第50話 彼女の味方
「嬢ちゃん、お茶を入れてくれんか」
じいさまが御令嬢に声をかけると、お湯をもらってきますねと彼女は席を立った。俺の前を目礼で通り抜け、部屋を出ていく。護衛は、本来の役目がくるその時まで、壁や置物並みに存在感を消すのが良い仕事といわれる。自分でもそう思う。それでも、こうしてさりげなく気遣いをみせてくれる御令嬢には好感度があがってしまう。
パタリとドアが閉まると、じいさまは先ほどまでの好々爺といった雰囲気を消し去った。
「坊主、何が気に入らない?」
「別に、気に入らないことなどない」
「では、なぜ嬢ちゃんが新しいことを始めようという時に共に喜んでやれないんじゃ?」
殿下は手元のカップに目線を落とした。
「オレはただ、よからぬことに巻き込まれぬかと心配なだけだ」
「一人では出さんよ、誰かしら家の者をつける。これで心配なくなったじゃろう。嬢ちゃんが戻ってきたら、応援してるといってやれるな?」
じいさまの声は、言葉よりも何倍かとげとげしい。
「ローリは出てきた生家とはいざこざがあった様子だ。たまに散策する程度ならともかく、店などやって頻繁に街に出るのはどうかと思う」
呼応するように、殿下の声にもいらだたしさが混じってきた。だが、じいさまは気にする様子もない。
「時に坊主、最近はうちの商会でもドレスの仕立てや装身具の注文が増えているんじゃ」
「商売からは隠居したのではないのか」
「隠居屋で暮らしていても、まだ会頭じゃからな。店に全くお構いなしとはいかんよ」
「そうか、そろそろ養生してもいいのではないか?」
冷え冷えとした声の応酬が続いている。一体なんなんだ?
「わしは帝国で十指に数えられるマクラウド商会の会頭じゃ。金はあるが貴族ではない。だからまだ噂という形でしか聞こえてこないが、どうも、皇太子殿下はとうとう嫁取りに本腰を入れ始めたらしい」
御令嬢には決して見せないだろう冷たい目付きで、じいさまが殿下を見据えていた。
「皇太子殿下もそろそろそういう年齢だ。国の安寧を考えれば、後ろ盾の厚い貴族から嫁をもらうことも必要であろう。何も不思議ではない」
まるで他人事のように、しかし極めて不機嫌そうな口調で殿下が答えた。
「やんごとなきお方にはやんごとなき事情があるじゃろう。何を選んで、何を諦めるか。自分が決めたようにやんごとなく生きていけばええ。じゃが、なぜ嬢ちゃんを自由にしてやらんのじゃ」
「別に不自由にさせているつもりはない」
「離宮に囲うでもなく、貴族の寄り付かないこの街の、年寄りばかりが暮らす時間の止まったような家にいつまで閉じ込めておくつもりなんじゃ?」
「オレは閉じ込めてなど! 今日だって二月も屋敷から出ぬと聞いて街に連れ出してやったではないか」
殿下もじいさまを睨み返す。
「トム坊だってあと何年かすれば帝都の息子の家に奉公にでるようになる。そうなれば、いよいよこの家にはお迎えを待つだけの年寄りと嬢ちゃんしかいなくなる。金の心配はないじゃろう。だが店をやるでなく、時おり街をぶらつく以外はただ年寄りといつまでも家にいるだけ。それが嬢ちゃんの幸せだと坊主は本気で思っているのかのう」
そんなぼんくら君主では国の先行きが心配じゃ、とじいさまが俺をちらりと見た。やめろ、こっちを見るな。俺は今、壁だから!
