第54話 ロバの焦燥


「城に戻る」

殿下は感情の見えない声でそういうと、スタスタと部屋を後にした。

「厩で合流しよう」

窓際で護衛していた同僚に声をかけると、頷いて殿下を追っていく。

「じいさん、なんであんなことを!」

内心の憤りを隠せず、声が大きくなってしまった。


「いうたじゃろ、わしは嬢ちゃんの味方じゃ」

「だからって、あの言い草はないだろう。殿下だって、いろいろ考えていらっしゃる」

「いろいろ何を考えてるというんじゃ、あの通り、逃げ出したところを見ればろくな事じゃあるまい」

じいさまは鼻息荒い。俺は疑問をぶつけてみた。

「……殿下の嫁取りって本当なのか?」

「坊主の誕生祝賀会、今年は夜会になるそうじゃ。当主だけじゃなく、家族で招待されるとあってあっちこっちの貴族家が令嬢のドレスを仕立てはじめたわい。おかげさまでうちの店も大儲けじゃ」

じいさまは皮肉下にいう。


「なるほど、集団見合いってことか」

「唐突に婚約者を作るよりは、こういう場を設ければ各家、御令嬢それぞれに機会があったといえるからのう。角が立たんじゃろ」

坊主も少しは世慣れてきたなとじいさまが笑った。


これまでの殿下の誕生祝賀会。節目の年齢の時には帝都のパレードをしたこともあったが、面倒ごとを嫌う殿下は、例年は日中に貴族家の当主のみを集めて祝辞を受けたあと、宮城のバルコニーに立つくらいですませてきた。それがいきなり家族で招かれる夜会となれば。日頃、令嬢方と交流を持つ機会の少ない殿下とお近づきになるこの上ない機会だ。そりゃあ各家、はりきってドレスを仕立てるだろう。


「近衛のくせに知らんとはな」

「俺たちは殿下の護衛をすることに変わりはないからな。城内なら会場ごとに人員配置も決まっている。行事の前に注意事項を確認するくらいさ」

「そうか」

じいさんは興味なさそうに冷めたお茶をすすった。

「そろそろ行かんでいいのか? あの勢いじゃ、坊主はおぬしをおいて帝都に戻ってしまうかもしれんぞ」

「ああ、そうだな。護衛失格になっちまう」

俺は御令嬢が入れてくれていた冷めたお茶をあおると、廊下を走った。




厩につくと、殿下と同僚はすでに騎乗していた。俺も馬を引き出して乗る。

「お待たせしました」

殿下は何も言わずに頷いた。

「では、参る!」

同僚が合図を出して、俺たちは帝都への道を走り始めた。来るときのソワソワとした浮ついた空気は消え、ため息を我慢しながらの帰り道となった。


それから。殿下は一見すると変わらぬ生活を送られていた。執務と訓練。合間に高位貴族との会合。淡々と過ごしているが、俺に言わせればいつもよりさらに口数や食事の量が減っている。


俺たちといえば、じいさまの家での出来事をロバの脚部隊で共有し。喜んで、悲しんで。その後にみんなで対応策を考えてはいるが見当もつかない状況だ。邪魔をしてくる奴を蹴飛ばすといっても、殿下があの御令嬢以外と結婚しようというのであれば、まさか婚約者候補やその家族を蹴飛ばすわけにはいかない。


脚の持っていき場所がなくなった俺たちは、ときおり、手の空いた奴がこっそりとじいさまの家の周りに偵察にでるばかりだった。程なく、御令嬢が屋台の店番に立ち始めた。深緑の髪をした男と一緒にだ。くそっ! あいつ何者なんだ。調べたところ、じいさまの店の後を継いでる息子のほうの孫だった。マクラウド家は殿下にとっては疫病神か?


そんなある日。城での護衛任務の合間、詰め所で休憩時間をとっているときに裏門の衛士から届け物だと籠を渡された。マクラウド家の使いが持ってきたという。じいさんから? ヴォイド様あてだろうか? 蓋を開けると見覚えのあるお菓子がたくさん入っている。御令嬢からか! これはいい展開を期待できそうだ。詰め所にいたロバ部隊はにわかに色めき立った。


俺たちは休憩を切り上げ、作戦を立てる。まずは二人ほどで打ち合わせがしたいと執務室にいるヴォイド様をおびき出すことにした。殿下とシュヴァルツ隊長だけになったところに、俺が御令嬢からの贈り物を届けるという寸法だ。


果たして、作戦は大成功だった。俺はヴォイド様に見とがめられることなく、殿下の執務机の前にたどり着いた。

「老マクラウド家よりお届け物です」

そういえばわかるだろうと思った。


殿下はわずかに目を見開いた。机上に置かれた籠を開け、中身を確認する。口もとは綻ばせたのに、なぜか目は悲し気に見えた。

「小官がお毒見をいたしましょう!」

「ひとつだけだ」

「失礼いたします」

指先で葉巻程の小さな菓子をつまみ、口に放り込む。と、殿下が何かに気づいたように籠の中に手を伸ばした。封書だ。御令嬢、やるな!


何が書いてあるのかはわからないけれど、殿下は口もとにはっきりと笑みを浮かべて手紙を読んでいる。便箋3枚分の静寂。殿下は大切そうに手紙を文箱にいれ、鍵付きの引き出しにしまった。そうして、シュヴァルツ隊長と俺を交互に見る。


「近く、秘密裏に老マクラウド邸に行きたい。頼めるか」

「お任せください!」

声を弾ませる俺と違って、隊長は頷いただけだった。


俺は詰め所に戻り、ロバ部隊に報告をした。なるべく早く、殿下を老マクラウド邸にお連れするための作戦を立てる。俺たちには難しいことはわからない。なぜか嫁取りに前向きらしい殿下の気持ちも。ただ、やっぱり、男というのは好きな女に会わなければいけないと思うのだ。離れた場所で一人であれこれ考えるより、顔を見て話せば解決したり、いい考えが思いつくというものだ。

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