不思議な一日

 あなたがそこを通るのはその夜がはじめてでした。帰りの終電車で一駅乗りすごしたせいで、わが家まで一駅ぶん、余計に歩くことになったのです。タクシー代が惜しかったこともあります。はじめて歩く道のりは、深夜であることも手伝って、いつもの道とは違う気配を空気いっぱいに漂わせていました。


「もし、」


 その声は決して大きくはありませんでしたが、真夜中の街路においては充分すぎるものでした。


「何か」


 あなたは立ち止まりました。見ると易者のような男が電信柱の隣に机を出して座っています。街灯の明かりに浮かび上がる男の影は、のちにして思えば、何か、不吉ともいえる雰囲気を醸し出していましたが、とくに気づかずに、物珍しさも手伝って、あなたは訊いたのでした。


「占いですか」


「あさっての占い師をやっております」


 男はそういってから、こう告げたのです。


「あなた、おそらく明日にでも死んでしまいますよ」


「どういうことです」


 あなたが訊くと男は、


「わたしはあさっての方角を見ているのですよ。そこにあなたの運勢が存在していないのです。これすなわち、あさってにはあなた自体が存在しなくなる、ということに他ならないわけです」


「それ、本当ですか」


 あなたは信じられませんでした。


「あなたの占い、当たるんですか」


「当たりますよ」


 男はにやりと笑いました。


「放っておけば、あなた死にますよ」


「それはいやです。なんとかなりませんか」


「では、こうするしかありませんな。ちょっとこちらへ近づいてください」


 あなたが歩み寄ると、男はいきなりハサミを振りかざしました。


「危ない! 何をするんですか」


「あなたの明日を切り取ったのですよ。見てください」


 あなたがのぞきこむと、男の手にするハサミの刃に、あなたの顔が映っていました。死人のような顔色をしていました。気味が悪くなったあなたはその場を逃げだしました。


 家に帰ると顔を洗っただけでシャワーも浴びずに眠ってしまいました。疲れていたのでしょう。ベッドに倒れこむようにして寝てしまいました。


 夢を見ました。怖い夢でした。うなされたあなたは悲鳴を上げて目を覚ましました。すでに外は明るいです。朝です。と、インターホンのチャイムが鳴りました。あなたが玄関に出ると昨夜の男が立っていました。


「明日の新聞をお届けに上がりました」


「明日の新聞?」


「はい。ちょっと面白い記事が出ていますよ。では、これにて」


「ちょっと待って。どうして家がわかったんです」


 男はそれには答えずに立ち去ってしまいました。


 あなたは部屋に戻るともらった新聞を広げました。いつもはテレビ欄から見るのが習慣ですが、今朝はまず社会面から読むことにしました。そこにあなたが見たものは、あなたと同姓同名の人間が殺された、という記事でした。新聞の日付を改めて確認すると……たしかに明日の新聞です。


 この瞬間、あなたは総毛立ちました。これは自分のことではないのか、と。

 あの男とはじめて出会ったときにはすでに日付が改まっていたはずです。そして、あなたは明日を切り取られたわけです。つまり、あなたが死ぬのは……


「もしかして今日?」


 あなたは急いで服を着替えるとさっきの男を追いました。あの電信柱のところまで走りました。しかし男はいませんでした。


「どこへ行ったの。あいつの正体はいったい何者」


「悪魔よ」


 その声に心臓がどきりとしました。振り向くと一人の少女が立っていました。


「かわいそうに。あなた、悪魔に魅入られたのね」


「誰」


「わたしはあなたの味方。あなたにとっては天使みたいなものね。このままだとあなたは間違いなく何者かによって殺される運命にあるのよ。そこから救うのがわたしの役目」


「わたしは助かるの?」


「ちょっとじっとしていてくださる?」


 少女はこれまたハサミを取り出しました。そして盛んに何かを切っています。あなたからは宙を切り裂いているようにしか見えません。


「これでよし」


「何を切ったんです」


 あなたが問うと少女は笑顔で答えました。


「あなたを今日という日から切り抜いたんです。一歩踏みだせば、そこはもう明日ですよ。あなたは死なずに済むわけです。では、これにて」


「ちょっと待って」


「運命は変えられるのです。それじゃあ」


 少女は跳ねるようにして去ってしまいました。


 あなたはいわれたとおりに一歩踏みだしました。家に引き返すと部屋にはさっきの新聞がそのままにありました。あなたの記事は……なくなっていました。どこを探しても、あなたが殺されるという記事はなかったのです。少女の言葉が脳裏によみがえります。


「運命は変えられるのです」


 不思議な一日、いや、二日間でした。


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