未来は変わる

 駅から徒歩三分の楽器屋の前で立ち止まったターナは、ショーウインドウをのぞきこみ、「はー……」と一つため息をつきました。ターナの見つめる先には以前から憧れていた青色のエレキギターが飾ってあり、その値札にはターナの月収の二倍ほどの額が値付けされていたのです。


「あなた、ギターをお弾きになるのですか」


 不意に後ろから声をかけられたターナは思わずビクッとして振り向きました。そこには真っ白な服を着た女が立っていました。


「いえ……、まだ弾けません。こんなギターが弾けたら楽しいだろうなあと思って」


 ターナが答えると女は、


「するとあなたは初心者、入門者ですね。だったらいいギターがありますよ。お店の中へどうぞ」


 女に導かれるような形で楽器屋の店内に入ったターナは、さまざまなギターやピアノなどの楽器類、楽譜類が展示される様子に目を奪われつつも、一本のエレキギターに目がとまりました。

 それに気づいて女が言いました。


「やっぱり。あなたは天性のギタリストのようね。初心者向きのギターを一目で見抜いてしまった」


 値段を確かめるターナ。すると今の所持金でも買うことのできる額でした。


     *


 初めて手にする初心者用のギター。買った喜びもまだ冷めやらぬうちに腕に抱えて手に持ったターナは、頭の中でドレミファソラシドと口ずさんでいました。


 すると不思議なことが起こりました。弦を押さえるべき指が、誰かに引かれているかのように、正しい位置に移動したのです。さらには弦をつまびくべき手も正しい動きを示しました。


 弾ける、弾ける! あんなリズム、こんなメロディー、どんなフレーズも自由自在なのです。驚きながらもターナの演奏は止まらずに、ついにはギター購入一日目にして、短い曲ながらもオリジナル曲の作曲すら、成し遂げてしまいました。


「天才!」


 ターナは自分をそう呼びました。


     *


 いつしかターナは世間で大人気を博すほどの腕前となっていました。もう初心者用のギターなんかじゃ物足りません。そう思い、あの楽器屋の前を通ったとき、またしてもあの、真っ白な服の女がターナの前に現れました。


「どうやら新しいギターが欲しくなったようね。いいでしょう。お店の中へどうぞ」


 店内の一番目につくところにそれはありました。以前、欲しくて欲しくて仕方なかった高価な青色のエレキギター。


 今のターナなら楽にそれを買うことができます。音楽を収入源の一つとしている、それくらいにターナのギターの腕前は人々を魅了するものになっていたからです。

 その日、ターナは青色のギターを買って家に帰りました。


 早速、新しいギターを弾いてみます。

 さまざまなフレーズが飛び出します。

 新しいメロディーが浮かんできます。

 けれど何かが物足りませんでした。

 翌朝、ターナは街に出かけました。目指すは本屋です。


     *


 ターナには本を読む習慣がほとんどありませんでした。本を読んで歌詞を作る力を身につけよう、と思っての、本屋通いが始まりました。


「来ると思っていたわ」


 聞いたことのある声。振り向くとあの真っ白な服を着た女が背後に立っていました。そして言います。


「作詞もしたいと思ったのでしょう。それにはまず、これを読むといいわ」


 女の手にはずいぶん昔の時代の有名な小説家の文庫本がありました。


「あなた……、どうしていつも目の前に現れるんですか。まるで導くみたいに」


「導く……、そうね、わたしはあなたを導いている。あなたが迷わないように」


「なんで」


「なぜならあなたは一度、人生に失敗しているからですよ。その人生ではあなたはやりたいことも見つけられず、やりたくもないことばかりやって年を取ってしまいました」


「あなたは一体……、何者ですか。どうして色々知っているのですか。……天使……神様……まさか悪魔……」


「すべて」


 その瞬間、ターナの全身にゾッと鳥肌が立ちました。女は「ふふふ、うふふふ、あはは、ははは」と笑いながら本屋を出て行きました。


 店の中にいた人々はそんな女の狂気じみた様子にも、一切、かまうこともなく、黙々と自分たちの行動を続けています。


 思い返すといつもそうでした。


 楽器店の中で、女は時折、やけに大きな声で話したり、他の客と危うくぶつかりそうになったりしても、まるでそこにいないかのように、誰もとがめなければ、注意をする者もいなかったのです。


 真っ白な服の女。天使、神様、悪魔。それはきっと幻なのです。ターナにしか見えない、ターナにしか聞こえないのだとしたら、それはターナのためだけの幻なのです。


 ターナは手にした昔の小説家に何か運命のようなものを感じつつ、文庫本をレジに差し出してしっかりと自分の物とすると、これからはどんな曲が作れるようになるのかと希望を抱きながら、すでに音楽以外の小説というジャンルに魅了されていることにまだ気づかずに、それでも確実に未来に向かって一歩ずつ進んでゆくのでした。


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