「坊主、一体何がしたいんじゃ?」
「オレは……。オレはこれまで皇帝の最低限の責務を果たせばいいと思っていた。だが、アレがオレの差配する街に、国に暮らすのならば。オレは良い街に、良い国にしてやりたいと。良い皇帝になりたいと」
「御立派な心掛けじゃ。だがそれは君主としてじゃろう? 男としてはどうなんじゃ? 危険を遠ざけるといって年寄りばかりの家に閉じ込めて、坊主の気が向いたときに年に何回か顔を出して嬢ちゃんを構う。それで? 週に何度か屋台を出すことにすらいい顔をしない男が、いざ嬢ちゃんが嫁に行くとなったらちゃんと祝福して送り出してやれるのかのう」
「ローリが、嫁に……」
段々と小さくなり、消えてしまった殿下の声。
「やれやれ、自分は嫁取りを考えているのに、守るべき民が嫁にいくことは考えもしない君主など、ますます国の先行きが不安じゃのう」
良い皇帝とやらはどこに行ったんじゃ? といって、じいさまがことさらにため息をついた。
「オレはローリを幸せにしてやりたくて。危険や不安のないところで、いつまでも安心して暮らせるようにとそう思って」
「確かに、この家にいる限りは危険な目にあうことはないじゃろう。天下のマクラウド会頭の隠居屋じゃ。わしが天に召されるときには、ここを嬢ちゃんに譲ってもええ。じゃが、それは本当に幸せか? メリンダ達だってわしとそう変わらん年齢じゃ。大きな家に財産を残されて、そこでたまに来る坊主を待っている一人ぼっちの嬢ちゃん。そんなのが望みなのか?」
殿下はドサリと背もたれに体を預けると、きつく目を閉じてしまった。
「坊主、なぜ嬢ちゃんの手を取らんのじゃ? わしは商人じゃが多くの貴族にあった。嬢ちゃんはどう見ても高位貴族の御令嬢。立ち居振る舞いや言葉遣いを見ても、やんごとなきお方の嫁としての素養は十分じゃ。実家に問題があるのならば、養女に迎えても外戚になりたがる貴族などゴロゴロしているじゃろうに」
「アレは厄介ごとを厭う。平穏な暮らしが望みなのだ」
殿下は足元に目線を落としたまま、無機質な声で答えた。
「これはまた、とんだ甲斐性なしもいたもんじゃなあ」
「じいさま、御令嬢がこの家に来てまだほんの二月だ。そう焦らなくとも、殿下だっていろいろお考えがある。今日だってお宅の孫をだまくらかしても御令嬢に会いたいとこうして忍んでこられたんだ」
俺は護衛の鉄則を破って、つい口を挟んでしまった。
「わしはな、自分は嫁取りを考えているくせに、嬢ちゃんには出会いや機会を与えようとしない心の狭さが気に入らないんじゃ。何が安全じゃ。ただの独占欲じゃろう。嬢ちゃんを幸せにしたい、平穏な暮らしをさせてやりたいと心底思っておるなら、嫁入りが決まったら盛大に祝ってやるくらい云うてみい」
じいさまに睨めつけられる。俺は言葉を続けることができなかった。じいさまの言っていることは正しい。
「お前らは好きなだけ坊主の味方をすればええ。わしは嬢ちゃんの味方をすると決めたんじゃ。孫娘と思うて幸せにしてみせるから見ておれよ」
マクラウド会頭として、全力で味方してやるわ! とじいさまが息巻いた。
くそ、なんてこった! こんなところに伏兵がいたなんて。確かにじいさまは、御令嬢の味方になるといった。だけど、ご幼少の頃から付き合いのある殿下よりも御令嬢に入れ込んでしまうなんて。妻子持ちだからわかる。孫への、とりわけ孫娘に入れ込むじいさま連中の熱意たるや、そら恐ろしいものがある。御令嬢にどんな支援をするかと考えれば、邪魔をする孫よりよっぽど性質が悪いかもしれない。
せっかく殿下と御令嬢が再会できたのに。共に街歩きをして、リボンなど贈ってよい雰囲気になってきたところだったのに。次は街の外への遠乗りも約束して、俺は城へ戻ったらロバの脚仲間に良い報告ができると思っていたのに。年寄りのせっかちでぶっ壊されてしまいそうだ。しかし、殿下の嫁取りだって? 近衛の俺たちだって聞いていない。いや、耳から通り抜けてしまったのかもしれないが。こっちはきっと孫の策略だろう。ああ、全く! じじいもじじいなら、孫も孫だ。
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