノルド様が好きになってしまったんだろうか。



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